木造2階建ての一軒家に一人残された今も、立木さんの生活範囲はこの部屋のみ。床に敷かれた布団を中心に、服や生活雑貨、コンビニで買った食べ物、飲み物が手の届く範囲にまとまっている80代の親が50代の子供の世話をするいわゆる「8050問題」が深刻化している。’25年には団塊世代の全員が後期高齢者となり、引きこもりの子供を残したまま、親が亡くなるケースが増加しているのだ。社会との繫がりを断った「大人の引きこもり」が親亡き後に辿る過酷な現実に密着した。
◆40〜64歳の引きこもりは約85万人
親の死後、残された人生をどう生きるか――。内閣府の’22年度の調査によれば、15〜64歳のうち推計146万人、実に50人に1人が引きこもり状態(半年以上にわたって家庭にとどまり続けている状態)。年齢別は、40〜64歳の引きこもりが約85万人と大きな割合を占める。
そんな働けずに社会から離れたまま年を重ねた引きこもりたちに今、「親の死」という現実が迫っている。引きこもり状態を金銭面で支えてきた親の死後、彼らはどんな現実に直面するのか? 立ち行かなくなれば多くは生活保護に頼らざるを得ないだろう。実際、生活保護受給者の全体数は減少する一方で、65歳以上の受給者は増加し続けている。
まさに日本全体で考えなくてはいけない社会的課題だが、そんななかで「生活をなんとか立て直そう」ともがく中年引きこもりたちがいる。親が亡き後に再起を期す引きこもり中年の姿に密着した。
◆父の遺産で食い繫ぐも…
「自立しないといけないことはわかってるよ。だけど……」
町工場が密集する東大阪市の一角、築40年になる木造2階建ての家にたった一人で住む立木和之さん(仮名・51歳)の声がむなしく響く。彼が引きこもるようになったのは10年前、大学卒業後から勤めていた自動車工場をリストラされたことだった。
「会社のために尽くしてきたのに、事業縮小を理由に突然解雇されました。当時は『なんで俺が』って怒りしかなかった。それで人と会うのが嫌になって、昼夜逆転の生活に。でも食事は親が用意してくれるし、家にお金を入れなくてもいいって言われてたから、カネを使うのなんかコンビニくらい。貯金が100万円あったので焦りもなかったです」
生活の一切を親に任せる気ままな生活は、8年前に父親が肺がんで他界しても変わることはなかった。
「なんとなく具合が悪い様子だったけど、看病は全部母親に任せっきり。さすがに死んだときはびっくりしました。でも遺産の200万円と母親の月8万円の年金でやりくりすれば、当面の寝食には困らないなと思ったんですよ」
◆高齢母まで病に倒れてしまい…
そう悪びれる様子もなく語る背景には、一度も親元を離れたことがない影響も大きい。
「親がいれば何不自由ない生活ができて、 家賃や光熱費などの“ムダ金”もかからないじゃないですか。だから、高校も大学も職場も実家から通えることを第一に決めたんです。再就職も考えましたが、以前と同じ職種で、手取り25万円くらいの仕事なら簡単に見つかると思ったのに、100社以上に応募しても書類すら通らず、嫌気が差しました」
そんなとき、長きにわたる引きこもり生活を揺るがす事態が起こる。2年前から糖尿病治療を行っていた母親の容体が悪化して、今年1月に緊急入院。医者から「そう長くはない」と宣告された。
「弟は結婚して家を出ていて、見るのは自分しかいない。『こんな状態で働けるわけがない』と就活もやめました。母が入院するときに二つの通帳を預かっていて、一つは生活費や治療費に使う年金用の口座、もう一つが『絶対に手をつけないで』と釘を刺された貯蓄用。合わせて100万円もなく、初めて事の重大さに気づきました」
◆本当の苦闘は始まったばかり
一人残され、ようやく親亡き後の生活の恐怖が現実味を帯びてきた。弟には、「実家を売って生活保護の申請も考えてほしい」と言われたが、立木さんは納得していない。
「持ち家があると、生活保護の対象にならないのは知ってます。でもこの家を失えばもう住む場所がないし、両親が守ってきた家を自分のために売る決断はできなくて……」
自身の貯金額も20万円を切っているが、「両親の貯金があるうちは絶対に1円も使いたくないです」と開き直った。
「ずっと楽して生きてきたから、今さらしんどい思いをして働く意味がわからないし、先のことは考えないようにしています。養ってくれる人がいれば結婚も考えたいですが」
現実逃避が許される日々の終わりは近い。彼の本当の苦闘は始まったばかりだ。
◆引きこもりを長期化させる親との歪な関係性
「引きこもり状態は、怠けでなく“みずからの命を守る行動”なんです」
心のケアの専門家として20年以上も引きこもり支援を続ける「NPO法人ふらっとコミュニティ」代表の山根俊恵氏が説く。
「生きづらさを抱えた人が傷つき、社会と一時的に距離をとるため家にこもるのは、自己防衛反応の一種。外の世界がとてもツラいからこそ、最も安全な“避難所”として自宅を選ぶのです」
だがその避難所も、当事者を追い詰める場になる恐れがある。山根氏はその背景に“共依存”を指摘する。
「かわいそうと、必要以上に親が先回りして世話を焼いてしまうと、子供の動ける力を奪ってしまいます。親が倒れたときに子供は何もできず、途方に暮れるしかなくなります」
◆事態を長期的に悪化させる要因は…
さらに、親の期待の押しつけの連打が、事態を長期的に悪化させるという。
「“わんこそば理論”と呼んでいますが、『あなたならできるでしょ』と、善意のつもりで期待を一方的に押しつけると、子供は拒否もできず逃げ場を失ってしまいます。避難所だった家が危険地帯に変わってしまえば、ますます部屋から出ようとは思えなくなります」
親の優しさと子供の自立。その断絶を埋める鍵は、任せる勇気にある。
「支援現場で感じるのは、困らないよう手出しするのではなく、できそうなことをお願いして感謝することのほうが大事だという点です。ありがとう、助かった。この言葉こそ、外の世界と再び繫がる第一歩なのです」
子を思う気持ちが逆に生きる力を奪ってしまう可能性もあるのだ。
【NPO法人ふらっとコミュニティ代表 山根俊恵氏】
山口大学大学院医学系研究科保健学専攻教授。著書に『ひきこもり“心の距離”を縮めるコミュニケーションの方法』など
取材・文/週刊SPA!編集部
―[親の死後を生きる[引きこもり中年]の苦闘]―