体を張ってMLB実況中継に挑む著者(10月15日、Xのツイート)◆「誰が平日にMLBを見られるのか」問題
今年2025年のMLBポストシーズンゲームは大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希のロサンゼルス・ドジャース勢だけでなく、シカゴ・カブスの鈴木誠也、今永昇太、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有、ボストン・レッドソックスの吉田正尚など、日本出身選手が数多く出場した。
ますます高まる日本国内のMLB人気を象徴する出来事ではあるものの、試合中継が行われるのは日本時間の午前中である。いったい誰が試合を見ているのか、日本人の「働き方」の変化という観点を交えて考えてみたい。
日本でのMLB中継は、野茂英雄が先発投手としてメジャーリーグで活躍しはじめた’90年代半ばからNHK BSを中心に行われるようになった。続く’00年代のイチロー、松井秀喜の活躍でさらに定着、’18年に大谷翔平がロサンゼルス・エンジェルスに移籍してからは大谷がその主役となった。
これまでMLB中継は日本時間の午前中に行われるため、主な視聴者はリタイア世代であると考えられてきた。ところが最近のSNSを観測していると、今は現役世代も視聴者として可視化され始めているようである(匿名で感想や実況を投稿している人が多いが、他の時間帯には仕事のことを書いていたりもする)。
この仮説を検証することも兼ねて、私は今回、XのライブストリーミングやYouTube Liveで「試合中継を観ながら(中継の音が入らないように)自分が雑談しつつ実況中継する」という配信を何度か行ってみた。
日本時間10月15日(水)午前に行われたナショナル・リーグ チャンピオンシップシリーズ ドジャース対ブリュワーズ戦(山本由伸が先発、大谷も1番指名打者で出場)の際の配信では、平日午前にもかかわらず約1,000人ものユーザーに鑑賞された。なお当然ながら、私の配信を観たところで試合の映像が視聴できるわけではなく、私のSNSフォロワーもインフルエンサーを自称できるほど多いわけでもないので、この数字はかなりナゾではある。
平日午前にもかかわらずMLBの中継を見るために集まる人々とは、いったい何者なのか。私自身は、「体育会系」的な働き方でもなければ、余暇を大切にする働き方でもなく「労働のなかに余暇を入れ込んでいる」人々が増えているのではないかと見込んでいる。
◆平日午前のワーキングタイムに大谷翔平を見守ってしまう人々
ここ10年、日本社会は「働き方改革」を大きく進めてきた。労働時間の短縮に加え、コロナ禍以降は大企業でもリモートワークが普及した。一方で、実業界では日本経済の低迷に対する危機感も強まっており、10月4日に自民党の新総裁に選出された高市早苗は就任あいさつで「ワークライフバランスを捨てます」「働いて働いて働きます」と述べ、議論を巻き起こした。
高市早苗的な「働いて働いて働く」発言の背景には、ここ10年の働き方改革の潮流のなかで、「でも、やっぱりそれじゃダメだ」「会社を、日本を成長させよう」と意気込む層の存在が想定できる。いわば「24時間戦えますか」な昭和的企業戦士の後裔、「体育会系」的働き方の現代版ともいえる。
一方、この対極に位置づけられるのが、仕事とはある程度距離を置いて余暇を楽しむ働き方である。例えば’24年に出版界の話題をさらった文芸評論家・三宅香帆氏の著書『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)は「読書と労働」の近代史を紐解きながら、これまでの日本的な働き方=「全身全霊」ではなく、仕事をしつつも終業後にカフェで本を読む=「半身で働く」ことを説く。いわば「文化系」的なライフスタイルを実現可能な社会にしようというメッセージは大きな反響を巻き起こした(同書は新書大賞2025で大賞を受賞、30万部を突破)。
このように、「高市早苗的な体育会系」と「三宅香帆的な文化系」を’25年現在の国内における主要な「働き方」の潮流とするなら、平日MLBを観戦していたり、副音声的に配信者の実況を流す余裕のある現役世代とはいったい何者なのだろうか。
最近のSNSでは「風呂キャンセル界隈(風呂キャン界隈)」というミームが流行している。あまりに忙しかったり、生活の雑事をやるモチベーションが湧かずに、夜の入浴やシャワーを回避してしまう人たちのことだ。このネットミームに倣って、平日午前のワーキングタイムに大谷翔平の活躍を見守ってしまう人々を仮に「平日MLB層」と呼んでみることにしよう。
◆「平日MLB層」とは、労働のなかに余暇を入れ込む人々である
おそらく「平日MLB層」は、私のようなフリーランス、主婦(主夫)、学生、無職、ギグワーカーなども少なくないだろうが、おそらく「家でリモートワークができる会社員」が多いはずである(私の平日昼間の配信を見たと自己申告してきた人の中にも会社員がいた)。彼ら彼女らは、在宅勤務の象徴的ツールであるSlackの緑ランプ(社内チャットアプリの“オンライン中”を示す表示)はとりあえず光らせているだろう。
しかし平日午前から高市早苗的な「働いて働いて働く」を実践しているわけではなく、MLBの中継や配信者の実況などをラジオ的に流している。彼ら彼女らは、リモートワークが可能になった令和の時代における、昭和的“サボリーマン”の後裔である。
彼ら彼女らは、昨今特にZ世代のあいだで浸透していると言われる「静かなる退職(Quiet Quitting=仕事にやりがいを求めず最低限だけ行い、精神的にはすでに退職している状態)」や、「FIRE(Financial Independence Retire Early=若いうちに大金を稼ぎ出して投資などに回し、早めにリタイアすること)」といった価値観とは若干異なる方向性を持っているように思われる。
「平日MLB層」は大谷翔平のように「目標に向かって頑張る」ことを決して否定はしないはずだ。他方で「静かなる退職」や「FIRE」のように労働を忌避し、労働から退出しようとしているわけでもない。むしろ労働と余暇を切り分けず、労働のなかに(ときに会社には言わずに)余暇を入れ込むことで、長期的にはパフォーマンスを保つ人たちである。
平日午前にMLB中継を観ている現役世代が確実に存在しており、それはSNSやライブ配信によって“見える化”されつつある。「高市早苗的な“働いて働いて働く”」と「三宅香帆的な“半身で働く”」のあいだに、「仕事中にMLBを観る」ようなグラデーション的生活がある。
「平日MLB層」は、“意識高い系”でも“労働と距離感を保つ”でもない、第三の道を指し示している。労働と余暇の境界をぼかすことで、自分のペースで生産性と幸福を両立しようとする人々である。こうした人々の存在をまず認識することが、昨今の働き方改革議論を血の通ったものにする第一歩なのではないだろうか。
【中野慧】
編集者・ライター。1986年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部社会学科卒、同大学院社会学研究科修士課程中退。批評誌「PLANETS」編集部、株式会社LIG広報を経て独立。2025年3月に初の著書となる『文化系のための野球入門 「野球部はクソ」を解剖する』(光文社新書)を刊行。現在は「Tarzan」などで身体・文化に関する取材を行いつつ、企業PRにも携わる。クラブチームExodus Baseball Club代表。