長嶋茂雄さん告別式、松井秀喜氏「私は長嶋茂雄から逃げられません。それが私の幸せです」涙こらえ最後の別れ【弔辞全文】

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2025年06月08日 16:06  TBS NEWS DIG

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肺炎のため3日に89歳で亡くなった巨人・長嶋茂雄終身名誉監督の告別式が8日、都内で行われた。

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喪主を務める次女・三奈(みな)さん、長男・一茂さんら親族をはじめ、V9の黄金時代の盟友である王貞治氏(85)、当時エースとして活躍した堀内恒夫氏(77)、中畑清氏(71)、江川卓氏(70)ら巨人関係者が参列した。

告別式の弔辞は、王氏、中畑氏に続き、監督時代の愛弟子である松井秀喜氏(50)が最後に述べ、恩師との数々の思い出を振り返り、感謝の気持ちを伝えた。

【松井秀喜氏 弔辞全文】

監督、今日は素振りないですよね。その眼を見ていると「バットもってこい、いまからやるぞ」と言われそうでドキッとします。でも今はその声を聴きたいです。ドラフト会議でわたしを引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。

タイガースファンだったわたしは、心の中でちょっとずっこけました。しかしそのすぐあと電話で「松井君待ってるよ」と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。監督はひとたびユニフォームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と2人で素振りをするときは、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。

監督が引退された年に生まれた私は、監督と現役をともに過ごした方々と同じ気持ちになりたくても、なることができません。その時代を生きていません。ですが逆に私はその野球の神様・長嶋茂雄というものを肌で感じていないからこそ、普段のふつうの自分自身で接することができました。それが私にとって非常に幸運だったと思っております。

監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。「何泣いてるんだ。タオルで涙を拭いてほら振るぞ」。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。

これからもそうです。それが私の幸せです。監督、私が現役時代、一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか?私はセンターを守っておりましたが、「監督、どうせなら私、サードやらせてくださいよ」とお願いしました。そしたら「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした。

ある日、素振りで監督のご自宅におじゃましたとき、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。監督は本当にジョー・ディマジオが好きなんだなと思って、またその選手のようになれと言ってくれたことに、本当にその時幸せに感じました。それから私は喜んでセンターが大好きになりました。

その時、監督は私がジョー・ディマジオと同じユニフォームを着て、同じグラウンドでプレーすることを夢にも思ってなかったと思います。もちろん私も思っていませんでした。

私が引退して監督に挨拶に行ったとき、「監督がジョー・ディマジオって言ったから私ヤンキース行ったんですよ」と言ったら、この笑顔をみせてくださいました。その時、はじめて私は大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました。

そして、今も遠く離れた場所にいます。日本に帰ってくる度、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない、でもその気持ちはいつも受け取っておりました。これからも、監督がなぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを自分自身の心の中で監督に問い続けます。今度は私が監督を逃がしません。ですから今日はありがとうございましたもさようならも私は言いません。今後も引き続きよろしくお願いします。そしてその強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。
 

このニュースに関するつぶやき

  • 松井よ。巨人の監督になれ。それが長嶋茂雄に対する最大の恩返し。そう、私は思う。
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