首里桃原町の学校跡地に戻された「瑞泉学徒隊」を慰霊するずゐせんの塔=5月26日、那覇市 苛烈な地上戦で20万人以上が犠牲となった沖縄戦から81年。毎年、県内各地の慰霊塔で遺族らが犠牲者の冥福を祈り続けるが、高齢化が進み、塔の維持が困難になったケースも少なくない。23日は沖縄慰霊の日。記憶の継承の場をどう守り継いでいくかが課題になっている。
「ずゐせんの塔」は、沖縄戦に看護要員として県立首里高等女学校(首里高女、廃校)の生徒らが動員された「瑞泉学徒隊」を慰霊するため、1948年、那覇市首里桃原町の同校跡地に建立された。72年、学徒隊の多くが犠牲になった糸満市米須に移され、同窓生らが慰霊を続けてきた。
だが、塔を守ってきた瑞泉同窓会は、会員の高齢化で2024年に解散。首里高女には直接の後継校がなく、慰霊祭や塔の管理を誰が担うかが課題となったが、同じ首里地域にゆかりのある旧県立一中と首里高の卒業生でつくる「養秀同窓会」が手を挙げ、引き受けることが決まった。
その後、瑞泉同窓会の元会員から「母校跡地に戻したい」との声が上がり、塔は26年、再び首里桃原町に移設。5月、故人の魂を入れる「入魂式」が営まれ、関係者や地域住民らが冥福を祈った。
「先行きを案じていた。継承していただき、ゆかりの地に戻ったのは感慨深い」。瑞泉同窓会の元会長新元貞子さん(100)は胸をなで下ろしたが、引き継いだ養秀同窓会も高齢化が進む。同会の太田幸子理事(75)は「同じ首里で学んだ方たちの慰霊塔を見捨てられない」と力を込める一方、「管理を続けていくのは大変」とも語る。
18〜20年度の県の調査で、県内の沖縄戦関連の慰霊塔・碑約440基のうち、40基が管理者不明、4基が管理困難だった。県平和祈念資料館元館長の川満茂雄さん(80)は「塔は戦没者を悼み、記憶を継承する場。管理を個人や同窓会の善意に頼るには限界があり、財政面の課題はあるが、行政が関わらざるを得なくなるだろう」と語った。

取材に応じる新元貞子さん=5月26日、那覇市