
【動画】芦田愛菜、細田守監督書き下ろしの『果てしなきスカーレット』エンディングテーマを担当! 特別PV解禁
■報復の連鎖の先には何が――監督が描きたかった“復讐劇”
――本編はつい数日前に完成したばかり(※取材時)と伺いましたが、今の率直なお気持ちを聞かせてください。
細田:これまでにないチャレンジがたくさんあり、完成までに非常に時間もかかりました。完成したばかりということで、できることはすべてやりきった、という感じです。今は皆さんに楽しんでもらえたらいいなと思っているところです。
――本作の企画の始まりや、テーマ・メッセージを教えてください。
細田:今まで扱っていなかった“復讐”をテーマにしています。「報復の連鎖の先には何があるんだろう」と考えながら作りました。というのも、今作を作り始めたのがちょうどコロナ明けのタイミングで、やっと苦しい時代が終わったと思ったら、世界中でいろいろな争いが起こり始めて……。それを見ているうちに「報復の連鎖の先」について深く考えるようになり、このテーマを思いつきました。
復讐劇の元祖といえば、シェイクスピアの『ハムレット』。それが本作のモチーフの1つになっています。「復讐劇」ってエンターテインメントの王道ジャンルなんですよね。憎むべき敵を倒して解決する、スカッと爽快な物語。過去に東映アニメーションに勤めていた頃も、復讐劇をベースにした作品が非常に多かった。
しかし現実は、悪人を倒す=幸せ、という単純なものではない。双方に正義があって、一方が復讐を果たしたら、もう一方の復讐劇が始まってしまうだけ。結局、復讐劇の後に続くのは“悲劇”なのではないでしょうか? 本作の完成までに4年かかり、その間に世界の情勢が良い方向に変わっていけば良かったのですが、現実は残念ながらそうなっていないですよね。いまだに戦争は終わらず、非常に複雑な気持ちです。未来を生きていく今の若い人は、先行きが不透明な世界に戸惑っているのではないでしょうか。どこかでそのループから抜け出さないといけないけれど、簡単に抜けだせるほど甘いものじゃない。では、どうすれば良いのか、という想いが今作には色濃く反映されていると思います。
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細田:復讐が果てしなく続く、という受け取り方もできますし、むしろその反対に、争いを終わらせようとする試みを果てしなく続ける、という解釈もできます。僕たち人間は呪いのように争いを続けていくのかもしれない。でもこの後の世界を生きていく若い人が、新しい考え方を編み出してループを終わらせてくれるかもしれない。そんな希望を持った言葉として名付けたつもりです。
――『ハムレット』をどのように反映させているのでしょうか?
細田:学生時代にTVで中継された舞台版を見たのが大きいです。蜷川幸雄さんが演出、ハムレット役が渡辺謙さん、荻野目慶子さんがオフィーリア(ハムレットの恋人)を演じていました。それがものすごい迫力だったんです。オフィーリアは狂気の中で死んでゆくかわいそうなキャラクターとして演じられる事が多いのですが、荻野目さんが演じたオフィーリアには、不幸な運命に抗う力強さを感じました。僕は、オフィーリアが悲劇のヒロインとして死にざまを美しく描かれがちなことに昔から反発があって、そうではなくもっと力強く描かれるべきなのではないかと思っていたので、それをまさに荻野目さんが体現していたんですよね。その印象がスカーレットの造形に表れていると思います。
■現代に生きる人の不安に寄り添い、若い人の力になれば
――本作で描かれる《死者の国》について、監督の死生観が反映されているのでしょうか?
細田:“生と死”というテーマはこれまでの作品でも描いてきましたが、今回それをよりはっきりと描こうと思ったきっかけは、コロナに罹患して入院したことです。ちょうど『竜とそばかすの姫』を作っている頃で、出来上がってもいないのに入院となってしまい、死を身近に感じるほどの大きな岐路に立たされました。もし悪化してしまったら、未完成の映画を誰が引き継いでくれるのだろうか?と……不安に苛まれていたんです。その際、看護師さんたちに親身になって寄り添ってもらって、本当に励まされました。
防護服のせいで顔の表情や姿がよく見えないのですが、それにもかかわらず利他の精神と深い優しさが伝わってきて。看護師さんになるには一種の才能が必要だと思ったんです。このような優しい方々がいるんだ、と。だから傷ついたり弱った人たちを支えることができるんだ、と……。今作で復讐心を持ち、傷ついたスカーレットと一緒に旅をする聖というキャラクターが看護師という設定なのは、その体験が大きく影響しています。
――《死者の国》の映像表現は、見ているだけで恐怖心があおられるものになっていると感じました。世界観はどのように作り上げたのでしょうか。
細田:どのように表現しようか考えている時に、日本美術の研究者の方とお話する機会がありました。その際、日本にたくさんある「地獄絵図」はどのように描かれているのか尋ねてみたところ、「あれは地獄に見えて、実は現世を描いているんですよ」と教えてくれたんです。それを聞いたときに、「なるほど!」と膝を打ちました。鬼がいたり、釜茹でされていたりと非常に殺伐とした風景が描かれていますが、地獄に行ったらああなるのではなく、すでに現世は地獄である、と。紛争の映像が流れる際にも、よく「地獄のような光景です」とレポートされていますよね。確かに現世に地獄はあって、僕たちはその中で生きているんだ、と。それを表現したいと思ったんです。
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――その中で、突然現代のシーンが組み込まれていて驚きました。どういった意図を持って差し込まれたものでしょうか。
細田:スカーレットの夢の中で、渋谷駅の前で大勢の人たちが踊っているシーンです。現代に生きる人(聖)にとっての“今”と、過去の人(スカーレット)が見る“未来”を相対的に見てほしかったんです。映画を観てくださる方が、スカーレットの目線で現代を見た時に、現在の世界が、遠い未来の風景に見えるように設計しました。
――芦田愛菜さんが普段のイメージとは違う、荒々しいスカーレットを演じたことも意外でした。芦田さんのキャスティングにはどんな理由が?
細田:芦田さんのパブリックイメージといえば、かわいらしくて利発。復讐にはまったく繋がらないですよね。しかし、だからこそ良いと思ったんです。彼女はさまざまな経験をつまれていて、長いキャリアで培われた表現力があって、その表現の幅がものすごく広いんだと改めて感じました。普通はご本人に近いイメージの役柄をキャスティングしがちですが、それとは違う役柄に果敢に挑戦することで、その人が持っている隠された力を引き出されるということがあると思うんです。芦田さんの今までにない新しい魅力を、スカーレットを通して感じてほしいですね。
――今作はプレスコ(※先に音声を録音し、後からその音声に合わせて映像を制作・撮影する方法)で収録されたそうですが、役者の演技を受けて表現を変えたシーンなどはありますか?
細田:クローディアス役の役所広司さんが最初に収録したのですが、力強さ、憎たらしさ、ずるがしこさ、哀れさなどの表現がものすごくて! 特に最後のシーンは、収録しながら鳥肌が立ちました。「人が極限に陥った時は、きっとこんな声を出すんだろうな」と思わされたと同時に、「これをアニメーションにするのは果たして可能なのか? 無理なんじゃないか?」と思うくらい。しかし、アニメーターさんがそれに負けない絵を丁寧に作り込んでくださいました。アニメーターさん自身の実力ももちろんありつつ、それを引き出すきっかけとなったのは、役所さんの芝居の影響があったからだと思います。アニメーションの可能性を大きく感じた瞬間でもありました。
その後の収録だった芦田さんや岡田さんたちも、役所さんの芝居を聞いてやらなければならないプレッシャーは相当なものだったと思いますが、役所さんのお芝居を受けてすばらしい表現を見せてくれました。
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細田:いえ、作っている途中で「似ているな」と気がつきました。映画の特報で「『時かけ』から19年」というテロップを、若い宣伝プロデューサーが入れてくれたのですが、最初は「なんでこんな中途半端な数字を入れるんだろう?」と思っていたくらい(笑)。きっと彼は最初から気づいていたんでしょうね。
しかし構造は同じだけれど、言っていることも同じかというと、それは違うと思うんです。『時かけ』と『スカーレット』は、作られた時代背景の未来観が違う。『時かけ』の結末が原作と変わっているのは、1967年(原作刊行年)と2006年(映画公開年)とでは、未来観が違うから。必然的に結論も変わると考えて作りました。そして、この19年の間にまた未来観に変化があった。
感じるのは、2006年の方がまだ希望があったんじゃないかな。『時かけ』では「若い人のバイタリティによって未来を創っていってほしい」という思いを込めて作ったのですが……、今の若い人には同じことを無責任に言えないムードに満ちている。いろんなものにがんじがらめで不自由で、自分を責めがちで……。スカーレットも自分を責めて、自分の決めたことにがんじがらめになっている。でもみんな、自分自身の呪縛から抜け出して幸せになりたいと思っていると思うんです。そんな若い人たちの気持ちにこの映画が寄り添えたらと思います。スカーレットが自由を求めて自分の生き方を探す姿に、観てくださる方が気持ちを合わせて観てもらえたら幸いです。
(取材・文・写真:米田果織)
映画『果てしなきスカーレット』は、11月21日公開。
