セ・リーグ「台風の目」は中日?立浪政権とは対照的「井上新監督」が期待できるワケ

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2025年03月25日 16:50  ベースボールキング

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中日・井上一樹監督 (C)Kyodo News
 2025年のプロ野球は28日、セ・パ同時に開幕を迎える。混戦が予想されるセ・リーグは、連覇を狙う巨人を中心に、阪神やDeNAの前評判が高いが、虎視眈々と上位を狙うのが目下3年連続で最下位に低迷している中日だ。



 4年ぶりの最下位脱出、そして5年ぶりのAクラス返り咲きに向けて再建を託されたのは、昨季二軍で指揮を執っていた井上一樹新監督である。



 井上監督は、1990年から2009年まで、ドラゴンズ一筋で現役を全う。引退後は2度の評論家生活を挟み、中日と阪神で8年間にわたって一軍打撃コーチや二軍監督を務めてきた。



 立浪和義前監督の2学年下にあたり、現役時代はチームメートとして苦楽を共にした戦友である。ただ、新旧2人の監督は、選手としては対照的だった。



 立浪前監督は名門PL学園で主将を務め、3年生の時に甲子園で春夏連覇を達成。1987年のドラフトで中日に1位指名を受け、高卒1年目からレギュラーの座に就き、新人王にも輝いた。プロ22シーズンで2480安打を放ったほか、二塁打487本のプロ野球記録を保持する。まさにミスタードラゴンズの名をほしいままにしたスター選手であった。



 立浪前監督がスター街道を歩み続けてきたエリートなら、井上監督は雑草と呼べるかもしれない。



 立浪前監督から遅れること2年。89年のドラフトで2位と高く評価されての入団だった井上監督だが、もともとは投手としての指名だった。一軍デビューは意外と早く高卒2年目の時。ただ、投手としては一軍で計9試合に登板しただけで芽が出ることはなく、4年目の途中に打者転向を果たしている。



 ただ転向後も常時レギュラーを張り続けていたわけではなく、規定打席に達したのは1999年の1度だけだった。それでもチャンスで無類の強さを発揮する打撃で38歳まで現役を続けた。引退したのは奇しくも立浪前監督と同じ09年である。



 そんな2人は引退後も対照的なキャリアを歩んできた。立浪前監督は選手時代の晩年に兼任コーチを経験したが、引退後は野球日本代表の打撃コーチや臨時コーチを除けば評論家一筋。いわば“ぶっつけ”で監督に就任したことになる。



 一方の井上監督は豊富なコーチ経験を経ての監督就任だ。評論家として外部から見た経験も有していることや21〜22年に阪神で一軍ヘッドコーチを務めたことなどは大きな強みとなるだろう。



 さらに就任時のプレッシャーも対照的といえるかもしれない。ミスタードラゴンズとして再建を大いに期待された立浪前監督に比べると、井上監督は3年連続最下位からのスタート。ファンからのプレッシャーは立浪前監督ほどではないはずだ。特に1年目は大胆な選手起用や采配を振るえるのではないか。



 ただ、井上監督は就任早々「一丸となって勝つチームに成り上がるということが重大な責務だ」と自らにプレッシャーをかけ1年目のシーズンに臨んでいる。



 終えたばかりのオープン戦では18試合で6勝8敗4分と負け越しはしたが、井上監督の“色”も随所に見せた。得点力不足は相変わらずだったが、セ・リーグ6球団で最も多い14個の盗塁を記録。立浪前監督にはなかった機動力を絡めた野球を見せた。



 14盗塁がどれだけ多いかというと、立浪政権下のオープン戦で記録した盗塁数は3シーズン合計53試合で17盗塁。失敗が許容される時期にもかかわらず、機動力野球には後ろ向きだった。一転して、井上監督は「今年の中日は走ってくるぞ」とセ・リーグのライバル球団に印象付けたのではないだろうか。



 また、やみくもに盗塁を試みていたわけではなく、盗塁失敗は3回だけと成功率も高かった。つまり、盗塁を仕掛けるべきタイミングなどをしっかり見極められていたということだ。いざ公式戦が始まると機動力野球が鳴りを潜めるチームも多いが、今季の中日は積極果敢に走ってくる可能性は大いにあるだろう。



 ただ、そうはいっても中日が直面してきた得点力不足は課題として残ったまま。今のところ4番・石川昂弥に固執しているが、オープン戦では不振が続いた。果たしてどんなラインアップで開幕戦に臨むのか。再建に向けた新しい船出が始まろうとしている。



文=八木遊(やぎ・ゆう)

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