津波で消えた「映画の聖地」九十九里浜の釣り具店、ゆかりの品は今も

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2025年03月08日 08:46  毎日新聞

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愛用のカメラを持って海岸を散策する嶋田洋さん=千葉県旭市で2025年2月26日午前11時15分、近藤卓資撮影

 千葉県旭市にかつて「映画の聖地」として人気を集めた釣具店があった。撮影現場として使われた建物は東日本大震災の津波で浸水し取り壊された。だが、家の中で波をかぶった映画ゆかりの品々は、16人が犠牲になった14年前の被害を語り継ぐ証拠として、今も大切に保管され続けている。


 レトロな外壁が目を引く釣具店「しまだ」。九十九里浜などを訪れる海釣り客を相手に嶋田洋さん(77)が両親らと切り盛りしてきた。この自宅兼店舗を映画監督の岩井俊二さんがふらりと訪ねてきたのは1993年のことだった。


 当時、岩井監督はテレビドラマで放映され、後に映画化された「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の撮影現場を探していた。


 作品は小学生の駆け落ちをテーマにしたストーリー。「作品のイメージに合う」。撮影現場として使いたいという岩井監督の依頼を、嶋田さんの両親は快諾した。


 映画に登場する小学生の自宅という設定で、撮影は約2週間続いた。夜遅くに及ぶ日もあったが、根気よく演技する子どもたちに嶋田さんは心を打たれたという。


 ドラマや映画の放映後、夏場を中心にファンが訪ねて来るようになった。2階の子ども部屋が撮影時のまま残っていることに感激する人も多かった。「映画を見てからファンになりました。10年以上の念願がかないました」「貴重な資料を見せていただきありがとうございました」。備え付けていたサイン帳には約300人ものファンが書き込んだ。


 作品は岩井監督の出世作となり、ファンからは「聖地」として愛されてきた。だが、震災で一変した。


 あの日、嶋田さんは海岸線から約100メートルの場所にある自宅兼店舗の前にいた。経験したことのない揺れに驚き、家の外壁に寄りかかった。津波の襲来が頭をよぎったが、地震発生から約1時間後に押し寄せた第1波や第2波は近くを流れる用水路の水があふれる程度だったため、「これで終わった」と思っていた。その後も緊急避難を呼びかける防災行政無線は鳴り響いていたが、海岸沿いの道路では散乱したごみを片付け始める住民の姿もあった。


 嶋田さんは中学生だった60年にチリ地震津波も体験していた。東北・北海道を中心に死者・行方不明者は142人に上ったが、地元では目立った被害がなかったため「九十九里の砂浜には大きな津波は来ない」と思い込んでいた。


 しかし、午後5時過ぎ、静かな引き潮の後、最大7・6メートルに達する第3波が押し寄せた。自宅兼店舗にも一気に水が入り、タンスや仏壇が浮いて流れに従って回転した。ずぶぬれになった嶋田さんは父親、妻と3人で命からがら2階に避難。水位は階段の真ん中あたりにまで達した。


 1階の店舗に並んでいた釣り道具などの商品はほとんど使えなくなった。撮影の時にもらった台本や出演者らを収めたアルバムも津波をかぶった。


 嶋田さんの家族は難を逃れたが、約50メートル離れた場所で青果店を営むいとこ夫妻が逃げ遅れ、亡くなった。いとこの父親を避難させ、店に戻った時に第3波の直撃を受けたという。4歳年上で、兄のように慕っていた。津波で旭市では関連死を含めて16人が死亡・行方不明になった。


 映画の聖地になっていたこともあり、嶋田さんは被災後も修理して住み続けるか迷ったが、家族の安全などを考えてあきらめた。家は取り壊し、2012年に少し離れた高台に新居を構えた。震災前から餌や釣り具を求める客も減っており、店の再開も断念した。


 だが、思い出の品だけは手放すことができなかった。カメラを片手に訪ねてきたファンとの思い出が詰まったサイン帳も部分的にカビが生えたが、丁寧に乾かし保存を続けてきた。


 震災から14年。一瞬で大切な人やものを奪った津波の怖さは今も鮮明に覚えている。嶋田さんは言う。「撮影ゆかりの品々は津波の被害を物語る証拠。あの日の出来事を後世に伝えていくためにも大切にしていきたい」【近藤卓資】



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