法要が営まれ、遺族らが訪れる東京都慰霊堂=2023年3月10日、東京都墨田区 一晩で約10万人が犠牲になったとされる東京大空襲。市街地を襲った無差別爆撃を後世に伝えるための公設の資料館は存在しない。「風化が進む」。そんな声も上がる中、80年となる10日を前に、設立を求める動きが出てきた。
1月、映画監督の山田洋次さん(93)らを呼び掛け人とする市民団体が、東京都に平和祈念館建設を求める緊急アピールを公表した。「今こそ記憶を語り継ぎ、平和を求める声を発信すべきだ」。団体は署名を募り、今秋までに都などに提出する。
惨禍を伝える資料は、公の施設に全く残されていないわけではない。
大空襲などの犠牲者約10万5000柱が納骨され、毎年法要を営む東京都慰霊堂(墨田区)に併設された東京都復興記念館には、衣服などの遺品が展示されている。だが、展示のメインは関東大震災だ。同区立すみだ郷土文化資料館では体験者が描いた絵を鑑賞できるが、スペースは一部にとどまる。
原爆投下では、広島市と長崎市がそれぞれ広島平和記念資料館、長崎原爆資料館を設け、歴史を語り継いでいる。凄惨(せいさん)な地上戦が繰り広げられた沖縄にも、県立の沖縄県平和祈念資料館(糸満市)がある。
東京大空襲を唯一専門で扱う東京大空襲・戦災資料センター(江東区)は民立民営だ。設立には、頓挫した都の構想が関係している。
1973〜74年に「東京大空襲・戦災誌」を刊行した作家の故早乙女勝元氏らが都に設立を求め、都は92年に東京都平和祈念館(仮称)建設の方針を示した。だが、歴史認識を巡り都議会が紛糾。建設は凍結となり、早乙女氏らが寄付を募って2002年に開館した。
センターは資料約6000点を収蔵し、体験講話も聴くことができる。多い年には1万人以上が訪れ、運営費は募金や入館料などで賄われている。学芸員の比江島大和さん(42)は「展示やイベントの内容を自分たちで決められるのが一番の強み」と民立民営のメリットを挙げたが、人手や資料の保存スペース不足など課題も多いという。
山田朗・明治大教授(近現代史)は「被害は原爆にも匹敵する。世界史の中でも特筆すべき空襲による大量虐殺なのに風化が進んでいる」と危惧。「事実が忘れ去られては、教訓は得られない。戦争は国が始めたことで、国や都が施設を建設し、継続性を持って広く記録を残すべきだ」と訴えている。

東京大空襲・戦災資料センターで展示資料の説明をする学芸員の比江島大和さん=2月13日、東京都江東区

民立民営の東京大空襲・戦災資料センター=2月23日、東京都江東区