板東英二さん死去 中日投手で活躍 甲子園1大会83三振は今も最多記録 満州生まれ 86歳

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2026年07月28日 13:33  日刊スポーツ

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板東英二さん(2017年2月撮影)

プロ野球、中日の元投手で、引退後は野球解説者のほかタレント、司会、俳優など多彩な芸能活動を続けていた「板(ばん)ちゃん」の愛称で親しまれた板東英二氏が22日に慢性心不全のため死去したことが28日、分かった。86歳だった。満州生まれ、徳島県出身。


中国東北地方で生まれ、引き揚げた後、神戸市を経て徳島県板東町(現鳴門市)と移った。徳島商ではエースで4番、主将として、1958年の夏の甲子園に出場、準優勝に輝いた。初戦の秋田商戦で17三振を奪うと、決勝の柳井(山口)戦まで、現在でも最多記録となる大会83奪三振(6試合)を記録した。


特に日本中を沸かせたのが、準々決勝の魚津(富山)との対決で、相手投手の村椿輝雄との投手戦は延長18回0−0の引き分けとなり、自身は216球を投げ、25三振(1試合最多奪三振の参考記録)を奪った。なお、これが「18回打ち切り翌日再試合」規定の最初の対戦で、再試合は3−1で徳島商が勝利した。


59年、中日に入団すると、1年目から杉下茂監督のもと1軍先発として活躍し4勝。翌60年には2ケタ10勝、61年には開幕投手を務めて、12勝を挙げた。当時は権藤博、河村保彦、柿本実らと強力投手陣を形成したが、水原−川上監督の巨人全盛時代で、リーグ優勝は遠かった。自身は64年から中継ぎ、リリーフに転向し、65年からの3年間は2ケタ勝利を続けていた。


69年、引退。実働11年で435試合77勝65敗、通算防御率は2・89。オールスターには監督推薦で、60年、66年、67年と出場した。また66年8月26日の巨人戦(後楽園)の中継ぎ登板で、セ・リーグで初めての「1球勝利投手」になっている。


引退後はCBC(中部日本放送)やMBS(毎日放送)などで野球解説者として活躍。現役時代の同僚、高木守道とは親交が深く、74年には「燃えよドラゴンズ!」を発売するなど、古巣への応援を続けていた。最近では2018年、夏の甲子園100回記念大会の「甲子園レジェンド始球式」でマウンドにも立っていた。


◆板東英二(ばんどう・えいじ)1940年(昭15)4月5日、満州(中国東北地方)生まれ。58年、夏の甲子園に徳島商のエースとして出場、準優勝。準々決勝の魚津(富山)戦では村椿輝雄との投手戦で延長18回引き分け再試合。59年に中日入団。先発、救援投手として活躍、69年引退。通算435試合77勝65敗、防御率2・89、748奪三振。オールスターには3度出場。引退後は野球評論家を務める一方、パーソナリティー、司会、俳優などマルチタレントとして活躍した。「プロ野球 知らなきゃ損する」など著書も多数あり、「燃えよドラゴンズ!」などのレコードも発売。89年には映画「あ・うん」で日刊スポーツ映画大賞、プルーリボン賞、日本アカデミー賞のそれぞれで助演男優賞を獲得するなど映画出演も多い。

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  • 地獄の釜の蓋が開き始めてるから?まぁ、お疲れ様でした。
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