「俺は逃げない」あの日の誓いを果たした4年間…原博実氏が大宮に残した、揺るぎない「ベース」と「希望」

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2026年04月17日 18:37  サッカーキング

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大宮の社長を退任した原博実氏[写真]=菅野剛史
 13日付けでRB大宮アルディージャの代表取締役社長を退任した原博実氏が、退任会見を実施。大宮で過ごした4年間を振り返った。

 三菱重工、三菱自動車(浦和レッズの前身)でプレーし、日本代表としても75試合に出場し37得点を記録している原氏。引退後は、浦和レッズ、FC東京で監督を務めた他、日本サッカー協会(JFA)やJリーグでも要職に就いていた。

 Jリーグ前チェアマンの村井満氏とともに2022年3月にJリーグを離れると、翌4月にフットボール本部長として大宮の一員に。クラブは『レッドブルグループ』の傘下に入った中、2025年には代表取締役社長に就任していた。

■「力を貸してほしい」——突然の就任と予想外の現実
 原氏は大宮に入った際の出来事をこう回想する。「大宮に来てちょうど4年ですね。Jリーグを副理事長の時に一緒にやってきた村井満チェアマンが退任するタイミングで、3月にJリーグを辞めました。最初に試合を見に来たのが大宮でした。その時、大宮が苦しんでいて、当時の佐野(秀彦社長)さんと秋元(利幸)という強化部長が尋ねてきて『力を貸してほしい』と言われました」。

 そこから4年。原氏はJリーグ副理事長時代には、村井チェアマンとともに外国企業のJリーグ参入を推し進めていた。そして、その後に自らがJリーグ初の外国資本が入った大宮で社長を務めることに。「大宮に来て4年、いろんなことがありました。特にレッドブルが我々の経営に参画することになりました」と語り、「まさか自分が来た大宮で経験するとは思いませんでした」と、率直な感想を口にした。

■自らを「つなぎ」と称し、新時代へのレールを敷く

 実際に『レッドブルグループ』を経験した原氏は「外資と一緒にやることになって、彼らの進め方や発想を共にできたことは幸せでした」と振り返る。当初は「ヘッド・オブ・スポーツ」というスポーツ部門の責任者であり、『レッドブルグループ』ではコマーシャル部門の責任者が通常は社長を担うものの、原氏に声が掛かることに。「驚きました」と当時を振り返った原氏は、「正直に言えば、私はそこへの「つなぎ」です。外資が入ってきて、チームカラーや名称が変わっても、サポーターやパートナーとうまく進めるためのレールに乗せるのが僕の仕事だろうと思っていました」と、日本サッカー界に様々な立場で関わってきた原氏が、初の外資参入という難しい局面で表に立つことに。ただ、それがスムーズに大宮の変化が受け入れられることにも繋がっていることは間違い無いだろう。

 このタイミングでの代表取締役社長退任の理由については「決算や株主総会が終わり、今後の話になった時に、新しいCEO(マーク・オーブリー氏)が来て、当初の通りその人が代表取締役になり、ヘッド・オブ・スポーツはスチュワート(・ウェバー)がいて、西村卓朗(スポーツダイレクター)も来て、これがベストだと思いました」と、今のタイミングが一番良かったと言及。4年前のフットボール本部長就任時には「もう一回の船に乗ったから。俺は逃げない。途中で苦しいからってクビになったらしょうがないけど、逃げ出しはしない」と言っていた原氏だが、「今回も逃げるわけではなく、このタイミングで一番良い引き継ぎをして次の人たちに託す。これだけ多くのスペシャリストの人がそれぞれの分野に入ってきた。それを繋いでいくのが僕の仕事だと思ったので、このタイミングがベストだと思いました」と、クラブの更なる発展に向けての最善のタイミングだったとした。

■「自分の責任だな」——どん底で見た横断幕と再建の道

 2018年から再びJ2を戦うことになった大宮は5位(2018年)、3位(2019年)と2年連続でJ1参入プレーオフに進出するも敗退。2020年には15位と低迷すると、2021年は16位と順位を下げ、原氏が就任した2022年は19位とJ3降格が目前に迫る状況となっていた。「当時Jリーグにいたので大宮の年間予算をだいたい頭に入れていました。ところが実際に来てみたら、予算がだいぶ減っていた」と思わぬ事態だったと振り返り、「大体そういう大変なクラブって、J2に落ちたりした時にチーム編成やバランスが崩れるんです。それを整理するのが、なかなか難しかった」と回想。就任1年目はなんとか降格を免れたが、2年目の2023年にJ2最下位となりJ3へと降格。最終戦の出来事は今でも鮮明に覚えているという。

「今でも覚えていますけれど、あの最終戦の横断幕。あれを見た時に『あぁ、自分の責任だな』と。自分も責任を取らなきゃいけないと思っていました。でも『逃げたくもない』という思いもありました。『やらせてくれるならやるけれど…』と色々な葛藤があった中で、そこからやらせてもらえた」

 J3に落ちてもチームに残ることとなった原氏。2024年は長澤徹監督を迎えた中でチームは復活し、J3でシーズンわずか3敗の見事な成績で優勝しJ2に1年で復帰した。「一番の転換点は、長澤(徹)監督に来てもらったことですね。彼はどちらかというと、監督よりも「支える側」として生きていこうと思っていたんだなと感じたのですが、彼の人間性や真っ直ぐな姿勢がこのクラブには必要だと思って、彼を連れてきてもう一度監督として引っ張り出しちゃった。でもそれによって、本当に大事なものや姿勢が生まれてきた」と、チーム内に変化が生まれたと振り返った。

■千葉戦の教訓と、変革への確信
 J2に昇格を果たした2025シーズンも好成績を収めた大宮だったが、J1昇格を懸けたプレーオフ準決勝でジェフユナイテッド千葉を相手に前半で3点リード。しかし、そこからまさかの逆転負けを喫する。「J3をぶっちぎりで優勝して、本当は去年そのまま(J1に)上がりたかったけれど、千葉に負けちゃった」と、チームに変化が見られた中で2025シーズンの最後は悔しい形で終了したことを回想した。

 ただ、この衝撃的な敗戦も糧にしている。「今はそれを教訓にしていて。この前のセレッソ戦(クラシエカップ準決勝 第1戦)も前半3点差だったけれど、『3点差は危ないよ』ってクラブ内で教訓として話したりしてね(笑)」と、女子チームであるRB大宮アルディージャWOMENでも教訓にしていると語り、「あそこからこう上げてきて、大宮自体のサッカーのスタイルもメンタルも少し変わったというのが、一番嬉しかったことですね」と、『レッドブルグループ』のなかで、チームとしての土台作りと成長を実感できているとした。

■「常識を壊して、超えていく」
 この先の大宮に期待することについては「新しい『黒船』みたいなもの」とし、「これまでの常識を壊して、そこを超えていく。いろんな問題もあるでしょうが、それがレッドブルが入ってきた一つの良さではないか」と、世界基準を持って日本のサッカー界をリードしていく存在になっていくだろうと期待を語った。

 原氏の退任発表の際にはファン・サポーターからも多くの感謝のコメントが寄せられた。チームがどん底に陥る中でクラブに入り、今は希望に満ち溢れている。「こちらこそですよ」と謙遜した原氏は「大宮とは縁がなかったけれど、今では「さいたまと言えば大宮だ」となっています。大宮に来て4年間やって、ベースができたかなと思うので、あとは優秀な選手やコーチングスタッフ、フロントが集まりましたから、その人たちが思い切ってやってくれれば。OBとして外から応援するのが一番いいのかなと思っています」と、締め括った。

 なお、原氏は18日に行われる明治安田J2・J3百年構想リーグ 地域リーグラウンド EAST-Bグループ 第11節のジュビロ磐田戦にて、退任の挨拶を行うとのことだ。

取材・文・写真=菅野剛史(サッカーキング編集部)

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