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「象印マホービン」というブランド名を聞いてみなさんが抱くのは、どこか懐かしく温かい、家庭の食卓のイメージではないでしょうか。
いまや炊飯ジャーや電気ポットで日本一のシェアを誇る家電メーカーですが、こちらも実は大阪で創業された企業です。
創業者は市川銀三郎、金三郎兄弟。1918年(大正7年)、銀三郎氏が20歳、金三郎氏が17歳という若さで大阪市に「市川兄弟商会」を設立したのが始まりです。金三郎氏は電球加工の職人で、ドイツから輸入されてきた「魔法瓶」に興味を持つと、白熱電球の製造技術を応用して「中びん」をつくり始めました。そして銀三郎氏は注文を取り付ける“営業マン”の役割を果たしていました。
当時の魔法瓶業界の体制は、「市川兄弟商会」のような中びんメーカーが「問屋」に中びんを売り、金属のケース屋が「問屋」にケースを売る。問屋はこの両方を組み合わせて魔法瓶をつくり上げる、という三者構造で成り立っていました。その問屋はそれぞれ自社のマークを付け、独自のブランドで店に卸していました。
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「市川兄弟商会」も当初は中びんのみをつくっていましたが、創業から5年後には問屋の役割も担うようになりました。そこで、自社マークとして選んだのが「象」。
その背景にあったのは、ライバル企業の存在でした。魔法瓶で有名なもうひとつの企業といえば「タイガー」ですが、実はこちらも大阪創業。「タイガー」は、東南アジアで神聖な生き物とされる動物の「虎」をマークにして魔法瓶を売り出していました。
そこに対抗して選んだのが「象」と言われています。象は家族愛が強く、知性的で、アジアでは神聖で力強い動物として親しまれていました。また、鼻が長い象の姿は、温かいお湯を注ぐポットのイメージにも重なります。この「誰からも愛され、温もりのある家族のシンボル」という選択こそが、後の象印のブランドイメージを決定づけました。
当時は、魔法瓶は国内の需要はほとんどありませんでした。というのも、日本は水に恵まれており、量が豊富であるだけでなく生水でそのまま飲めるという環境下にあるため、わざわざ魔法瓶に入れて保管する必要がなかったからです。
そのため、製品の9割は、中国や東南アジア、インドなどに輸出されていました。これらの国では、良質の水は得られず、生水は不衛生で一度沸かさなければ飲めないので、どうしても沸かしたお湯を保存する必要がありました。そのため、魔法瓶が欠かせなかったのです。
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象のマークは輸出先のアジア諸国でも好評で、業績を伸ばしていきました。ちなみに、現在の象印のマークは可愛いらしいイラストになっていますが、初期のころはかなり写実的な象のイラストでした。時代と共に親しまれ方も変わってきています。
さて、これまでに紹介した象印、タイガーのほかに、ピーコック魔法瓶も実は大阪創業です。なぜ、大阪で魔法瓶がこれほどまでに発展したのか。そこには大阪特有の産業構造がありました。当時の大阪は特にガラス製品の製造が地場産業として根付いていました。電球の製造に必要な「吹きガラス」の技術を応用して真空の二重構造をつくる魔法瓶は、大阪の職人たちとの相性がよかったのです。
象印マホービンの歴史は、大阪の小さなガラス工場から始まりました。それは、目に見えない「温度」という価値を守り抜くための、終わりのない挑戦の歴史でもあります。
食卓に一台のポットがあるだけで、家族の団欒が生まれる。コーポレートスローガンの「きょうを、だいじに。」の通り、手作業で吹き上げたガラスは、より割れにくいステンレスの中びんに進化し、世界中の家庭の「きょう」を温かく守り続けています。
(大野 雄斗、在阪テレビ局の報道記者)
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※この記事は、書籍『大阪ビジネス』(大野雄斗/クロスメディア・パブリッシング)に、編集を加えて転載したものです。なお、文中の内容・肩書などは全て出版当時のものです。
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象印マホービン なぜマークに象?(写真:ITmedia ビジネスオンライン)126

象印マホービン なぜマークに象?(写真:ITmedia ビジネスオンライン)126