宮城県山元町産業観光課の菊地卓さん=1月13日、同町 「やっと応援できる立場になった」―。東日本大震災の津波で甚大な被害を受け、2024年3月に最後の一人が復興庁に復帰するまで、全国の自治体などから計約700人の応援派遣を受けた宮城県山元町には、大災害時に互いに助け合う精神が根付いている。同町産業観光課の菊地卓さん(46)もそれを強く思う一人。同年元日、能登半島地震が起きると、自ら志願して被災地の石川県穴水町に赴き、1年間、復旧・復興に携わった。
能登地震発生後ほどなく、山元町が現地に職員を応援派遣すると聞き、迷うことなく手を挙げた。大震災の時、火葬場が被災し、町は犠牲者を一時的に土葬せざるを得ないほど平時と異なる業務に追われ、「全国の自治体からの応援に助けられた」との強い思いがあったからだ。
妻には、派遣が決まれば応募すると伝えていた。長男は中学2年、長女は小学5年で、「少し手が離れていた」ことも背中を押した。
同年4月8日、単身、車で穴水町に入った。建物の倒壊や道路の損傷は激しかった。「やれることはやろう」と心に誓ったのを今も覚えている。被災家屋の公費解体業務に就き、他の自治体からの派遣職員と共に連日、申請の受け付けや書類審査、業者との調整に当たった。山元町からの派遣と知った被災者から「大震災は大変だったね」と声を掛けられることも少なくなかった。
同年夏、自らの発案で、穴水町の祭りに山元町のブースを出展した。同町の佐藤兵吉副町長らが訪れて地場産品などを販売し、売り上げを寄付した。「大震災の時も、応援の職員が派遣元自治体の特産品を販売し、山元の祭りを活気づけてくれた。それがとてもうれしかったから」と当時を振り返る。
菊地さんの献身的な働きぶりは、穴水町で高く評価された。当時の様子を知る同町環境安全課の浜中誠課長補佐(48)は「気概があり、仕事に向き合う姿勢は天下一品。住民からも信頼されていた」と語る。
穴水町を第二の故郷のように感じるという菊地さんは「いまも復興状況が気になって、ニュースを見てしまう」と話す。当時、青森県や鹿児島県などからの派遣職員と一緒に穴水町のために働いた記憶が色あせることはない。「助け合いはいいですよね」。被災地が歩んできた15年間が詰まった言葉だ。

取材に応じる宮城県山元町産業観光課の菊地卓さん=1月13日、同町

取材に応じる宮城県山元町産業観光課の菊地卓さん=1月13日、同町