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80年代と90年代は獣医師に憧れる子どもが多かった。理由は、『わくわく動物ランド』や『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』といった動物をテーマにした番組がゴールデンタイムに放送されていたり、獣医師学科に通う学生たちを描いた漫画『動物のお医者さん』(佐々木倫子/白泉社)が大ヒットしていたからだろう。
筋金入りの動物好きだった筆者は、どのコンテンツも大好きで、番組は欠かさずチェックしていたし、小学校の卒業アルバムの「将来の夢」には「動物のお医者さんになってムツゴロウ王国で働きたい」とも書いた。
だが、北海道大学獣医学部を卒業して獣医師免許を取得し、北海道の浜中町に移住する夢をみていた筆者は、『動物のお医者さん』連載終了間際には、その夢を捨てた。
今日は、そんな自分の過去を振り返りながら、名作『動物のお医者さん』について語っていきたい。
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■シュールなギャグと名言が多い勉強漫画
佐々木倫子著『動物のお医者さん』は、1987年から1993年にかけて『花とゆめ』に連載された少女漫画だ。
物語は、高校三年生の西根公輝と二階堂昭夫がH大の敷地を歩いていて、怖い顔をした子犬と出会うところから始まる。子犬の里親を探していたH大教授の漆原は、高校生らしからぬ落ち着いた雰囲気を持った公輝に、子犬を押し付けることに決めた。もともとH大を志望していた公輝だったが、子犬を飼うことによって発生する病院代などを節約するために獣医師を目指すことになる。
大学に通い、国家試験を受けて獣医師になるまでを描いた作品なので、もちろん勉強の内容も多い。実験や細菌や臨床、学会、論文、就職といった、子どもには理解できない内容や展開も含まれる。
それでも子どもから大人までを魅了したのは、随所に散りばめられたシュールなギャグと、名言の数々だろう。それらは前後の流れがあってこその面白さなので、全てを書き出すことはしない。
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しかし、多くの読者が、ネズミを「尻尾を剃られたリス」だと認識してしまったり、ネズミの気配がすれば「壁の裏はネズミの卵でいっぱい」ニヤついたり、ショックなことが起こって気絶してもペットの猫を離さなかったり、ヨークシャーテリア(とツルリヌルリとしたチワワ)の鳴き声に「ワシワシ」の擬声語をつけたり、小さい犬の名前を「スコシ」と名づけたがったり、市役所を「しやくそ」と心の中で呟くくらいに、ハマるのだ。
そうして、ギャグと名言(時に迷言)を堪能しつつ、獣医学部や北の大地の厳しさ、動物と人間の関係、スナネズミの可愛さ、羊の目が横向きの三日月であることなどを楽しく学ぶこととなる。
■北大の獣医学部はとにかく魅力的
『動物のお医者さん』の舞台であるH大は、北海道大学獣医学部がモデルになっており、連載中は北大獣医学部の倍率が跳ね上がる社会現象が起こった。それもそのはず、漫画でみる限り、北大の獣医学部はとにかく魅力的で楽しそうなのだ。
筆者が現役読者だった頃はまだ小学生だったが、自分もいつの日か北大獣医学部に行って、学友らと切磋琢磨しつつ、牛の直腸検査をしたり、羊の毛刈りをしたり、細菌の入った冷凍庫で冷やされたアイスクリームを食べようと思っていた。
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■シベリアン・ハスキーブーム到来
しかし、筆者の夢は連載終了前にして終わった。シベリアン・ハスキーブームがやってきたのだ。
シベリアン・ハスキーは、『動物のお医者さん』第1巻第一話で西根公輝が押し付けられた「怖い顔をした子犬」だ。のちの「チョビ」と名づけられれたメスのシベリアン・ハスキーは、先住ネコと先住ニワトリと複雑な生育環境により、とても内向的で忍耐強く、無駄吠えもしない物分かりが良い性格の犬という設定になっている。
このチョビに憧れ、日本にはシベリアン・ハスキーが溢れた。
しかし、シベリアン・ハスキーはもともと寒い地域出身で、犬ぞりやドッグレースにも参加するような体力のある犬種であり、大型で、遠吠えをする。どの犬種にも共通して言えることだが、人間がリーダーであることをきちんと示して躾しなければ、手に負えなくなってしまう。そして、筆者が住む街には、「飼い主が持て余したシベリアン・ハスキー」がたくさんいた。近所でもっとも有名だったのは、遠吠えできないように声帯切除手術をされた2頭のハスキーだった。鎖に繋がれ、ろくに散歩もしてもらえず、掠れた声で必死に吠えようとする彼らをみて心が痛まない日はなかった。
今の日本なら住宅事情や経済状況を考えて大型犬を飼育しようと考える人は少ないだろう。しかし、当時は空前のバブルで一軒家の建設が相次いだ。高額なものが好まれ、シベリアン・ハスキーも飛ぶように売れたのだ。
■そして特定の犬種ブームが始まった
数年もすると、シベリアン・ハスキーを街で見かける頻度は一気に下がり、ゴールデン・レトリバーやラブラドール・レトリバーといった比較的穏やかと言われている犬種が好まれるようになった。
そして、バブル崩壊後は大型犬より癒しを与えてくれる小型犬が好まれるようになり、ウェルシュコーギー、チワワ、ミニチュアダックスフント、トイプードル、豆柴といった犬種のブームがやってきた。
特定の犬種が人気になると、必ずと言って良いほど乱繁殖が起こり、障害犬が生まれる。幼さゆえの純粋な心で動物全般を愛していた筆者は、命が商品として消費される仕組みに大いに傷ついた。そして、両親から聞かされていたスピッツブームの悲劇が繰り返されたことにも驚いた。
スピッツは、「よく吠える」ので番犬でもてはやされたが、時代の流れと生活スタイルの変化に伴い「吠えてうるさいから」と姿を消した。人間のエゴで、再び特定の犬種が悲しい道を歩んでいる。
■一貫して、いかに動物の飼育が大変で責任が伴うのかを書いた
まるで『動物のお医者さん』がハスキーブームを煽ったかのような書き方をしたかもしれないが、『動物のお医者さん』は動物の飼育が簡単だとは言っていない。
むしろ、一貫して、いかに動物の飼育が大変で責任が伴うのかを書いている。ハスキーの性格にしても、「チョビが特別なだけ」ということは再三にわたって触れられており、陽気で騒がしく人見知りもしない犬ぞりレース出場犬のシーザー率いるハスキー軍団が標準のように描かれている(はずだ)。
捨てられた動物を引き取った人々が苦労しつつも根気強く付き合う様子や、可愛いからといってモモンガを安易に飼育しようとしてはいけないことなども描いている。『ラスカル』によって訪れたアライグマブームと後の問題を直接的には書いていないが、病院の待合室にアライグマを連れてきている飼い主が小さく描かれていることもあり、さりげなく「捨てない。最後まで面倒を見る」を啓蒙している姿勢も伺えうことができる。
ハスキーブームが起こってしまったことは作者の佐々木倫子氏にとって、決して喜ばしい流れではなかったのではないだろうか。
■コンテンツの影響力を考えるきっかけに
そして、獣医師免許をとってムツゴロウ王国に就職したいと考えていた幼い頃の筆者は、『動物のお医者さん』を取り巻く一連の社会現象をみて、北大進学の夢をひとまず横に置いて、メディアの影響力と動物愛護について深く考えるようになった。ライターになったのは『動物のお医者さん』だけが理由ではなく、複合的な理由からきているが、きっかけのひとつになったことは紛れもない事実なのだ。
初めて『動物のお医者さん』を読んだ日から、25年近くが経過した。その間に、日本経済は元気を失い、ムツゴロウ王国は北海道から東京に拠点を移し、再び北海道に戻って行った。さまざまな動物に囲まれていたムツゴロウさんの元には、犬1頭と猫1匹だけがいるらしい(自分より長生きするだろうと言っていたインコはどうなったんだろう…)。
このコラムを書くにあたり、久しぶりに『動物のお医者さん』を読んでみた。キャラクターが流行に流されない服装や性格だからか、古さを感じさせることなく、今でも変わらず楽しめた。ただ、バブル当時と今では読み手の意識が違う。
どちらが良いのかはわからないが、筆者は目指さなかった北大と獣医の夢を追いかけていれば、どんな人生になったのだろうと思いを巡らせた。
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