宮崎駿監督が推す幻の名作『バッタ君 町に行く』ジブリ美術館ライブラリー20周年記念映画祭で上映

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2026年01月24日 21:17  オリコンニュース

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「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー 20周年記念映画祭」(1月29日まで)で上映されている『バッタ君 町に行く』(1941 年/アメリカ/78分)
 世界の優れたアニメーションをセレクトし、広く紹介する活動「三鷹の森ジブリ美術館ライブラリー」。高畑勲監督、宮崎駿(※崎=たつさき)監督が“観ておくべき作品”として推薦してきた名作の数々を紹介してきた同シリーズが、活動開始から20周年を迎えた。これを記念した「20周年記念映画祭」が、東京・渋谷のBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下で29日まで開催されている。

【画像】そのほかの上映作品の代表カット

 今回上映されている4プログラムの中でも、とりわけ注目を集めているのが、宮崎監督が「アニメーターをやるやつは見ておくべき」と語っていた作品、『バッタ君 町に行く』(1941年/アメリカ)だ。

 都会の真ん中に、虫たちが暮らす草むらがあった。危険から逃れるためにバッタのホピティは、安全な土地への引越しを提案。かくして、人間の足元で、小さな虫たちの苦難の引越しが始まった――。

 本作は、ミュージカル・コメディと銘打たれ、ジャズの名曲「スターダスト」を生んだホーギー・カーマイケル、「星に願いを」で知られるリー・ハーラインらによる書き下ろし楽曲が随所に配され、物語を彩るだけでなく、後半のストーリー展開においても重要な役割を担っている。

 手がけたのは、マックス・フライシャーとデイブ・フライシャーの兄弟によるフライシャースタジオ。サイレント映画時代から常に新たなアニメーション表現を追求してきた彼らは、人の動きを写し取る「ロトスコープ」や、立体セットを用いて背景に奥行きを与える「セットバック」といった革新的技法を次々に開発した。

 ディズニーを中心にアメリカのアニメーションが黄金期を迎えていた1930〜40年代、フライシャースタジオはディズニー作品とは異なる、都会的で大衆的な独自の作風を確立。ミュージッククリップの原型ともいえる短編映画や教育アニメーションを制作し、「ベティ・ブープ」や「ポパイ」を生み出したほか、1940年代には『スーパーマン』シリーズを制作して大ヒットを収めている。

 『バッタ君 町に行く』は、同スタジオにとって『ガリバー旅行記』(1939年)に続く、長編2作目。おとぎ話にとどまらない、現代的でロマンチックなストーリーを創出。本作でも、革新的技法を生かした大胆なカットやアングルが随所に用いられている。しかし、1941年12月の公開直前に真珠湾攻撃が起こり、その混乱のさなか1週間ほどで上映終了となってしまう悲運に見舞われた。この興行の失敗からフライシャースタジオは事実上閉鎖となった。

 17日に行われたトークイベントで、スタジオジブリの西岡純一氏は「この作品にはフライシャースタジオが持てる技術をすべて注ぎ込んでいます。技法的には、当時のディズニーより上だったと言われるほどです。もしこの映画がきちんと上映されてヒットしていたら、アメリカのアニメーションの歴史は間違いなく変わっていたと思います。スクリーンで観られる機会は本当に貴重なので、ぜひ体験してほしい」と、語っていた。

 今回の上映では、本編に加え、制作の背景を追ったドキュメンタリー映像「THE “MR.BUG” STORY」(約8分)と、ペンシル・テスト映像「PENCIL TEST」(約8分)も併映。アニメーションの歴史を語るうえで欠かすことのできない一作を、映画館のスクリーンで体験できる稀有な機会となっている。

 このほか、2度オスカーを獲得したフレデリック・バックの『木を植えた男』(1987年、カナダ)をはじめとする代表作4作、フランスで公開と同時にアニメーション映画の記録を作った『キリクと魔女』(1998年、フランス)、“老い”や“認知症”という重いテーマを手描きアニメーションの手法でコミカルに描き出した『しわ』(2011年、スペイン)が上映されている。

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