【追悼】手塚能理子氏が守ってきた"自由な表現の場”とは 「ガロ」「アックス」……連綿と続くサブカルチャー誌の功績

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2025年10月20日 18:00  リアルサウンド

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「アックス 第167号」(青林工藝舎)

 2025年10月12日、青林工藝舎社長で「アックス」編集長の手塚能理子氏が、虫垂がんのため亡くなった。69歳だった。


【写真】鳥取県境港市にある水木しげるロード 「ガロ」には水木も執筆していた


 手塚氏は、1955年、栃木県生まれ。高校卒業後、伝説の漫画誌「ガロ」の版元・青林堂に入社(1979年)。1995年には同誌の副編集長に就任するも、1997年、青林堂にて内紛が起き、編集部員を率いて退社――同年、青林工藝舎を立ち上げた。


 担当した漫画家は、みうらじゅん、しりあがり寿、内田春菊といった異才たちがよく知られているところだが、その他にも、彼女がいなければ世に出ることはできなかったというオルタナティヴ系の漫画家は数知れないだろう。


 そこで本稿では、「ガロ」と「アックス」という、日本のアンダーグラウンド・コミックのジャンルを牽引してきた2誌の功績をあらためて振り返ることで、手塚氏を追悼したいと思う。


■貸本漫画家たちの受け皿から“サブカルチャーの総本山”へ


 「月刊漫画ガロ」(青林堂)は、1964年、漫画家の白土三平と編集者の長井勝一によって創刊された。創刊の最大の目的は白土の『カムイ伝』の連載の場を作ることにあったが、やがて、当時衰退しつつあった貸本漫画の作家たちの受け皿としても機能するようになった。


 白土の他、水木しげる、滝田ゆう、つげ義春、永島慎二などが執筆し、1967年、同誌に触発されて手塚治虫が創刊した「COM」(虫プロ商事)とともに、全共闘時代の大学生を中心に人気を博す。


 『カムイ伝』の連載が終了した1971年以降、徐々に売り上げは下降線をたどるようになるが、当時編集者として同誌に関わっていた南伸坊、渡辺和博らにより、実験的な作品やアート系の作品、そして、いわゆるヘタウマ系の作品などが積極的に採り上げられるようになり、徐々に「ガロ」は“サブカルチャーの総本山”としての色を強めていく(注・ただし、佐々木マキ、林静一の作品や、つげ義春「ねじ式」など、60年代末からその流れはすでにあった、という見方もできる)。この時期に「ガロ」でデビューし、いまなお活躍している漫画家は少なくないが、その最大のスターは、1971年デビューの花輪和一だろうか(のちに花輪は、青林工藝舎から、『刑務所の中』というヒット作を刊行することになる)。


 1992年、長井が編集・発行人を退くも(その前々年、青林堂はPC開発会社に経営譲渡していた)、『南くんの恋人』(内田春菊)のドラマ化や、『ねこぢるうどん』(ねこぢる)などがヒット。一見、順風満帆に見えた90年代の「ガロ」であったが、1996年、長井勝一死去。また、水面下では経営陣と編集部員たちの軋轢が生じており、前述のように1997年、副編集長の手塚能理子を中心に編集部員たちが一斉退社――たぶんこの瞬間、長井勝一が目指した、“自由な漫画の発表の場”としての「ガロ」は終わったといっていいだろう(もちろん、これはあくまでも手塚側に立った書き方であり、この分裂騒動については、青林堂側にも言い分はあるだろう、ということは付記しておく)。


■長井勝一の遺志を継いだ「アックス」


 前述のような経緯から、大手出版社では掲載が難しいと思われるような実験的な漫画の発表の場として(あるいは、長井勝一の遺志を受け継いだ漫画誌として)、1997年の創刊準備号「マンガの鬼」刊行を経て、1998年、手塚能理子を編集長として創刊されたのが、「アックス」(青林工藝舎)である(創刊当初の誌名は「マンガの鬼AX アックス」であったが、13号より現誌名に改題された)。


 執筆陣は、旧「ガロ」後期のサブカルチャー路線の作家およびオルタナティヴ系の新人作家がメインだが、浮き沈みの激しい出版業界で、2025年現在までこの種の漫画誌の刊行が継続しているのは、奇跡という他ない。


■「マイナーなもの」が新しい時代を作る


 「偉大なもの、革命的なものは、ただマイナーなものだけである」といったのは、ドゥルーズ/ガタリだが(『カフカ―マイナー文学のために―』)、このことは、手塚能理子が携わってきた「ガロ」と「アックス」の編集方針についてもいえることだろう。


 いずれにせよ、彼女がいてくれたおかげで、90年代末以降の日本の前衛的な漫画家たちは、自由な表現の発表の場を得ることができた(手塚が青林堂退社後も、編集の仕事をやめなかったのは、ひとえにこの、行き場のない才能たちの“場”を作らねばならないという使命感があったからだと私は思う)。そしてその遺志は、「アックス」編集部の面々にも受け継がれている。


 手塚能理子さんのご冥福を、心からお祈りいたします。


(文=島田一志)



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