「Windows 95」発売から30年 パソコンが一番面白かった時代を振り返る

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2025年12月04日 16:40  ITmedia NEWS

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 日本で「Windows 95」が発売されたのは、今をさかのぼる30年前の1995年11月22日深夜のことであった。米国ではすでに同年8月24日に発売されており、そのレビューなどがPC雑誌等で取り上げられていたことから、日本語版への期待は大きかった。


【当時の写真】2005年、アキバにオープンした「ヨドバシAkiba」


 当時のPCとはどういう世界だったのかを簡単に振り返ってみると、80年代半ばからすでにビジネスユースや個人にはNECのPC-98シリーズが普及しており、OSとしてはMS-DOSが主流であった。DOS上で動作する「Windows 3.0/3.1」もあったが、結局DOSの方が使いやすいという人が大半で、Windowsには批判的な立場を取る人も多かった。


 90年代初頭に人気を集めたのが、米IBMの「DOS/V」である。これはMS-DOSの上に被せて日本語表示が可能な拡張環境で、専用ハードウェア不要で日本語表示できるということから、ある意味自作PCの火付け役のような存在であった。


 そこからPC-98以外の汎用PCのことは「DOS/Vマシン」と呼ばれるようになる。雑誌「DOS/Vマガジン」や「DOS/Vパワーレポート」の創刊が91年、その翌年には秋葉原に「DOS/Vパラダイス」、今の「ドスパラ」がオープンするなど、当時の秋葉原の路地では常にDOS/Vの呼び込みがこだました。


 筆者は90年頃は米Appleの「Macintosh」と「Amiga」を使っていたため、GUIでのインタフェースがむしろ標準だと感じていた。ただMacintoshもAmigaも、ハードウェアとOSがメーカー縛りになっている世界である。


 Windows 95の良さは、GUIを標準としながら専用機を必要とせず、DOS/Vマシンにインストールしてそのまま動くということであった。世界観が全然違ったのである。


 筆者は当時DOS/V機を持っていなかったので、Windows 95深夜発売の秋葉原の模様はテレビニュースで見た。当時はPCの発売がニュースになるようなことはなく、ましてやOSの発売がテレビでニュースになるというのは、異例のことであった。そもそもPCユーザーではない人には、Windowsが一体何なのかも分からなかっただろう。


 当時はインターネットも普及しておらず、PCに関する情報源はもっぱら専門雑誌であった。よって普通の人がPCの情報を知る機会など、ほぼなかったのである。


●PCを自分で作る時代


 90年代から徐々に立ち上がっていたPC自作ブームは、Windows 95の発売をきっかけに一気に盛り上がった。CPUやマザーボード、メモリ、HDD、カードスロットの規格も、より速くより高性能にと、どんどん変わっていった。だがデスクトップマシンのユーザーは、PCの買い替えではなく、パーツの入れ替えによって機器の延命を図ることができた。当時はゼロから自作をしない人でも、自作できるぐらいの知識を持っている人は多かった。


 秋葉原にはパーツショップが立ち並び、新しいパーツによってPC本体から押し出された古いパーツがジャンク屋に流れることで、1つのエコシステムを形成した。「Windows 98」が出る前ごろには、ジャンクパーツだけで型落ちPCが組めるほど、潤沢にパーツが出回った。


 メーカー製PCも、Windows 95の波に乗って順調に成長した。ただし主力は自作が不可能なノートPCであり、デスクトップマシンはよほどユニークなものか、ビジネス向けであった。筆者が初めて購入したWindowsPCは、96年発売のIBM「ThinkPad 535」である。


 一般ユーザー向けデスクトップマシンは、いわゆる「ショップブランド」が隆盛であった。メーカー製品より安く、しかもユーザーのニーズに合わせてカスタマイズして納入してくれる。


 ただ当時は、自作した方がまだ安かった。筆者も自作に詳しい友人たちに手伝ってもらって、97年頃にはどうにか1台自作PCを組み上げることができた。市販PCに比べてかなり低価格に作ることができたのに味をしめて、15年に執筆環境をMac Miniに移行するまで、何度も自作マシンを作った。途中01年にソニー「VAIO RX63」を購入したりもしたが、その時期以外はだいたい自作である。


●もう1つのWindows


 Windows 95の普及に伴って、日本にもインターネットが普及し始めた。今に至るコンピュータ系Webニュースサイトは、インプレスの「PC Watch」と「Internet Watch」が96年に、本サイト「ITmedia」はその前身である「ZDNet Japan」が97年に開始されている。


 一方で筆者は、94年頃からすでにGUIタイプのWindowsを使っていた。「Windows NT 3.5」である。これはMS-DOSをベースにしておらず、全く新しいアーキテクチャで組まれたネットワークOSであり、サーバ/ワークステーションOSとしてハイエンドユーザーに好まれた。


 Windows 95が米Intelのx86系プロセッサでしか動作しないのに対し、Windows NTはMIPSや米DECのAlphaプロセッサでも動作したので、ハイエンドワークステーションのソリューションを開発する会社から試作機を借りることができた。当時はAmiga用のCGソフトである「LightWave」や、米SGI用のCGソフト「SoftImage」がWindowsへ移植されたりした時期で、Windowsワークステーションが次の世代のCGプラットフォームになりつつあった。


 筆者はその会社のご好意で、会社のモデムにダイヤルアップ接続し、インターネットも早くから利用することができた。プロバイダーの代わりをしてもらっていたわけである。NetScape、FreeFTPの時代だ。


 まだ企業でホームページを持っているところは少なく、それこそ大手企業か、ネット系の企業ぐらいだった。ただパソコン通信と違って海外サイトへ接続するのに別料金が不要だったので、海外の便利ユーティリティーツールなどを入手するのは、当時としては画期的に容易であった。


 日本ではインターネット普及以前はそうした通信に代わり、PC雑誌がこぞってCD-ROMを付録につけるようになった。最初にネスケ(Netscapeのこと)をゲットするのはCD-ROMから、なのであった。


 Windows NTは96年に「Windows NT 4.0」となり、GUIが飛躍的に向上した。一方Windows 95は不安定だと言われたが、Windows 98になる頃にはかなり安定した。その後00年に「Windows Me」が登場したものの、その不安定さゆえに市場に大混乱を巻き起こした。


 Windows Meには自動バックアップ機能を搭載するなど、革新性もあった。しかしせっかくウイルス対策ソフトがウイルスを隔離してアーカイブしたのに、そのアーカイブをバックアップして増殖させていくのでウイルス対策ソフトがてんやわんやになるという、恐ろしい問題があった。


 米Microsoftはこの事態を収拾すべく、00年にWindows NT系の「Windows 2000」を出していたにもかかわらず、翌年にはWindows Meに代わってWindows NT系を統合した「Windows XP」をリリースした。


 当時PCの入門書を数多く書いていた筆者は、98、Me、XPとOSがどんどん変わるので、動作検証にてんやわんやであった。PCの入門書が一番売れた時代である。


●自作の衰退と秋葉原の変容


 Windows XPの登場と直接的な関係があるのか、その因果関係は判然としないが、01〜02年頃からPC自作ブームには陰りが出始めたように思う。


 実はこの頃から「DVD-Rブーム」が到来した。コンシューマー向け最初のドライブはパイオニアの「DVR-A03」だが、最初はドライブ単体の発売がなく、メーカー製デスクトップ機から搭載され始めたため、それをきっかけにメーカー製PCに流れた人が多かったのではないか。


 加えてPCでのテレビ録画ブームが広がった。アナログ放送であれば自由に編集やコピーができたので、録画機能とDVD-Rドライブ搭載のメーカー製PCがよく売れた。ソニーのVAIOシリーズが録画機能を充実させたことや、デザイン性を向上させたり、黒物メーカーしか持ち得ないテレビやレコーダーのノウハウを投入した個性的なデスクトップ機を多く輩出したことも、自作ブーム終焉のきっかけとなったのかもしれない。


 03年から地上波でデジタル放送が開始されると、DRMの関係から従来型のデスクトップマシンでは扱いづらくなっていく。ネックになったのは、ディスプレイが別、という構造だ。ディスプレイ端子を使ってキャプチャーされてしまうという懸念が広がったのである。代わってデジタルレコーダーの全盛期がやってくるわけだが、PCはモニター一体型マシンでその懸念を払拭し、ほぼテレビと一体化したような、独自の構造を展開していった。こうしたマシンは、自作やショップでは作れない。


 加えて、メーカー製PCの価格が下がり、もはや自作の方が高いという逆転現象が起こるようになっていった。これはインターネットの普及により、PCの販売が店舗からネット注文からの工場直送へ移ったという事情もある。


 こうした影響を受けて、04年頃の秋葉原では急速にPCショップの閉店が進んだ(参考記事)。代わって秋葉原の顔となっていったのが、アニメ・マンガ・メイド・アイドルといった「萌え文化」である。アダルトコンテンツもそれに加えてもいいかもしれない。もともとオタク気質な街であり、入手しづらいものが手に入るのが魅力の街ではあったのだが、主眼がハードウェアからソフトウェアへと移った、ともいえるだろう。


 「AKB48」が最初の公演を行ったのが、05年の秋葉原である。今となってはAKBが何の略だったのか誰も気にしなくなったが、「アキバ」であることは間違いない。AKB劇場があるビルは現在「ドン・キホーテ秋葉原店」となっているが、もともとは「ミナミ電気館」である。それが「T-ZONE」になったり、ラオックス系の「アソビットシティ」になったりしたが、最終的にはドン・キホーテに落ち着いて現在に至る。


 同じ05年には駅の東側が再開発され、「ヨドバシAkiba」がオープンした。駅の西側に展開する旧ショップ街との対立構造がうわさされたが、実際には人の流通は円滑で相乗効果もあり、街を二分するほどのことはなかったように思う。


 06年の「Windows Vista」発売時には、ヨドバシAkibaにて深夜販売が実施された。だがすでにWindows 95やWindows 98の時のような熱狂はなく、当時の記事によれば購入者よりもむしろやじ馬やマスコミの方が多いといった状況であったようだ。すでにVistaの頃にはオンラインアップデートが一般的になっており、わざわざ物理パッケージを購入する必要性も薄かった。


 正直Windows Vistaは、Windows Meと並んで印象の薄いバージョンである。約3年と寿命が短かったこともあるだろう。09年にリリースされた「Windows 7」は、安定性にも優れ、今でもベストと言う人は多い。


 12年の「Windows 8」は、GUIが大幅に変更されたことで不評であり、その後の迷走につながった。タブレットの対応やクラウドサービスの対応、スマートOSを意識したデザインなど多くの革新性を持っていたが「なんでWindows 7じゃダメなんだよ」という声が多かった。


 筆者もこの頃、あまりの使いづらさにWindowsの使用を諦め、執筆環境をMacへ移行した。それ以降は時々しか触っていないので、詳しいことは別の書き手へ譲りたい。


 しかし考えてみれば、今の若い人はOSが有料パッケージで売ってた時代というのを知らないのだろう。その点では、Linuxの発展やMacOSの無償アップデート化などが、そうした時代へ引導を渡したといえるのかもしれない。


 現在筆者は、古いマシンだが「Windows 11」をサブ機として使っている。久しぶりに触るWindowsは、8の混沌と絶望から比べれば随分と7の時代に戻ったようにも感じられる。結局OSに求められる機能とは、何かのサービスとの融合ではなく、シンプルに下回りを固めてくれるもので良かったのではないか。


 26年は米GoogleがPC用OS「Aluminium OS」を準備しているといわれており、AIとOSの融合が果たされるようだ。だがWindowsの歴史が語るように、何かとの融合はいらんのじゃないか、という気もする。多分旧来のPCらしい使い方をしたい人には、余計なお世話になるのだろう。だが同じ市場で競争が生まれることは、悪いことではない。


 Googleも秋葉原で発売イベントをやるのだろうか。Windowsのイベントには結局一度も参加していないので、やるなら行ってみたい気がする。



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  • その昔、秋葉原のT-ZONE前にてWin95解禁時に街頭インタビューで「お盆と正月がいっぺんに来たみたい」�ٻλ�����ʴ򤷤����とかってはしゃいでたアノ時のオバちゃん、今でも生きてるんだろうか?�ܥ����äȤ�����
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