
2010年にデビューして以来、日常生活の中で見過ごされがちな感情の揺らぎや痛みを静かな筆致ですくい取り、過去に2作品が直木賞候補にもなっている彩瀬まるさん。
デビュー15周年目に刊行された『みちゆくひと』は、他界した両親の死後の様子と、天涯孤独の娘が生きる姿を通して、家族の喪失と再生を描いた長編小説だ。
言語化できない感覚がある
「私はこれまで、不思議な世界観の短編や家族に関する物語を書いてきました。今回の作品で、不思議なモチーフを使って物語を書くと、自分自身しっくりくる感覚があることを再確認できました。ようやく不思議なテーマと、生きることの難しさをきちんと融合できた物語が書けたような気がしています」
彩瀬さんは2016年に、震災を機に消息を絶った若い女性の死後の世界と、今を生きる友人の様子を交互に描いた『やがて海へと届く』を発表している。
「『やがて海へと届く』の死者の章は断片的な書き方をしていますが、今ならもう少し違う書き方ができるのではないかと考えました。また以前、『かんむり』という、夫婦を主人公にした長編小説を書いており、夫婦として結ばれたあとの二人の冒険譚を書きたいという気持ちがあったんです。
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夫婦というのは長い時間を共有する中で、生活の役割分担をどうするか、仕事をどうこなすかなど、一緒に乗り越える“冒険”がたくさんあると思うんです。本作は、死後の世界で夫婦が冒険をするような話にしたいというところから、物語が立ち上がりました」
物語は7章に分かれ、30代後半の娘の原田燈子、死後の世界に存在する母親の晶枝、父親の啓和のそれぞれの視点で描かれている。書き進めるうちに、彩瀬さんの中に、とある誤算が生じたそうだ。
「当初は、悲しい出来事を共有する夫婦の物語のつもりでした。燈子は実家の遺品整理をきっかけに、母の死後も綴られる奇妙な日記を見つけて両親の様子を知る。ある意味、お話を進めるための狂言回しのような位置づけで考えていたんです。でも、いざ書き始めたところ、燈子も一筋縄ではいかない人物だということがわかってきました」
燈子が小学1年生のとき、原田家は3歳の長男・輝之が事故で他界するという悲劇に見舞われる。晶枝は、そのつらさを死後も抱え続けている。
「友達などに、この本の感想を聞くと、死後に足掻く余地があるのは救いがあると感じる人もいれば、残酷だと話す人もいました。そもそも、私たちは普段の会話の中で、自分の生き死にのことを語る機会はほとんどないですから。その部分に、言語化できない感覚があるのだと感じました」
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作中には、さまざまな人の死後の姿が描かれており、その中には彩瀬さんの理想も含まれているそうだ。
目の前にある選択肢以外のものを選べるようになれば
「作中に、自分が死んだとわかった瞬間、光の龍のような姿になって望む場所へと飛び去った人もいましたが、私もそうなりたいという欲を持って、生きたいです(笑)」
輝之が亡くなったあと、啓和は晶枝を支え、燈子の世話をし、家事を回し、必死に仕事をこなす時期があった。
「燈子が大人に育った時点で、この夫婦はそれぞれの立ち位置で奮闘し、かなり頑張ったといえると思います。ただ、晶枝にも啓和にも心に傷があり、そうした両親に育てられた燈子にも当然、傷があるんです」
物語の中盤には、燈子が次のように自問する場面がある。
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《親に少し放っておかれたぐらいのことを、大人になっても引きずっている私は、無様で幼稚なんだろうか》
「この場面を書きながら、私自身も“燈子は幼稚なのだろうか”とわからなくなってしまったんです。最後の章を書き終わったときに、やはり燈子の傷は深刻だったのだと思い至りました」
物語の終盤に差しかかると、晶枝と啓和は協力して“道”をつくり、それは燈子にも前向きな影響を与えていく。
「本当は生きているうちに自分たちの気持ちを突き合わせて、夫婦で道をつくるに越したことはないと思うんです。でも、私たちはそのやり方を教わっていないんですよね。結果的に死後の両親の足跡をうっすらと見た燈子が、目の前にある選択肢以外のものを選べるようになればいいな、という気持ちで後半の物語を書いていました」
この夫婦の共同作業の場面にたどり着くまで、2年近い歳月を費やしたという。
「死後の夫婦のロードムービーのような物語にするつもりで、生前のお話は前座くらいの感覚でいたんです。でも、前座と思っていた部分がむしろ本番だったということに、執筆途中で気づきました」
実は彩瀬さんには、東日本大震災時に旅先で被災し、迫る津波に死を覚悟した経験がある。当時の実感がすべての物語の根底にあるという。
「ついさっきまで自分が歩いていた町が津波にのまれ、夜に高台から見下ろしたら、町があったはずの場所が真っ暗になっていました。そのとき、自分が世界だと信じていた像は不正確なものであり、生死を繰り返すことが命なのだと感じたように思います」
そう話す彩瀬さんは、本作の中で書けてよかったと思う場面があるそうだ。
人生どんなときも『いいチャレンジだったね』
「晶枝、啓和と死後の世界で出会う人のひとりが、『生まれるときって、だいたいいつもそうでしょう。危ないけれど、楽しみ』と話す場面です。“死ぬ”ことだけを考えると悲しく、怖いけれど、本来私たちは楽しい人生のために生まれてきて、チャレンジしながら生きている。だから、人生どんなときも『いいチャレンジだったね』と思っても、いい気がするんです」
死後の世界が描かれてはいるが、『みちゆくひと』は決して暗い物語ではない。
「不思議な場面がたくさんありますが、違う世界をのぞいてみるような感覚で、楽しんでもらえたらうれしいです」
最近の彩瀬さん
「仕事に疲れたときなど、料理を作ると脳が楽になるんです。原稿料が入ってお財布が豊かなときは、乾燥ポルチーニ茸と、いいベーコンを材料に、カルボナーラを作ったりします。普段はお豆腐などを喜々として食べていて、最近は、お豆腐にすりごまやみそを混ぜた白あえソースをマヨネーズ代わりにサラダにかけています。おいしいですよ」
取材・文/熊谷あづさ
彩瀬まる(あやせ・まる) 1986年、千葉県生まれ。上智大学文学部卒。小売会社勤務を経て、2010年『花に眩む』で「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞しデビュー。2016年刊行の『やがて海へと届く』が映画化され話題に。『くちなし』『新しい星』で直木賞候補となる。そのほか著書に、『骨を彩る』『かんむり』など、東日本大震災の被災記『暗い夜、星を数えて―3・11被災鉄道からの脱出―』がある。

