「夫が半年帰らず離婚」経営者の妻から一転、養育費も途絶。シングルマザーが“幻聴・幻覚”の地獄から這い上がれたワケ

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2026年05月24日 09:20  女子SPA!

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若林優子さん
 今、日本には全国で母子世帯数は119万5000世帯、父子世帯数は14万9000世帯のひとり親世帯が存在している(2021年度 厚生労働省の調査より)。

 40年前と比較すると1.5倍程度に増加しており、コロナ禍や物価高も相まって、貧困に直面する家庭も少なくない。

 そんな中で、ひとり親、貧困家庭に特化した支援を続けているのが、NPO法人子育て応援レストランの代表・若林優子さん。自身も、一人で子ども3人を育てながら、懸命に働くシングルマザーだ。

◆経営者の夫と離婚。養育費も途絶えた

 現在の活動に至るまでには、数多くの気づきと挫折の連続だったというが、最初に大きな壁にぶち当たったのは、夫との離婚だったという。

「当時、夫は経営者で、経営がとても順調で稼げるお金が増えたことで、人間関係も広がり、付き合いなども含めて、夜に飲みに出かけることが多くなりました。そうするうちに、だんだんと家に帰ってこなくなったんです。気づけば半年間家にまともに帰ってこない状態になりました。

その間も話し合いをしており、たまに家に帰ってくるので、そのうち冷めて戻ってくることに期待していましたが、最終的には『戻るつもりはない』の一点張りで、勝手に別の住処まで確保していたこともあり、離婚することになりました。ちょうど長男が受験期の中学3年生の15歳で、下の子どもが2人とも保育園に通っている時でした」 (若林さん・以下同)

 その後、養育費の支払いなどの取り決めをした公正証書を作成したが、1、2年経たないうちにすぐに入金が途切れてしまったそうだ。養育費や児童手当を収入に加えれば離婚しても何とか親子4人で暮らしていける算段だったが、養育費の支払いが滞ったことで、若林さんに最初のピンチがやってくる。

◆幻聴、幻覚に悩まされるように

「裁判を起こして養育費を回収しようと思った矢先、元夫の事業が立ち行かなくなり、結局回収できない状況に追い込まれました。最低限の生活を送るために、必要なものをすべて削る生活をしていたのですが、そうするうちに、どんどん精神的に追い込まれていきました。

一番つらかったのは、子どもの習い事に行かせられなくなったことですね。切り詰めてくると自分の精神が削れてくるというか、子どもが欲しいというものを買ってあげられない、欲しいものを満足に買えないという状況が続くと、どんどん絶望感も増していきました。あとは、帰ってくるはずだった元夫が帰ってこないということが、なかなか受け入れられなくて、その頃から幻聴や幻覚に悩まされるようになってきました」

 元夫はもう戻ってこないのはわかっているはずなのに、元夫が帰ってきた時のドアが開く音、階段を上がる音、寝室に入っていく音など、いつも聞こえていたはずの音が、勝手に聞こえるようになったという。

 ベッドに寝ていて、上から物が落ちてきて、お腹の上に落ちて確かに痛いのに、ふと気づくと落ちている物がなかったりという幻覚にも苦しめられ始めた。

◆心療内科や友人の力を借りながら、徐々に前向きに

 心療内科に行き、すがる想いで、1か月間精神安定剤を飲み、運良くその薬が合っていたこともあり、今まで当たり前になっていた自分の不安やマイナスの考えにフォーカスすることが少なくなり、心に余裕が出てきたそうだ。それを機に、徐々に周りが自分に伸ばした助けの手に気づけるようになったという。

「離婚直後は、人に会いたくないとなっていたのですが、安定剤によって生まれた余裕を通して、周りの人が心配してくれてた言葉が、自分に届くようになってきました。そうして人に悩みを相談したり、人の意見を聞けるようになった時に、知り合いに言われたんです。『やめたらここで終わりだよ』って。

厳しい言葉でしたが、もとの自分に戻ってしまいそうな自分に喝を入れてくれた言葉だったと今では思います。あとは友人とかが食材の差し入れをくれたり、子ども服のお下がりをくれたりとかしてくれて、その時本当に救われた思いが、今の子ども支援のベースになっています」

 その厳しい言葉や周りの温かな支援を通して、結婚していた頃の自分の姿を客観的に見ることにもつながったそうだ。

「夫に家にお金を入れてもらう、そして自分は家庭を守るというそれまでの当たり前が崩れると自分には自分を守るためのものが何もないということに気づきました。ここから1から立ち上がって、自立するために何か見つけないといけないなと。

離婚から1年前には自分で飲食店を立ち上げていましたが、元夫の会社の人が食べにきたりで賄えていた部分もあって、積極的に営業活動をしていなかったんです。自分の中にあったそういう甘い考えを正面から突きつけられた感覚もありました」

◆「帰ってきたくなる家」を心掛けた

 家賃も払えず、お店も赤字が続いて、これ以上借金も増やせないという地獄の日々の中で、それでも若林さんは唯一、心に決めていたことがあったという。それは、子どもに一度も泣き言を言わずに、子どもの前ではいつも笑顔で過ごすということだ。

「離婚など、親の都合で一番傷ついているのは子どもだろうなと思っていたので、私が子どもの前で、常に笑って過ごせるようにしていました。父親がいなくてもちゃんと楽しく、みんなで笑ってる家庭。帰ってきたら明るい状況、笑い声が常に響いてる状態、帰ってきたくなる家を心がけていました。親が安心して笑っていると、子どもも安心できるだろうと考えていました」

そんな若林さんの姿を見ていたからか、3人の子どもたちは一切、「寂しい」や「悲しい」などの泣き言を言ったことがなかったという。だが、数年後に次男に当時の話を聞いた時、思わぬ本音が出てきたそうだ。

「次男はパパっ子だったので、パパは外国に出張してるからと言って騙してたんです。元夫が大荷物を抱えて家を出ていく姿を、次男がちょうど廊下に出ていて見ていたそうなんですが、次男は普通に帰ってくると思って夜中まで廊下で待ってたみたいなんです。そんな寂しい思いをしていたのに、私には何も言わずに、みんな私を助けてくれました」

◆離婚後のパターンは2つに分かれる

 現在は経済的にも精神的にも自立し、同じような状況の人たちに寄り添う活動を続ける若林さんだが、「シングル女性は、2つのパターンに分かれる」と話す。

「自立する人と、誰かに依存する人に分かれますね。私の場合は、また前と同じように別の男性に依存して、同じことを繰り返すのが怖かったので、手にちゃんと職をつけて、生きていけるように自立していけるようにしようと思っていましたが、支援の中でいろいろなケースを見ていると、また別の誰かに依存してしまう人も多いです」

 その中で、若林さんはどのように自立の道を辿ってきたのか?

「自立するってことは、元の自分に戻らないことだと思うんです。離婚後に、『私が至らないせいで元夫が出ていった』などと、あらぬ噂を立てられて、心を痛めたこともありますが、それを機に元夫関係の付き合いや、学校の付き合いとか無理にしていた関係性を見直して、いらないところは削ぎ落とすところから始めました。

マイナスなほうにどうしても人は引き込まれますから、自分にとって本当に大事なものを見極めて、足りないところは向上できるようにする。今思うと、自立できていない時っていうのは、自分のことで頭がいっぱいでした。特に離婚して、失敗したと思っている人ほど、恥ずかしさや劣等感から人の目を気にして動けない人が多いんですが、人の目を気にせず頑張った者勝ちなんです」

 一つずつスモールステップで課題を解決していき、成功体験にしていくことで、自分だけじゃなくて人にも優しくできる余裕が出てくる。そんな時、若林さんは初めて、自分が“自立できた”と感じられたという。

 若林さんが行う子ども支援は、まさにご自身が辿ってきた苦労と自立の軌跡そのものといえるだろう。

<取材・文/SALLiA>

【SALLiA】
歌手・音楽家・仏像オタクニスト・ライター。「イデア」でUSEN1位を獲得。初著『生きるのが苦しいなら』(キラジェンヌ株式)は紀伊國屋総合ランキング3位を獲得。日刊ゲンダイ、日刊SPA!などで執筆も行い、自身もタレントとして幅広く活動している

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