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評論家の荻上チキ氏による書籍『もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル』(新潮社)は、相手の合意を得たうえで、ふたり以上の恋人やパートナーを持つ「ポリアモリー」について、日本に暮らす当事者100人以上に取材・調査してその実態を伝える国内初のルポルタージュだ。不倫や浮気とは何が異なるのか? 嫉妬の感情は生まれないのか? 社会のなかで抱える困難とは? 今なお日本ではあまり理解が進んでいないポリアモリーについて、荻上チキ氏の見解を聞いた。(編集部)
認知も理解も低いポリアモリー
ーーポリアモリーとは、複数愛者のこと。〈一対一の恋愛を前提とするモノガミー=単数婚と異なり、複数の相手との関係性を指し示す言葉〉だと、ご著書の『もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル』(新潮社)で書かれています。本作のなかにあったように、浮気を正当化していると思われてしまったり、なかなか理解されづらい概念ですが、荻上さんが本書を書こうと思ったきっかけはなんだったのでしょう。
荻上チキ(以下、荻上):ポリアモリーについての文献は、英語なら千件以上の論文が見つかるのに対し、日本ではほとんど研究がなされていないんですね。2015年に深海菊枝さんが『ポリアモリー 複数の愛を生きる』という本を出していますが、アメリカでのフィールドワークをもとにポリアモリーを実践する人々について書かれたもので、やはり日本の実像については浮かび上がってこない。認知も理解も低いなか、日本の当事者たちはいったいどのように暮らしているのだろうと思い、「ポリーラウンジ」などを通じて、当事者にお話を聞くようになりました。
ーーポリーラウンジは、本書にも登場する、ポリアモリーに関心のある人たちによる交流会ですね。
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荻上:はじめは個人的な関心だったのですが、現状を言語化することによって、ポリアモリーであることによる生きづらさに折り合いをつけられる人もいるかもしれない、と思ったんです。それで、2020年ごろから本格的に、書籍にまとめるための取材をはじめました。日本に限らず、近代社会ではモノガミー規範が強く、一対一の恋愛関係、一夫一妻の結婚制度があたりまえになっています。それ以外の感覚を有することは否定的に語られがちな社会では、自分がポリアモリーであることを前提に誰かに相談したり、他者との関係を調整したりするのは難しい。だから、ポリアモリーの概念をいったん整理し、具体例をあげていくことで、前提を共有し、彼らが人間関係を構築していく手掛かりになる本になればいいな、と。
一対一ではなさそうな関係性があらわになったとき、日本では「謎の生活」「奇妙な関係」といった表現をもちい、フリークスな存在として扱いがちです。ポリアモリー当事者にとって、こうした報道は「どうやら自分たちは見世物になりかねない存在なのだ」という意識を植え付けるだけで、ではそう言う自分とどう折り合いをつけて生きていけばいいのか、という参考にはまったくならないわけです。
ーーたしかに、ますます誰にも言えず、苦しい思いをするだけですよね。
荻上:一対一の恋愛関係については、テレビやネットなどのメディアを通じて、たくさんの事例が紹介されているから、初心者でも「例のやつ」をやってみよう、と先行事例を参照しながら臨むことができます。一般的な恋人たちは、これくらいの頻度で連絡をとるらしい、デートはこういう場所に行くらしい、でも自分たちは毎日LINEをしなくても大丈夫だね、クリスマスだからといって外に出かけなくてもいいね、というように調整をはかることができるわけです。でもポリーには、そのベースがなく、ゼロからの手探り状態であることが多いから、ざっくり言うと「ポリーの恋バナ集をつくっていろんな事例を紹介してみよう」というのが本書の目的です。だからおそらく、ポリー当事者の方が読んでも、共感できるケースもあれば、受けつけられないものもあるでしょう。属性が同じだからといって、みんながみんな同じ恋のスタイルをとるわけではない、というのはモノガミー規範の恋バナと同じですね。
モノであろうとポリーであろうと、浮気の概念も人それぞれ
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ーーもちろん人にもよるでしょうが、本書に登場するポリーの方々は、複数を愛する自分を受け止めてもらうために試行錯誤していますよね。同時並行でお付き合いする場合は優劣をつけたり、相手が不平等を感じたりしないように、一人ひとりに誠意を尽くす。目の前にいる人を尊重して関係を構築しよう、という点においては、一対一だろうと対複数であろうと同じなのだ、とあたりまえのことに気づいて、はっとしました。
荻上:共感性が高くできるだけ他者を傷つけないようつとめる方もいれば、自分本位で相手をないがしろにすることに罪悪を感じない方もいる。それは個人の資質によるものであって、ポリーであるかモノであるかは、また別の話なんですよ。ポリーであることに開き直って、パートナーを悲しませながら複数恋愛する人もいますが、モノであっても、DV思考で他者を縛りつけ横暴にふるまう人はいますからね。
ただ、一対一という前提がないポリーの場合、自分以外の誰かと関係性が結ばれる可能性が常に残されている。だからモノ志向のパートナーに対して、自分には一番や二番といった区別はなく、あなたのことがとても大事で、ともに過ごす時間が必要なのだということを、丁寧に言葉と行動で示すことによって、わだかまりのない関係を築いている方もいます。
ーー相容れない価値観について、関係を続けるために話し合い、譲歩しあうという点では、ポリーもモノもあまり変わりはない気がしますね。
荻上:そうですね。モノであっても、代替不安……自分の居場所を他の人にとって代わられるかもしれない不安を抱く人はいるでしょう。それは相手が社交的だからかもしれないし、自分のコンプレックスが強いせいかもしれない。話し合おうとしても「めんどくさいから」ととりあってくれないからかもしれない。その一つひとつを解消して、安心を得ていく過程が必要なのは、ポリーもモノも同じなのかなと思います。
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構造としてはおおよそ同じであるはずなのに、なぜポリに対しては否定する気持ちが芽生えてしまうのか、一方でモノに対しては理不尽と思えることも仕方ないと思えてしまうのか、と考えていくことも大事なんじゃないのかと。
ーー複数愛、というものに生理的に拒絶反応を示してしまう人がどうしても多いため、話はこじれがちですが……。本書を通じて、ただ浮気性というわけではない、ハーレム願望ともまた違うのだ、ということを「知る」のが第一歩なのかな、と思いました。
荻上:そもそもポリーが性的指向なのか、それともライフスタイルなのかという議論は、当事者の間でもずっと行われているのですが、僕は「関係指向」と呼ぶようにしています。パートナーとずっと一緒にいたいのか、連絡は週に一度とればいいほうなのか、など、「どんな関係性を得るといちばん落ち着くのか」が主軸だという考え方ですね。それは性的指向とちがって、時と場合によって柔軟に揺れ動き、年齢によって変化するものでもある。十代のころは恋愛が第一だったけど今はそうでもなくなった、とか、連絡をあまりとりたくないタイプだったけど今のパートナーに限ってはそうじゃない、とか、一貫性がないのはあたりまえのことで。作中でも紹介したように、複数愛がベースにありながら今は一人の相手とだけ関係を築いている、という人もいますし、ゆるやかな概念として存在しているということも知っていただけるといいのかな、と。
ーー一方で「自分は複数の相手が欲しいけど、相手には自分だけと関係性を築いていてほしい」って人もいるわけですよね。
荻上:そうですね。身勝手な言い分として憤慨されるだろうけれど、「自分から連絡したときはすぐに返事してほしいけど、自分にきた連絡は好きなときに受けたいし、放っておいてほしい」みたいな人もいるわけじゃないですか。「自分は異性の友達と遊ぶけど、相手には遊んでほしくない」とか。
ーーわりとよく聞く話ですね。
荻上:モノであろうとポリーであろうと、浮気の概念も人それぞれで。一夜限りの関係なら気にしないという人もいれば、二人きりで出かけただけでアウトという人もいる。ポリーだから嫉妬心がないということはまったくなくて、グラデーションの中でみんな生きているんですよね。
ポリアモリーはフェミニズム精神の象徴でもあった
ーー私自身は独占欲も嫉妬心も強いので、相手がポリーだった場合を想像したとき、調整できる自信はないのですが、「○○さんと一緒にいることで幸せそうなパートナーを見ていると、よかったねと思えるし、自分も幸せ」みたいなことをおっしゃっている方の話を読んで、本来はそうあるべきなのかもしれないな?と揺らいだりもしました。「他の相手と会っているあいだ会えないのはさみしいけど、仕事で会えないさみしさと同じだから」というような発言にも、一理ある……!と思いましたし。
荻上:本書でぜひ書きたいなと思ったことの一つが、その嫉妬心というもので。先ほども言った交換不安は関係が不安定だから生まれるわけではなく、むしろ居心地のよさを感じているからこそ強まるということもあります。相手を失うことをおそれるあまり情緒が乱れるという経験を、したことのある人は少なくないんじゃないでしょうか。ところがポリーの場合、相手が他の誰かを好きになったとしても、すなわち別れるということにはならない。「私のことはちゃんと必要としているんだ」「ないがしろになんて全然していないんだ」ということを本人が納得する状況がつくられれば、関係は安定するわけです。もちろんすぐに納得できるわけではないでしょうが、衝突したり葛藤したりしながら関係を調整していく方法はいろいろあるのだということ、そのレパートリーをさまざまなケースを通じて伝えたかったんです。
ーー恋愛となると、一人を選べないと不誠実と感じてしまいますが、複数の子どもをもつ親はたいていの場合平等に愛していますし、不平等を子どもが感じる場合は、愛情を示して個々に関係性を強固にしますよね。友達だって、誰かひとりを選べと言われたら困りますし。恋愛だけが「たった一人」に固執してしまうのはなんでなんだろう、と改めて考えてしまいますね。
荻上:プラトンの『饗宴』につがいのエピソードがあります。人というのはもともと二つの頭と四本の手足、四つの目をもつ球体の生き物だった。その性には「男と女」「男と男」「女と女」と三タイプあったんだけど、自分たちを脅かすほど勢力を増してきたため、雷を落として半分に割いたのだというものです。以来、人は片割れを求めるようになったというものですね。
一見、同性愛を含めたさまざまな指向性を包括する物語のようで、この世界のどこかにはたった一人の片割れ、運命の人がいるのだという思想を強調するものでもあります。そんなものは幻想にすぎない、とようやく人々が気づき始めた一方で、いまだその「片割れ」論が社会の枠組みをつくり、その枠組みにそぐわない人ははじかれてしまう。多様性社会というのは、そうした弾かれてしまう人たちを掬いあげるしくみを構築するということで、そのためにも『饗宴』とはちがう物語をつくっていくことは必要だと思いますね。「例のやつ」で幸せになる人もたくさんいるけれど、どうしてもうまくいかないのだとしたらそれは自分が悪いのではなく、別のモデルが必要なだけかもしれないと、おのおのが問い直すということも。
ーーどんなに多様な恋人や夫婦のかたちが描かれていたとしても、今のところは、一夫一妻制の結婚が着地点として強固に存在しているのも、難しいところですね。
荻上:今の時代、結婚したら末永く幸せに暮らせるなんて信じている人はほとんどいないでしょうし、結婚後の関係を丁寧に描くフィクションも増えているはずなのですが、そのあたりの語りも、もっとレパートリーが増えていく必要があると思います。
もともとポリアモリーというのは、90年代のアメリカで生まれた言葉で、家父長制などの支配から離れた自立した者同士の自由恋愛やフリーセックスを是とする、フェミニズム精神の象徴でもありました。けれど現実問題、男女の賃金格差は依然として存在しますし、制度の保証がないままポリアモリーを実践する際、どこまでフェアな関係を築けるだろうかという課題はありますね。不安を解消するために全員がともに暮らすのも選択肢の一つですし、シェアハウスもその一例だとは思うのですが、ポリアモラスな関係を含め、過度にまつりあげるのは経済的な格差を温存し続けることに繋がる。レパートリーを増やすことは確かに大事だけれど、その点については、慎重に語られなくてはならないとも思っています。
ーー今作を書きあげたことで、荻上さんが改めて気づいたことや、もっと深掘りしたいなと思ったことはありますか?
荻上:過去に刊行されたポリーにまつわる文献は、ポジティブな文脈で語られることが多かったんですよ。規範の外で、豊かな関係を模索している人々として描かれることが多かった。でもこの本では、もっと等身大の葛藤というか、それぞれの関係を築く中での衝突を含め、課題となっていることについてもしっかり書きたかったんですよね。そのほうが、生きづらさを解消する手がかりを探している方に、より具体的なヒントとなってくれる気がしたから。ただ、当事者以外の読者、あるいは概要を知った人からはしばしば「自己正当化」という言葉を使って、否定的に語られるんですよ。
ーー最初にお話したとおり、浮気を正当化していると実際に責められた経験のある当事者の方も、本書では登場しますね。
荻上:でも正当化というのは、悪事を正しいように見せかけることでしょう。ポリアモリーは悪ではない。ただ、多くの人と関係指向が異なるだけ。この本を書いたのも、決して世の中に釈明するためではなく、できるだけ客観的に現状を示しただけです。でも、この受け止められ方にこそ、ポリーの生きづらさはあるんですよね。人は、こうありたいと望む自分と現実の自分にズレを感じる自己不一致状態に苦しみを覚えます。人に責められたくない、嫌われたくない、あるいは社会に適合する自分でありたいと思うと、ポリアモリーである自分のことが受け入れられなくなってしまう。その葛藤に手を差し伸べて、自己一致を実現する手助けになってくれたらいいなと思っているんです。
ーー先ほどもおっしゃっていたとおり、恋愛がうまくいかないのは自分が悪いからではなく、ただ相手との関係指向が違うだけ。欲望のミスマッチが起きているだけと考えることができれば、少しはラクになるかもしれないですよね。
荻上:本作でも、流行の横文字でごまかしている、みたいな言われ方をした人の話が出てきますが、状態を言語化するのってそれだけで強い助けになるんですよ。もちろん「男だから性欲を制御できないのは仕方がない」みたいに、属性を開き直りの言い訳に使っていいわけではないですが、「自分はポリアモリー、あるいはポリアモリー寄りの指向で、一対一の関係にはあまりむいていないんだ。それはただそういう性質というだけなんだ」と知ることができれば、自己一致を探っていく一助になるのではないかと。
そう言う意味では、ポリアモリーについて語った本ではあるけれど、関係様式全般を見つめ直し、自己一致を追究する旅に出るためのガイドブックでもあるので、現状に苦しんでいる方に届いてくれたらいいなと思います。
(立花もも)
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