
与田剛が明かす2009年WBC 守護神交代の真相(前編)
3月22日(現地時間)、ロサンゼルスのドジャースタジアム。第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝のアメリカ戦の8回表。
マウンド上の馬原孝浩は苦しんでいた。四球を挟んで二塁打を2本浴び、6対2と4点あったリードは2点差まで詰め寄られていた。地元アメリカの逆転を信じる大歓声が、スタジアム全体を激しく揺らしていた。
【プロ入り初のクローザー】
ブルペンでは日本代表の守護神・藤川球児がすでに肩をつくり終え、その傍らでダルビッシュ有は淡々とキャッチボールを続けていた。
その時、ブルペンの電話が突然鳴った。受話器を取ったのはブルペン担当コーチの与田剛。ベンチにいる投手コーチの山田久志からの指示は、非情かつ大胆なものだった。
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電話を切った与田は、ゆっくりとした足取りで藤川、ダルビッシュのもとへ歩み寄った。そして藤川の傍を通り過ぎると、ダルビッシュの前で足を止め、ひと言告げた。
与田の言葉を聞いたダルビッシュは戸惑いの表情を浮かべ、目をわずかに見開いた。そして右手の中指で自らの胸を指し、問い返す。
「えっ、僕ですか??」
最終回はダルビッシュでいく。それがベンチの下した決断だった。
「ダルビッシュには前日、山田コーチから『抑えの可能性もある』と伝えられていました。決勝も見据えて、準備はしていたはずです。それでも、あのアメリカ戦の緊迫した場面で、本当に自分に出番が回ってくるとは思っていなかったのでしょう」
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与田は、当時をそう振り返る。
プロ入り後、一度も経験したことのないクローザーという大役。その初陣が、WBC連覇をかけた準決勝の最終回となったのだ。
8回裏の攻撃で、日本は相手の失策やイチロー、中島裕之のタイムリーなどで3点を追加。リードを5点と広げたが、首脳陣の決断は揺るがなかった。
「点差が開いたからといって、準備がラクになるわけではありません。ダルビッシュは一度肩をつくっていましたが、二度目の準備、なにより"心の準備"がまだ整いきっていないように見えました」(与田)
9回表の守りへ向かうダルビッシュに、田中将大が「力水」の入った紙コップを差し出す。ダルビッシュはそれを軽く口に含むと、残るブルペン陣一人ひとりと拳を合わせた。最後に与田とグータッチを交わし、ベルトを締め直す。そして、真っすぐな足取りでマウンドへと向かった。
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ダルビッシュは、先頭のデレク・ジーターをショートゴロに打ち取ったが、つづくジミー・ロリンズには安打を許した。それでもデビッド・ライト、アダム・ダンを連続三振に仕留める圧巻のピッチングで、日本を決勝へと導いた。
【影を潜めた火の玉ストレート】
時計の針を、その一週間前のサンディエゴへ戻す。東京での第1ラウンドを勝ち上がった日本は、第2ラウンドが行なわれるサンディエゴに入った。
その第2ラウンドも3勝1敗で勝ち越した日本は準決勝に進出。だが、首脳陣には、ある不安が漂っていた。守護神・藤川の"不調"だ。第1、第2ラウンドで計4試合に登板した藤川は、被安打3、奪三振3、失点0と数字上はまったく文句のない結果だった。
ただ、メジャー公認球の滑りやすさと、レンガのように硬いマウンドが、全身のしなりを生かして投げる藤川のフォームを微妙に狂わせていた。「火の玉」と形容される藤川のストレートが影を潜めていることを、監督の原辰徳をはじめとする首脳陣は不安視していたのだ。与田が回想する。
「僕は、いかに変化球を操れているかという点に注目していました。球児には縦に大きく落ちる、いいカーブがありましたが、大会ではやや抜け気味だった。フォークも同様です。その点、ダルビッシュは球種も多く、うまくコントロールできている。僕もそう認識していました」
準決勝の前夜、山田はダルビッシュに「9回をまかせるかもしれない」と打診したが、ダルビッシュは「勘弁してくださいよ」と苦笑いで返していた。
一方で、与田には気がかりなことがあった。役割を譲ることになった藤川の心境である。
「投手陣には招集の際、『自分はこの場面でしか投げない』という考えは捨ててくれと伝えていました。野球の原点に立ち返り、打者一人ひとりと勝負してほしい、と。しかし、所属チームでエースや守護神を務める男たちにそれを強いることが、どれほど酷なことかもわかっていました」
大会中に守護神が代わるというのは、ひとつ間違えれば大きなハレーションを起こしかねない。それでもチームが瓦解しなかったのは、それぞれが己の役割をまっとうしたからだ。
「ダルビッシュが(リリーフでの)初登板で役割を果たせたのは、8回を投げた馬原の踏ん張りがあったからです。彼も不調に苦しんでいましたが、2失点で踏みとどまり、結果的に5点リードでダルビッシュへとつないだ。もしあそこで崩れていたら、その重圧は計り知れないものになっていたはずです」
アメリカ戦の翌日、与田はあらためて藤川と向き合った。配置転換への理解を求めるためである。藤川は静かに、短い言葉で「わかりました」とだけ応えたという。
「抑えの座を譲る球児の胸中は、察するに余りあります。彼はブルペンのリーダーであり、絶対的な存在でもありました。最後まで彼に大役をまっとうしてほしいという思いは、私のなかにもありました。それでも彼は、チームの勝利のために、普段どおりに振る舞い、後輩を支えてくれた。その献身こそが、最後に世界一という結果を手繰り寄せたのだと、僕は思っています」
つづく>>
