
親友……それは無二の友。何でも相談できる親友とはときに、家族以上の関係となってくる人もいるでしょう。
『親友と呼べる友人はいますか? 私はいないです。あえて言うなら旦那が親友みたいな感じです』ママたちはどう答えるでしょうか。ある人は「親友なんていない」と即答し、ある人は「ひとりだけいる」と微笑みます。大人になると、学生時代のように自然に親友をつくる機会は減り、生活環境の変化とともに人間関係も大きく変わっていくようです。
人生経験を積んだ末に親友がいなくなった人たち
もう親友をつくることを諦めているとか、そもそも会う友だちがいないという声は少なくありません。また独身の頃は気楽に会えた友人も、結婚や子育て、仕事などで環境が変わると疎遠になることは自然な流れなのでしょう。
『中高生くらいの頃は親友! とか言っていましたねって感じ。この年になると新しく知り合うのは全員「知り合い」レベルで友だちですらないわ。それで困りもしないし』
『友人はそれなりにいるけれど、親友ってほどではない。そして欲しいとも必要とも思わない。いなくても今十分充実していて幸せだしね』
『まあ、友だちなんか大切にしてもムダって悟りました』
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『今私の周りでは両親含め亡くなる人が続いて、もうそのような悲しい思いをしたくないから最小限人付き合いのままでいい』独身の頃は親友でもお互いの立場が変われば、関係性が変わることも。また深刻な悩みがなければ親友に相談する必要もなく、日常は淡々と過ぎていきます。その結果、気軽なおしゃべり程度の「ママ友」との薄い関係性が心地よくなり、とくに不自由を感じない人もいるのでしょう。自分の立場が学生、社会人、ママ、介護者など変わると、その都度友だちがいなくなる場合も。忙しさのなかで親友どころか友だち自体がゼロになることもあります。ライフステージの変化に合わせて関係性が途切れてしまうのは珍しいことではないようです。人生がうまくいっていないと感じているときは、誰とも連絡を取りたくないと思ってしまうこともあるでしょう。また親友がいないことを前向きに受け止める人もいます。人間関係は面倒なので最低限のお付き合いで十分、外食もおひとり様で困らないと割り切る姿は、大人ならではの自立したスタンスと言えるでしょう。
親友がいるという安心感
一方で「親友はいる」と答える人も少なくありません。共通するのは数は少なくても深い信頼関係があるという点です。
『高校のときからの友人がひとり。親しき仲にも礼儀ありで、何でも無遠慮に話すわけではないけれどね』
『私が信頼して、とっても好きな友人は数人いるけれど、向こうが同じように思っていないかも。でもそれでいい』
『ママ友からひとりだけ30年以上になる人がいる。バタバタ会えない時期もあったけれどね』
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また親友の存在が支えや安心感になっている人もいます。日常的に会わなくても「繋がっていると感じられる」だけで心が軽くなる。親友ががんばっているのなら、自分もがんばろうと思えることだってあります。親友は長い年月をかけて築いた関係だからこそ、ムリのない距離感で続いているのでしょう。
親友がいなくても満足できる人生を
こうしてみると、親友がいる人もいない人も、それぞれに人生を満足している模様です。大切なのは親友がいるかどうかではなく、自分にとって心地よい人間関係の形を選んでいるかどうかなのかもしれません。親友という言葉にとらわれなくても、夫婦や家族、知人との関わりで心が満たされているなら、それで十分。逆に、たとえひとりでも長く信頼できる人がいれば、それは何ものにも代えがたい財産です。学生の頃は、親友は大きな存在だったかもしれません。でも大人になると親友は必須条件ではなくなるようです。むしろ自分の生活に合わせて関係を取捨選択できるしなやかさこそ、成熟した人間関係の在り方なのでしょう。いなくても幸せに過ごせるし、いても安心できる。どちらも正解であり、自分に合った形で人との距離を選べるのが大人の強みなのです。
また「親友は旦那」というコメントもありました。何でも話せて、一緒にいて気を遣わない存在。それは親友の条件そのものかもしれません。投稿者さんも旦那さんが親友の存在。とても素敵な関係です。いつまでも大切にすると、人生がより素晴らしいものになりそうです。
文・岡さきの 編集・みやび イラスト・Ponko
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