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2016年リオデジャネイロオリンピック(五輪)競泳女子代表の今井月(24)が26日、インスタグラムを更新。現役引退を発表した。高校1年の15歳でリオ五輪に出場。3年前の東京五輪出場を逃し、パリ五輪での雪辱を誓ったが、3月の代表選考会で落選。その後、数カ月間の間、進退を熟慮し、第2の人生に進むことを決断していた。
本人のコメントは以下の通り。
「報道にもあった通り
競技を引退する事を決意しました。これまで、私の水泳を応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
3才の誕生日に水泳を始めて、当たり前に日常にあった水泳で日本一になりたくて、オリンピック選手になりたくて、小さなスイミングスクールで毎日必死に努力してきました。小学生の頃は泳げば学童記録が出せたり、初出場した日本選手権では3位になり、15歳でオリンピックという夢を叶えて、順風満帆な競技人生でした。
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ですがそのままうまくいくわけではなく、思い描いていた水泳人生とかけ離れている時間も長くありました。綺麗事なしで、早熟だった私にとって大好きな水泳が仕事のような感覚になってしまった学生時代もあったし、空白の数年間、選択を間違えたなと思う事は今でもあります。
それでも、東京五輪の選考会後、どん底だった私を救ってくれた飯塚先生や東京ドームのチームメイトに出会って、もう一度オリンピックを目指して練習してきた時間は、私らしくいれて、代表に復帰できた事、7年ぶりにベストを出せた事だけでなく、もう一度心の底から水泳が好きだと思えたかけがえのない時間でした。
飯塚先生を信じて、飯塚先生とならどんな結果になっても受け入れる覚悟で移籍をして、最後がどんな結果であろうが、誰に何を言われてもこの3年間やってきたことには間違いはないし、全く悔いはありません。
あれ以上、できなかった
そう言い切れます。
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だからこそ、3月のパリ五輪選考会では、パリに行けなかったらそこで引退する覚悟で臨みました。
たった一本、うまくいかなかっただけかもしれない。
まだ24歳で正直全然身体も動くし、沢山の人の「泳いで欲しい」という声で何度も奮い立たせようと思いましたが、今後自分が泳いでいる姿をイメージする事も、あの辛さ、それ以上のものを乗り越えていく自信はありませんでした。
どんな決断をしても、自分の選択が正しかったのかわからなくなる瞬間はきっとくると思ってます。ですが、時間がかかっても必ずこの選択をして良かったと思えるようにしていきたいです。
今回多くの時間をいただき今後の進路を考える中で、
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自分から水泳を取った時に何が残るのか、何ができるのかを考えて、自分と向き合ってきました。
今後は水泳を通して経験してきた事を形を変えて活かせる事ができればと思っています。
新しい挑戦になりますが変わらず応援してくださると嬉しいです。
今心の底から思うことは水泳に出会えてよかった
ほんっっと辛い事の方が多かったけど
小さい頃から沢山の方に応援していただけて
とても幸せな競技人生でした!!!
これまで、私の競技をサポートしてくださった
所属先のバローホールディングスをはじめ、スポンサー様、先生、チームメイト、トレーナーさん、多くの声援をくださったファンの皆様、本当にありがとうございました」
◆今井月(いまい・るな)2000年(平12)8月15日、岐阜市生まれ。3歳で水泳を始める。小6で50、100、200メートル平泳ぎ、400メートル個人メドレーの学童記録を樹立。中1で出場した13年日本選手権の200メートル平泳ぎで3位に入り注目される。16年リオデジャネイロ五輪では女子200メートル個人メドレーで15位。豊川高から東洋大を経て東京ドームスポーツに所属した。名前のルナは「月の女神」のラテン語読み。大型バイクのハーレーダビッドソンを乗りこなす。166センチ。
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