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2024年の創刊からわずか3号で累計発行部数42万部(2月18日時点)を突破し、話題を呼んでいる小学館の文芸誌『GOAT(ゴート)』。一般的な文芸誌の販売数が数千〜2万部であることを踏まえると、GOATの売れ行きがいかに規格外であるかが分かる。
【画像】売れないのは小説か、届け方か 時代に逆行した小学館の文芸誌『GOAT』、累計42万部の衝撃
GOATの読者属性は約7割が女性で、中でも20〜30代の若い世代に多く読まれている。なぜ、本から遠ざかっているといわれる若者がGOATを読むのだろうか。創刊の経緯や若者から支持される理由について、GOAT編集長の三橋薫さんに話を聞いた。
●紙の文芸誌の休刊からはじまった、時代に逆行する挑戦
GOAT誕生の背景は華々しいものではなかった。2023年10月、小学館が発行する紙の文芸誌『STORY BOX』がWebに移行し、小学館から紙の文芸誌は姿を消した。STORY BOXの編集長である三橋さんは、同僚の男性との立ち話でこんな会話をしていた。
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「やっぱり紙の文芸誌がなくなるのはさみしいね……。まったく新しいコンセプトで文芸誌を作れたらいいのに」
そんな何気ない雑談が、後のGOAT誕生につながっていく。とはいえ当時は、紙の文芸誌が休刊したばかり。新たな紙の文芸誌を提案するのは、時流に逆らう動きでもあった。「また紙の文芸誌を作ることは難しいと思いましたが、やれるだけのことはやってみようと思いました」と三橋さんは振り返る。こうして、GOATの企画は水面下で動き始めた。
「どの作家さんが書いてくれたら、新たな文芸誌の企画が実現するだろうかと考えました。すぐに頭に浮かんだのは、当社を代表する作家である西加奈子さんです。もし西さんが書いてくださったら、他の作家さんも続いてくれるのではないかと思いました」
三橋さんは西さんを担当する先輩編集者に相談し、執筆を依頼する機会を得た。三橋さんが持参したのは『小学館の新文芸誌(仮)』というタイトルのA4の企画書1枚。
「われながら、企画のまま終わってしまいそうなタイトルだと思いました」と三橋さんは笑う。
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西さんは「新しい文芸誌が出るなら応援したい」と賛同してくれた。多くの文芸誌が休刊していく現状をさみしく思っていたという。西さんと同様に、作品を物理的に読者に届けられる紙の文芸誌に愛着を持つ他の作家たちも書くことを約束してくれた。
●読書から遠ざかっている層を振り向かせるデザインと、ワンコインの価格設定
執筆する作家が少しずつそろい始めるのと並行して、三橋さんたちは文芸誌のコンセプトやターゲットを固めていった。
「読者層は『文芸誌を買わない層』に絞りました。本に興味はあるけど読書から遠ざかっている人、何を読んだらいいか分からない人が手に取ってくれる文芸誌というコンセプトです。新たに文芸誌を出す意義として、これまでになかったものにしようと思いました」
この読者層を狙おうと決めた背景には、三橋さんが以前から感じていた違和感も影響していた。
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「『若者の読書離れ』という言葉が嫌いなんです。私がひねくれているのかもしれませんが(笑)、暗に『読まない人が悪い』というニュアンスを感じます。でも、本を読まない人を振り向かせるために試行錯誤するのが私たちの仕事です。本から遠ざかっている人たちに何とかして小説の面白さを伝えたいと思いました」
読書から遠ざかっている人に手に取ってもらうには、買いたくなる文芸誌でなければならない。三橋さんたちが考えたのは所有欲をくすぐることだった。
「持っているだけでうれしいと思えるデザインにしたいと考え、若手デザイナーの沼本明子さんにデザインをお願いしました。沼本さんを選んだ理由は文芸のデザイン経験がそれほど多くなく、いい意味で『文芸らしいデザイン』という暗黙のルールを破ってくれると思ったからです。文芸らしくない、書店で存在感のある装丁にしたかったんです」
沼本さんからの提案は、三橋さんの期待以上に斬新だった。例えば、本紙には通常の紙の1.5倍以上の価格の「色上質紙」(パルプ100%の質の高い紙に染料で淡い色をつけたカラー用紙)を使いたいと提案された。
「その提案を受けたときは、『コスト的に難しい』とお伝えするつもりでした。ところが打ち合わせの場で楽しそうに話される沼本さんのパワーに感化され、『やりましょう』と思わず言っていました」
作家陣やコンセプト、デザインの方向性を固めるのと並行して、三橋さんは上司に相談を進め、状況を都度共有していった。社内の他部署も巻き込み、出版を決定する会議も行われ、少しずつ新文芸誌の発刊が現実味を帯びてきた。社内でもっとも議論が交わされたのは価格設定だった。
「こんな時代に紙の文芸誌を出すのだから、インパクトが必要です。普通の文芸誌と同じ価格だと埋もれてしまうし、若い世代が手に取りやすいワンコイン価格にしたいと提案しました。しかし、『これだけコストがかかるものを510円で出すなんてとんでもない』という意見も多かったです」
現在の一般的な文芸誌の価格は1000〜2000円だが、最終的に、GOAT(ゴート)という名前にひっかけて、510円に設定された。「いったん1号出してみよう」という意思決定で発刊が決まった。
しかし、「継続して発行できるか分からないので、『創刊』という言葉は絶対に使わないように」という条件付きだった。文芸誌単体での黒字を目指すのではなく、単行本での発売や映像化で収益を立てる中長期的な展開を見据えた決断だった。
有志で自然発生的に集まったGOATの編集部は、いつの間にか10人にまで増えていた。それぞれが本業の傍らで、GOATのプロジェクトに参加するというアベンジャーズのような組織だ。GOATに掲載する作品は、編集部員10人それぞれが「今、この作家の作品を読んでほしい」という自分の推しを集めて構成。ページ数は500ページを超えた。
「継続的に発行できるか分からない状態だったので、掲載するのは読み切り作品だけにしました。多くの文芸誌は小説を連載していますが、初めて文芸誌を手に取る人にとっては、途中から小説を読み始めるのはハードルが高い。読み切りなら一つの作品を読み終えるまでに時間もかからず、どの作品から読み始めてもいいので、小説を読みなれていない人も手に取りやすいです」
●ピンクと青で構成された分厚い断面に引き寄せられた読者たち
2024年11月27日、GOAT1号が発売された。特集は「愛」で、キャラクターであるヤギのGOATくんのかわいらしいイラストが表紙を飾った。500ページを超える冊子の断面はピンクと青に分かれている。この配色には、視覚的なナビゲーションの意味合いもある。特集テーマである「愛」にまつわる作品にはピンクの色紙を、特集以外の作品にはブルーの色紙を使用しているのだ。これも沼本さんのアイデアだ。
文芸のデザインらしからぬ風貌のGOAT1号は書店に高く平積みされ、ぜいたくに色紙を使った分厚い冊子に思わず目を奪われる不思議な存在感があった。発売初日の反響を知りたいと思い、書店で様子をうかがっていた三橋さんは、来店客が次々にGOATを手に取る光景を目にした。
「断面の美しさに引き寄せられてGOATを手に取り、価格を確認してレジに持っていく若い方を何人も見かけました。担当する本がこんなに手に取られているのを見たのは初めてのことで、すごいことになりそうだと手ごたえを感じました」
初日から完売する書店が出るほど評判になり、初版の1万部はあっという間に売り切れ、入手困難になるほどだった。その後増刷を重ねて、GOATは半年に一度の季刊誌となった。現在は3号まで発刊されており、累計部数は42万部超(2月18日時点)という異例のヒットとなった。GOATを購入しているのはどんな人たちなのだろうか。
「購買層の7割が女性で、20〜30代の若い方が中心です。小説だけが好きなのではなく、映画や演劇、ファッションなどのカルチャー全般に関心が高く、トレンドに敏感な方が多い傾向です。ファッション誌を買いに来た女性が、『表紙がかわいいから』とついでに買うようなケースも多いです」
これまで文芸誌を買ったことがなく、読書から離れている層に届けるという三橋さんたちの狙いは見事に当たった。510円という価格設定も功を奏した。タイパやコスパの意識が高く、失敗したくないと考える若者たちの心理にはまったのだ。
さらに、GOATは普段書店に行かない若い層にもリーチできた。その理由は、執筆者を作家に限定せず、普段は小説を書かない著名人やアーティストにも執筆を依頼したからだ。
「SNSでは『文芸誌ってよく分からないけど、買ってみた』という投稿も見かけました。手に取るハードルを極限まで下げる、という私たちの思いが届いたとうれしくなりました」
●小説をしんどくない身近なエンタメとして体験してほしい
GOATによって、新たな書き手との接点も続々と生まれた。ある作家からは「今、一番書きたい文芸誌」と言われ、その数カ月後には販売部数の多さから「書くのが怖い文芸誌」と言われたこともあったという。
さらに、GOATは文芸誌の枠を超え、多角的な広がりも見せている。想定外だったのはキャラクターのGOATくんの人気の高さだ。ぬいぐるみなどの販売に加え、読書をするための宿泊施設「BOOK HOTEL 神保町」「BOOK HOTEL 京都九条」では、壁一面にGOATくんのイラストが入ったコラボルームが展開されていた(現在は終了)。
「小説を読むには、1人で本に向き合う時間や、ある程度の読書筋力が必要になります。そこが敬遠されてしまう部分だと思うので、そのしんどさをさまざまな方法で取り払っていきたいです。一度小説が面白いという体験をしてくれた人は、きっと新たな本の読者になってくれるはず。そう信じて、これからも試行錯誤を続けていきます」
GOATが示したのは、小説は「売れない」のではなく、「届け方」が問われているという事実だ。若者の読書離れが指摘される中でも、体験として提示できれば、小説は十分にエンターテインメントになり得る。「本を読んでいる若者がかっこいい」――そんな新たな文化が根付く未来はそう遠くないのかもしれない。
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