11日放送『わ・す・れ・な・い〜福島と能登〜語り継ぐ震災の記憶』より (C)フジテレビ 民放キー局5局とNHKは、2011年に起きた東日本大震災から10年となった2021年から、共同の防災プロジェクトを立ち上げ、各局が保管する震災の映像を交換し合うなどして、防災減災に関するドキュメンタリーやニュース企画を各局で制作・放送してきた。フジテレビでは今年、『わ・す・れ・な・い〜福島と能登〜語り継ぐ震災の記憶』を3月11日午後2時45分から放送する。またプロジェクトの一環として、フジテレビアナウンサーが『東北モノローグ』(いとうせいこう著/河出書房新社)を朗読、新たな形で東日本大震災の記憶を伝えていく。
【番組カット】東日本大震災の福島・楢葉町を襲った津波
未曽有の災害を決して忘れず教訓とするため、14年にわたり放送してきたシリーズ『わ・す・れ・な・い』。本番組はシリーズの最新作となる。去年に続き、今年も能登半島地震の避難行動を映像と証言から検証する。今回注目したのは、石川県・珠洲市宝立町で撮影されたドライブレコーダーの映像。そこに映っている人々の証言を多数集めることで、避難行動の一部始終が明らかになった。強烈な揺れによって倒壊した建物に逃げ道をふさがれた男性は、どうやって避難したのか・・・。津波が迫る中、住民同士の助け合いで救われた命・・・。一方で、なすすべもなく救えなかった命・・・。地域として災害にどう向き合うのか、数々の課題が浮き彫りになる。
東日本大震災から14年たった今も、原発事故による帰還困難区域が残る福島県。これまで津波の被害はあまり多く取り上げてこられなかった。今回、震災当時、楢葉町に住んでいた男性が撮影した貴重な映像から 10メートルを超える高さの津波の猛威が明らかに。この津波で姉を亡くした男性は、原発事故からの避難を続けながら自身の体験や町の様子を記録。撮影した写真は1万枚以上にのぼる。今もなお、姉の命日に合わせ、津波を撮影した高台から変わりゆく町の記録を続ける理由とは。
今回、福島の取材に向かったのは、フジテレビの高崎春アナウンサー。震災から14年、取材現場も世代交代が進む中、震災当時、小学3年生だった高崎アナは取材を前にある不安を抱えていた。「被災地に足を踏み入れても、実感が湧かないのでは」と。そんな中、出会ったのが「語り部」活動を続ける同世代の女性。若い世代や、震災を体験していない人々にも「被災地に来て、見たことや聞いたことをぜひ話してほしい」と語る女性の思いとは。
そして今回フジテレビでは、民放NHK6局防災プロジェクトの一環として、『東北モノローグ』(いとうせいこう著/河出書房新社)をアナウンサーが朗読し、音声コンテンツとしてネット上で展開する。
『東北モノローグ』は、著者のいとう氏が 東北を訪ね歩いて記録した、さまざまな声を“聞き書き”としてまとめたもの。この本の中から4章を奥寺健、斉藤舞子、宮司愛海、高崎春の4人のフジテレビアナウンサーが朗読する。葛藤を感じながら語り部として活動することを決めた高校生や、新聞記者を辞めて復興の仕事に携わる決断をしたボランティアなど、それぞれの思いにアナウンサーの語りの力を吹き込み、より多くの人にお伝えしたい。実際に震災を経験した「語り部」が減っていく中、「語り手」として東日本大震災を将来に伝え継ぐ新たな試みとなる。