
子どもには恵まれなかったけれど
結婚して10年、子どもには恵まれなかったが、それなりに仲よく暮らしてきたというミツエさん(45歳)。「もともとは学生時代の友人です。卒業してからも年に数回、グループで会う機会があったんですが、彼と私だけ結婚しないまま30代半ばに突入して。気づいたら、二人でよく会うようになってて、『オレたち、うまくいきそうだよね』という彼の言葉に私も頷き、そこからトントン拍子に結婚ということになりました」
互いに仕事が忙しかったこともあり、子どもについては特に話し合うこともなかった。結婚して3年たった38歳のとき初めて、「子どもに恵まれないかも」とミツエさんは感じた。どうしてもほしいというわけでもないと思いながら、夫に話してみると「僕も特にほしいとは思ってない。このままでもいいんじゃない?」と言われてホッとしたそうだ。
「夫と私とニャンコが2匹。4人家族だよねと言いながらそれなりに楽しく暮らしてきました。そもそも夫はフリーランス、私は土日が定休ではない会社員。ふだんは顔も見ない日があるくらいですが、休みが合えば映画に行ったり、ふらっと1泊旅行をしたり、1日中ニャンコたちと遊んだりと二人の時間も大事にしてきました」
親の土地を相続することに
状況が少し変わったのは、3年前、ミツエさんの両親が相次いで亡くなったのがきっかけだった。母が突然の病気で亡くなると、その2カ月後に父も息絶えた。まるで母のところにあわてて行ったような亡くなり方だった。「両親は仲がよかったから、こうなるのも当然なのかなと。私は一人っ子で、遺産を相続する代わりに、さまざまな問題も突きつけられた。父には借金があったので財産放棄しようかとも思ったんですが、意外なことに父は自宅の他に土地を持っていたんです」
借金は実家を売って返済、ミツエさんには土地だけが残った。土地も売ってもいいかなと思ったのだが、夫が「ここに家を建てよう」と言い出した。
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二世帯住宅を建てると主張する夫
夫は喜々として間取りを描き始めた。「ところが夫が作った間取りを見たら、なんと二世帯住宅になってる。『ミツエの両親も亡くなったのだから、うちの親と同居しよう』と軽く言うわけです。
義父母は借家に住んでいて、言っちゃ悪いけど二人とも年金をパチンコにつぎ込んでいる様子。私はもともと折り合いが悪くて、ほとんど会ってもいない。それを分かっていて、私名義の土地にどうして自分たちの二世帯住宅を作ろうと言っているのか、わけが分からなかった」
ミツエさんがそれはできないと言うと、夫は「なんでだよ。みんな丸く収まるよ。きみにとっても親なんだからさ」と。私の親は二人とも亡くなった。あなたの親は私の親ではないとはっきり言ったら、そういう女だったのかと不機嫌な態度をとられた。
「夫の怒った顔を初めて見ました。でも私だって引くに引けません。親の残してくれた私名義の土地なんだから、私が住みたい家を建てると言うと、『そこにオレはいないかもな』って。脅しですよね」
気持ちを戻そうと思ったが
急速に愛が冷めた、とミツエさんは言う。これが夫の本性か、とがっかりした彼女は、「あなたがそういう人だとは思わなかった」と言った。「こっちだってそうだよ。オレの親を自分の親だと思わない嫁だったのかってがっかりだよ」と夫はつぶやいた。
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夫を賃貸マンションから追い出した。引っ越し費用がないと開き直った夫に100万円を渡して出て行ってもらった。どうして自分がお金を出さなければいけないのかと思いながらも、「あなたはフリーランスだし、今までの楽しい思い出にお金を払うわ」と嫌みを言って帯封のしてある札束をテーブルに置いた。
「夫の目がギラッと光って、そのお金を持って身の回りのものだけ持ち、何も言わずに出て行きました。後日、夫の荷物は全部、実家に送り返した。夫は学生時代の友人たちに、『何もしていないのにミツエに追い出された』と言いふらしていたそうです。そんな男だったのかとまたがっかり」
それにしても、愛情って冷めるのが速いと肩を落とすミツエさん。いったん冷めたものは戻らないことにも我ながら驚いたという。
「友人の一人に『そんなことで離婚するなんて。話し合えば何とかなったんじゃない?』と言われました。やっぱり私が冷たいんでしょうか」
何を我慢できて何ができないのかは人それぞれ。我慢の限界が低すぎると言われても、自分の気持ちが納得できなければ、別れて再スタートを切った方が生きやすいのではないだろうか。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))
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