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7日に鎮火が宣言された岩手県大船渡市の大規模山林火災。国内では平成以降最大の約3370ヘクタールを焼失し、今も現場には生々しい焼け跡が残る。2月26日の発生から鎮火までには41日を要し、住民らは地域の再建に向け少しずつ歩み始める。あの日々から間もなく2カ月。改めて関係者に当時の状況や課題を聞いた。【聞き手・工藤哲】
綾里地区公民館・村上芳春館長
――発生から間もなく2カ月になりますが、改めて地元の状況は。
◆綾里地区は火災で被害が大きく、発生直後から三陸公民館に避難し、住民側と行政側との調整役をしました。避難指示の解除後は家が焼失した方が綾里地区公民館に移って過ごしている人もいます。
住民の3、4割が漁業関係の仕事をしており、少しずつ港の船も動き始めていますが、定置網を含め漁具類の焼失も少なくなく、漁業は存亡の危機に直面しています。焼けてしまった家のがれきがそのままで、残った家でも焦げたにおいがします。焼け跡がそのままある限り記憶が鮮明で、なかなか気持ちが晴れません。
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多くの家が焼けてしまった港地区は東日本大震災前に100世帯ほどありましたが、津波で半分近くに減り、今回の火災でさらに15世帯ほどを失いました。残された住民には70代以上の高齢者が少なくなく、「この土地を守らなくては」と話す人もいますが、ここを離れるかどうか迷う人もいます。別の集落には家がほとんど燃えた所もあり、コミュニティーが再建・運営できるかが大きな課題です。
――改めて発生時を振り返ると、どのような状況でしたか。
◆強く印象に残るのが、延焼のスピードの速さです。2月25日に鎮圧した別の山から「煙が見える!」と住民から連絡がありました。地元の消防分遣所に通報したら既に不在で、様子を見に車で出かけました。その場所には煙は見えませんでしたが、別の場所では道路の下から煙と炎が上がっていました。身の危険を感じてすぐ引き上げ、公民館に戻って周囲を見ると、広く山全体から煙が出ており、直後に避難指示が出たので準備して避難しました。1時間もしないうちにどんどん灰が降ってきました。
火災が拡大した一番の原因は強風だと思います。あの強さで枝や葉が空を飛び交って至る所に延焼したのでしょう。
今後の課題の一つは、強風や乾燥の時の行政側の警戒の出し方だと思います。今までの警報では限界です。注意報にとどまらず、より強い火災警報や火の使用制限も検討の余地があるでしょう。もう二度と起こしてほしくありません。
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――避難所での生活については。
◆被害が局地的でライフラインの多くが残ったこともあり、足りないものはすぐに職員に声をかければ用意してくれたので、それほど不便は感じませんでしたが、自宅の状況が気にかかり多くの人があまり眠れなかったようです。
避難の時に最も欲しくて入ってこなかったのが、綾里地区の現場の情報です。自宅や作業場が一体どうなったのか。消防団員が断片的にLINE(ライン)などで画像を送ってくれていましたが、遠くからのメディアの写真や映像だけでは状況がよく分からず、不安を募らせた人が少なからずいました。
消防関係者は現場について多くの画像や情報を持っており、災害対策本部に「状況を見せて欲しい、教えてほしい」と頼んだものの「確たる情報ではないので発表は難しい」との立場で、結局見ることができませんでした。
火が鎮圧されて自宅に戻れた後、住宅地ぎりぎりの所で消防隊が火を必死で食い止めていたことが改めて分かったのですが、もう少し消火の状況や、活動の状況をリアルタイムで教えてもらえればより心理的な安定につながったはずです。
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――今後気になることは。
◆それぞれの家や家庭の再建が大きな課題ですし、ヘリから大量の海水がまかれた山の状況の再生も見通せません。山林の松や杉の木はおそらく再び植える作業が必要です。焼けてしまったことで山の保水力が落ちかねず、乾燥した場所からは石が落ちてきています。強い雨による今後の土砂崩れなども心配です。
地元で漁業に携わる人の中には、震災の時の津波で作業場が流され、今度は山側の自分の家のそばに建てたものの、火災で燃えた人もいます。出火の原因はまだ分かりませんが、人災だった可能性もあり、さまざまな憶測があります。行政を含めた関係者には、原因をしっかり調査・検証してもらい、何としても今後の教訓や再発防止に生かしてほしいです。
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