限定公開( 19 )
※本稿は映画『ルックバック』の内容を含みます。ネタバレにご注意ください。
藤本タツキの漫画を原作とした劇場アニメ『ルックバック』が6月28日に公開され、はやくも大ヒットの兆しを見せている。SNSなどでは熱量の高い感想が溢れかえっており、ある種のムーブメントが巻き起こりそうな勢いだ。
そこで本稿では、アニメスタッフがいかにして同作を1本の映画に仕上げているのか、原作ファンからの目線で紹介していきたい。
『ルックバック』は2021年に『少年ジャンプ+』で発表された長編読み切りで、藤野と京本という2人の少女を主人公とした物語。学級新聞で4コマを連載していた小学4年生の藤野は、不登校の同級生・京本にライバル意識を抱き、がむしゃらに絵の練習に打ち込む。その後挫折を味わうものの、京本から才能を認められ、今度は2人で創作を行うようになるのだが、ある時別れの時が訪れる……。
「絵を描くこと」にとりつかれた2人の人生が交わるというこのストーリー構成は、映画版でもほとんど変わっておらず、わずかに描写やセリフが追加されているだけだ。しかし漫画とアニメという表現手段の違いもあり、演出面では大きな差が生まれているように見える。
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たとえば画面を見ていて真っ先に気づくのが、どこか荒々しさを感じさせる濃淡のある線画によってキャラクターたちが描かれていること。本来アニメでは原画担当の描いた線画を動画担当がトレースし、均一な線へとクリーンアップした上で制作を進めることになるが、同映画ではあえて原画の絵をそのまま使用している。
劇場パンフレットや6月20日発売の『SWITCH』7月号(スイッチ・パブリッシング)に掲載された押山清高監督のインタビューによると、そうした特殊な工程によって原画に元々宿っている「エモーション」を観客に伝えることが狙いだったという。実際にその効果は随所に現れており、京本に自分の才能を認められた藤野が雨のあぜ道を走り抜けるシーンなどは、原作に匹敵するほどの熱量を感じさせるものとなっていた。
また『ルックバック』の作中では、藤野と京本が描いた4コマが度々登場するのだが、映画ではこれを“劇中劇”としてアニメーション化していた。小学生の拙い絵柄で描かれた学級新聞の漫画がぬるぬると動く光景からは、新鮮な感動を受け取ることができる。
こうしたアニメならではの表現は、決して作り手の自己満足ではなく、“絵を描くことの喜びと苦しみ”という『ルックバック』の主題とこれ以上ないほど噛み合っている。だからこそ改変部分まで含めて原作ファンに受け入れられ、高く評価されているのではないだろうか。
なお藤本作品としては、『ルックバック』よりも先に、2022年10月から12月にかけて『チェンソーマン』がアニメ化されている。同アニメは実写映画のような表現を積極的に取り入れた演出方針となっており、声優陣も記号的ではなく抑揚のなだらかなリアル志向の演技を行っていた。これは元々藤本が映画マニアであり、『チェンソーマン』が実写映画の影響を受けた作風だったことと関係しているようだ。
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それに対して『ルックバック』は、同じ実写的な原作でありながら、大胆にアニメ的な表現を盛り込んでいるように見えるので、対称的な作風と言えるだろう。
ただ、映画『ルックバック』にはアニメ的ではない要素も少なからず見受けられる。主人公の藤野と京本を演じているキャストは、河合優実と吉田美月喜であり、いずれも声優初挑戦となる女優。記号的でない演技によって、作品に独特のリアリティをもたらしている。京本を強い秋田弁訛りのあるしゃべり方に設定していることも、リアル志向の演出と言えそうだ。
またキャラクターの表情や身振りなども、記号的ではない印象。実写志向を切り捨ててアニメ的表現に振り切ったわけではなく、2つの表現を絶妙なバランス感覚によって両立させていることこそが、映画『ルックバック』制作陣による強みなのかもしれない。
藤本は映画や漫画、アニメなど、膨大な文脈のインプットに基づいて創作を行う作家だ。だからこそ『ルックバック』や『チェンソーマン』には、幅広い受け止め方ができる厚みがある。押山監督を始めとしたアニメスタッフがどのように作品を受け止め、アニメ化しているのか、劇場で確かめてみてほしい。
© 藤本タツキ/集英社 © 2024「ルックバック」製作委員会
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