何を書けば良いの?「学校に登校できない」級友への手紙と想像力

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2018年08月23日 08:02  JIJICO

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不登校の級友へ手紙を書く取り組み、当事者の葛藤


「学校に登校できない級友に手紙を書く」という取り組みが「登校できない本人」にどういう気持ちで受け止められているのか、と言う話題がメディアで取り上げられています。


手紙の内容が登校できない本人の気持ちにフィットしているかが問題

「手紙」にはメッセージを直接伝えられるというメリットもありますが、やはり問題はそこに何が書かれているか、と言うことでしょう。自発的に書いた手紙ではなく先生の指示で一斉に手紙を書かされているのだとすれば、どうしても「学校に来てほしい」という先生の意図を汲んだ文面になりがちです。たとえその思いが純粋なものであっても、それが登校できない本人の気持ちにフィットしたものかどうか、そこが問題となります。


登校できない心情を推し量る想像力が重要

心理的、身体的、社会的なさまざまな背景をもつ不登校児の気持ちに寄り添うためには、彼ら一人ひとりの心情を推し量る想像力が必要です。そこを抜きにして「学校へ来てほしい」「待っているよ」だけではあまりにも表面・形式的な文面でしょう。「手紙に何を書くか」と言うこと以前に、登校できていない本人の気持ちを「少しでもわかりたい」という思いをこめて彼らの心情を推し量る「想像力」を養うことが必要なのです。


親や先生も子どもの心情を想像することが「共感性」にも通じる


この「想像力」の問題は子どもたちだけの問題ではありません。例えば「学校に行きたくない」と子どもが言い出した時に親や先生はどのような理由や背景を想像できるでしょうか。『勉強がわからない』『友達にいじめられた』『先生とうまくいかない』など以外にも『親を困らせたい』『人が怖い』『人からどう思われているかが心配』『校則に縛られるのがいや』『気力がわかない』『朝起きられない』『兄弟と比べられるのが辛い』などざっと考えただけでも10以上の可能性が想像できます。


現実はこれらの理由が組み合わさる上に、さらにそれに対してどういう声かけをすれば良いか考える必要があり、この想像力の問題は「共感性」にも通じる大変重要な問題なのです。


共感性のワーク「ロール・レタリング(役割交換書簡法)」とは


また、手紙は交互に返信し合うコミュニケ―ションでもあります。そういう手紙の特性を生かした共感性のワークとして「ロール・レタリング(役割交換書簡法)」という方法があります。これは例えば不登校の級友にまず自分から手紙を書きます。そしてその次にその手紙への返事を「相手になったつもりで」書いていくのです。


さらにその返信を読んで、再び相手への手紙を書くという、一人で自分と相手の立場を入れ替えながら何度も手紙を書いていく方法です。これによって自分の関わり方の傾向やそれに対する相手の思いに気付くきっかけにもなります。


先生方自身がまず率先してロール・レタリングをやってみると良いのでは


「学校に登校できない級友への手紙」に取り組む前に、まず先生自身が率先してロール・レタリングを含む想像力を養う取り組みをされて見てはいかがでしょうか。「学校に来てほしい」という思いを書いた後、次に手紙を渡される本人の気持ちになってみる。忘れられていなかった、という嬉しさの反面、わかっていても登校できない自分をさらに責める気持になるかもしれません。


相手の気持ちを想像して思いやる学校風土が求められる

そのさまざまな気持ちを返信として自分に書き、さらにそれを読んで再びどういう返信を書くことができるか。これらのやり取りには、先生方と子どもたちの「手紙をもらった本人の気持ちへの想像力」が求められます。新たにこのような手紙を書かざるを得なくなるような級友を産まないためにも、こういう体験の積み重ねを通じて「相手の気持ちを想像して思いやる学校風土」こそが求められているのではないでしょうか。



(岸井 謙児・臨床心理士・スクールカウンセラー)

このニュースに関するつぶやき

  • …話した事も数回だろう、良く知らない人に対して「頑張って学校来てね」って杓子定規以外の事なにも言えないだろ?何の疑問持たずやるその行為、結構残酷だぞ?
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