
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻以後、我々の目の前で繰り広げられているのは、SNSによって戦争がリアルタイムで消費され、世論が激しく分断される光景だ。
スマホ画面越しに戦争を“観戦”する現代社会において、「平和」や「日常」を守るとはどういうことなのか。戦争体験を持たない世代である東浩紀氏が、いかにしてフィクションやメディアを通じた「バーチャルな戦争体験」から問いを深めてきたかをたどった前編(「僕の戦争はバーチャル」哲学者・東浩紀氏が語る「平和ボケ」の自覚から始まる真実)に続き、この後編では、社会を覆うSNSの言説への抗い方を考える。
■ウクライナの街で見かけた「ミサイルのぬいぐるみ」
2022年2月から先、明らかに戦争はSNSを通じて24時間途切れなく流れてくるコンテンツと化した。スマートフォンを開けば、戦場の映像や悲惨なニュースがタイムラインを埋め尽くす。だが、実際に現地を訪れた東氏が目にしたのは、画面越しに見る「悲惨な戦場」とは異なる、したたかな現実だった。
「ウクライナに行くと、本当に驚くような光景に出会います。たとえばリヴィウという、すごく洗練された、同国の文化の中心地といわれる都市に行くと、国内の観光客が集まる土産品店にはミサイルや戦車、あるいはトルコ製の軍用ドローン『バイラクタル』のぬいぐるみが普通に売られているんです。 あれは買ってくればよかったな(笑)。
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だけど、それを見て『子どもに軍国主義を洗脳している』と解釈するのは、浅はかな見方です。実際に起きているのは真逆で、市民が自発的にそういうものを作って売っている。
つまり、戦争という異常事態を日常のなかに溶け込ませないと、とても精神的にやっていけない。悲惨さを乗り越えるための心理的な防衛策なんです。現地には、テレビやパソコンの画面越しには見えない、市民のたくましい営みがありました」
かつてベトナム戦争の現場に入った作家・開高健もまた、激しい戦火の傍らで人々がたくましく生きるホーチミンの享楽的な日常を描いた。しかし、現代のSNS空間は、そうした過酷な現実の多面性を削ぎ落とし、単純な正義と悪の図式へと回収してしまう。
「いまのSNSやメディアは、政治的に『正しいこと』しか言えなくなっています。ウクライナの日常や市民の複雑な感情をそのまま書こうとすると、『ロシアを擁護しているのか』『ウクライナを貶めているのか』といった政治判断が先行してしまう。社会の多様な側面を描くことが許されず、誰もが政治的な踏み絵を迫られる。SNSは構造的に、人間の思考を単純な政治性へと追い込んでいくシステムなのです」
それが政権与党であれ野党であれ、政治家がSNSで声高に叫ぶ「分かりやすい物語」に飛びつくことこそ真の危険。そう東氏は指摘するのだが、私たちの思考は短絡的で大げさなフレーズが飛びかうネット空間に馴らされつつある。
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■「平和ボケ」は誇るべき達成である
ここで東氏の思索は、前編でも触れられた「平和ボケ」へと移る。 世間ではよく「日本人は平和ボケしている」「もっと危機感を持つべきだ」という言説が語られる。だが、東氏の見解はまったく異なる。
「僕は、平和ボケで何が悪いんだと思うんです。戦後80年間、日本社会が深刻な軍事衝突に巻き込まれず、人々が安全な日常を享受してきたからこそ、『平和ボケ』でいられた。それは批判されるべき欠陥ではなく、戦後日本が成しとげた偉大な成果ですよ。
むしろ問題なのは、『平和ボケをやめろ』と叫んで、人々を政治的・軍事的な緊張感へ駆り立てようとする勢力です。ウクライナやガザの現実を見ればわかる通り、日常が壊されることこそが戦争の悲劇なんです。ボケていられる日常を守ることこそが、本来の平和の目的だったはずでしょう」
ただし、と東氏はつけ加える。
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「ボケたまま、何も考えなくていいという意味ではありません。『自分たちは平和ボケした社会に生きている』という自覚を持ちながら、政治やSNSがあおる安易な熱狂に流されないこと。日常の価値を噛みしめ、それを維持するために冷静でいること。それが、いまの私たちに求められている姿勢なんです」
■社会は政治より大きい――「敵と味方」の二者択一を超えて
戦争と政治が日常を浸食しようとする時代に、私たちはどう抗えばいいのか。この難問に対し、東氏はこう訴える。
「僕がいちばん言いたいのは、『社会は政治より大きい』ということです。 政治や戦争は、すべてを『敵か味方か』『正義か悪か』の二元論に塗りつぶそうとします。しかし、人々の生活、文化、家族の営み、くだらない雑談といった『社会』の領域は、政治なんかよりもはるかに広大で豊かです。政治の論理がどれほど過熱しようとも、社会の側がそれを呑み込んで無力化してしまうような、たくましさを持たなければならない」
権力側の同調圧力に歯向かった例として、東氏は太平洋戦争下のある文豪の姿を挙げる。
「戦時中、谷崎潤一郎は検閲を受けながらも『細雪』を書き続けました。国家が挙国一致で戦争に突き進んでいる最中に、大阪の裕福な姉妹の日常や結婚話を淡々と描き続けたわけです。これはすさまじい抵抗ですよ。
戦争を防ぐには、SNSに興じてばかりいるのではなく、みんな『細雪』を書けばいいんです(笑)。世のなかがどれほどきな臭くなろうとも、自分の目の前にある日常や生活、表現を手放さないこと。ひとりひとりが自分の場所で自分の『細雪』を書き続けることこそ、政治の暴走に対するもっとも根源的な抗いとなり得ます」
SNS上の政治的な議論は、もはやエンタメ化したとさえいえる。誰もがスマホで手軽に発信できるいま、この熱狂は制御不能に思えるが……。
「SNSを開けば、毎日、どこかで対立が起き、激しい言葉で殴り合っている。でも、そこから一歩離れれば日々の仕事があり、家族や友人との時間があり、おいしいご飯がある。政治の論理で頭をいっぱいにせず、個々人がそれぞれの日常に踏みとどまる。誰もが自分の好きなことに没頭できる環境こそが重要なのです。終戦記念日に私たちが思い起こすべきなのは、『ボケていられるほどの平和な日常』の尊さと、それを守り抜く意志なのだと思います」
間違っても「かつて日本は平和ボケしていた」と、過去形で振り返る未来にしてはならない。バズった挙句に世論が戦争へと傾斜しようとも、ひとりひとりが置かれた領域で自分なりの『細雪』を書き続けること。それこそが、我々が享受し続けてきた平和をいまこの場に繋ぎ止め、次世代へと手渡すための唯一の術なのだ。
(取材・文:鈴木隆祐)
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