藤浪晋太郎が明かした阪神時代に苦しんだ制球難 「眠れなかったり、夢でうなされて起きたり、円形脱毛症にもなったり」

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2025年03月26日 10:10  webスポルティーバ

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大阪桐蔭初の春夏連覇「藤浪世代」のそれから〜藤浪晋太郎 全4回(4回目)

#3:藤浪晋太郎が振り返る大谷翔平との対戦、春夏連覇、そして大阪桐蔭での3年間>>

 2012年秋のドラフト会議で、大阪桐蔭のエース・藤浪晋太郎は4球団による競合の末、阪神への入団が決まった。

【入団1年目から3年連続2ケタ勝利】

 1年目から10勝を挙げ、新人王はヤクルトの小川泰弘に譲ったが、巨人・菅野智之(現オリオールズ)とともに新人特別賞を受賞。2年目も11勝、3年目も14勝と、極めて順調なスタートを切った。

「プロに入ったら、金属バットを持った森(友哉/オリックス)みたいなバッターが1番から並んで、クリーンアップにはさらにエグい人がいるイメージだったんです。そう思って入ったぶん、もちろんすごい選手はいますが、そこまで大きな差を感じずにスタートすることができました。僕のなかでは、今もですが、森が最高のバッターだと思っているので......森のおかげです(笑)」

 順調な歩みがずれ始めたのは、初めて2ケタ勝利に達しなかった4年目と思われがちだが、本人の感覚は違う。

「5年目の2017年からですね。4年目は、自分的には悪くなった。ただ、周囲からは2ケタに届かなかった2016年から悪いと言われ始めて......」

 たしかに4年目の2016年は、169イニングを投げ、防御率は3.25。セイバーメトリクスの各数値から見る勝利貢献度も、投手陣ではチームトップだったという。しかし、内外から7勝という結果に不満の声が漏れ、契約更改ではダウン提示。

 ついこの前のことのはずだが、当時のプロ野球は今ほど細かく数字を精査することはなく、とにかく先発なら勝ち星が大きな意味を持っていた。そんな時代のはざまで、藤浪の気持ちはくすぶり始めていったのか。

 気持ちが入りきらないまま、さまざまなアドバイスを受けていると、フォームや体の使い方が、自分の思っているものとは違うものになっていることがあった。

 この前後には、体の変調もあった。2015年シーズン終盤、右肩に違和感が出て、11月開催のプレミア12の代表入りを辞退。翌春のキャンプでも、右肩を気にしながら過ごした。

 ただ大事には至らず、シーズンも乗り切ったが、翌年3月にWBCに参戦。すると例年とは違う調整を強いられ、いつもと違うボールを投げ、加えて実戦不足......。大会を終え帰国し、3月末に二軍戦で調整登板を行なったところで、はっきりを異変を自覚した。

「その試合がすこぶる悪くて、自分のフォームじゃないという感じで。『あれ?』という感覚のままシーズンに入ったら、まったくコントロールが効かなくて......」

 そのシーズンの初登板となった京セラドームでのヤクルト戦。5回2失点ながら、9四死球の大乱調。ここからどっぷりと制球難の沼にのめり込んでいった。

【藤浪が苦しんだ「なんか違う」という感覚】

 ただ、藤浪の制球難について、大阪桐蔭時代の同級生に話を向けると、「もとからです」「甲子園がよすぎたんです」と、あえて笑みを浮かべて辛口評で返ってくる。そんな声に藤浪も頷きつつ、このように語る。

「抜けるのはもとからあったんです。気にしてなかったのは、次の球で修正する自信があったから。でも、それができなかったのがあの時で、指先の感覚が消えるイップス的な感じとは違って、どう言ったらいいのか......ボールをとらえられない、1球で立ち返れない。『なんか違う』というのが2017、2018年と続いて、なかでも一番やばかったのが2018年だったと思います。眠れなかったり、夢でうなされて起きたり、円形脱毛症にもなったり。あとで考えれば、おそらく軽い自律神経失調症のような感じだったと思います」

 思うように投げられないストレスに加え、周囲からはイップスを疑う声も上がった。しかし、ここははっきりと否定する。

「イップスだと言えば、周りは理解するのが簡単だからそれで片づけたい。でも、イップスはあんな次元じゃなくて、もっとボールを地面に叩きつけたり、怖くてマウンドに上がれなかったりする。でも、そうじゃない。『違うんやけどなぁ』『でも、世間はそう言うよな』って感じで思っていたのが、あの頃でした」

 一つひとつを振り返りつつ、今なにより思うのは自身に向けた反省だと語った。

「『あれ?』と思い始めたところで、オレはこれまでこういう投げ方、こういう感覚、こういう調整でやってきたよな、と信じきれなかった。なんか違うと思いながら、これが人間本来の動きだと言われると、その動きや形に寄せていこうとしたりして......。試すことは悪くなかったと思うんですけど、『変わらなきゃダメだ』『変えなきゃダメだ』という意識が強すぎたんだと思います」

 高校時代から現場に満足せず、「もっともっと」「まだまだ」と求め続けてきた。その向上心が「裏目に出てしまいましたね」と、藤浪はつぶやいた。

 2018、2019年とどん底の状態で苦しみ、復調の兆しは見えたが確信を持てるまでには至らなかったという2020、2021年を経て、「これをやっておけば......みたいなものが見えてきた」という2022年のプロ10年目のシーズンを終えたオフ、メジャー挑戦を決断した。

【野球が嫌いになったことは一度もない】

 状態も整ってきたところで、環境を変えようと思ったのだろうか。

「というか、単純に挑戦したくなりましたね。プロに入った頃から、大谷(翔平/ドジャース)ほどではないですけど、漠然とした憧れはあったんです。それに自分は、いま置かれているところよりもひとつ上の世界にチャレンジするような状況が合っている。常にムチを入れないとダメなタイプだと思うんで、そういう意味でも挑戦してみようと」

 アスレチックスでのメジャー1年目の一昨年は、先発でスタートするも結果を残せずリリーフに配置転換。すると投球が安定し始め、7月半ばにオリオールズへ請われて移籍。シーズントータルで64試合に投げた。

 オフにメッツへ移籍し、迎えた2年目は前年の中盤以降の投球から期待が高まったが、オープン戦から制球に苦しみ、マイナーへ降格。5月には右肩痛により故障者リスト入りし、結局メジャーのマウンドに立つことなくシーズンを終えた。

 マリナーズとマイナー契約を結んだ今季も、険しい道は容易に想像できる。それに加え、結果が出ない時はまた痛烈なバッシングも......。

「自分で言うのもなんですが、歯に衣着せぬといいますか......思ったことを口にするんで(笑)。でも、ほんとに思っていることなんで、嘘はつきたくないですし。藤浪がどういう人間か、知ってくれている人だけ知ってくれていたらいいかなと思っています」

 言葉を選んで話す時代に、ストレートな思いを口にする。言葉だけではない。取材場所にはふらっとひとりで現れ、帰国中も気が向けば公園でストレッチやランニング。合間には高校時代の思い出の味でもある『王将』の餃子を頬ばり、時にはテレビ番組や新聞紙面上で馬券予想を楽しむ。枠にとらわれることなく、生きたいように生きる奔放さ、人間臭さが藤浪にはある。ただ、際立つ個性ゆえの難しさが、この時代のなかではついて回る。

 そうした部分も含め、野球をすることがしんどい、辞めたいと思ったことはないのだろうか。

「それはないですね。野球が嫌いとか、辞めたいと思うことは、これまでどれだけしんどいと思った時でもなかったです。つらいということはあっても、それ以上にやっぱり野球が好きなんで。今も気がつけば野球のことを考えていますし、考えること自体楽しいので」

 さすがは西谷の目にかなっただけのことはある。生粋の野球小僧の気持ちがある限り、楽しみは続く。

【アメリカで挑戦を続ける理由】

 思い起こせば阪神からメジャーに渡る際、「捲土重来」「疾風に勁草を知る」といった言葉を交えながら、決意をこめて最後にこう締めていた。

「チャンスがあると思うから行くわけで、まだまだ自分自身に期待しています」

 そして今はどのような心境なのか。

「世間の人には鼻で笑われるかもしれないですけど、まだまだ本気でアメリカで一線級としてやれると思っているから、向こうに残っているので。自分に期待しています」

 大阪桐蔭での3年間も、「まだまだ」「もっともっと」と上を見続け、自分を信じ、ひたすら野球に打ち込んだ先の栄光だった。

 2012年の夏、甲子園で無双したエースも4月には31歳になる。この先、どんなプランを描いているのか。メジャー挑戦の時は、プロ10年を終えたタイミングでもあり、「折り返しです」と語っていたが、今回は藤浪らしい言葉で決意を伝えてきた。

「箱根駅伝で例えるなら、5区の山登りを終えて6区の山下り、いや、終盤の8区、9区に差し掛かっているかもしれない。あと何年できるという保証もないですし、今年ケガをして引退になるかもしれない。そう思えば、いずれ来る"終わり"を意識しながら、野球人生をどれだけまっとうできるか。大阪桐蔭のメンバーも、それぞれの場所で歯を食いしばって頑張っていると思うので、自分の場所で、月並みですけど悔いのないように。『オレの野球人生よかったな』『野球をやっててよかった』と最後にあらためて思えるように。そのためにも、もうひと花、ふた花、やってやるぞという気持ちです」

 藤浪との再会を西谷に報告すると、短くひと言返ってきた。

「今年はやってくれるでしょう」

 根拠はなく、ただ信じるのみといったところだろう。とにかく大好きな野球を、好きな場所で存分に味わってほしいと願う。

(文中敬称略)

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