「競輪から薬学へ」元ガールズケイリン選手が薬剤師を目指す“意外なワケ”

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2024年05月24日 08:40  日刊SPA!

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2024年3月、ロードバイクに乗ったときの写真
 元ガールズケイリン選手で、現在は国際医療福祉大学薬学部の学生として勉強と研究の日々を送っている橋本蒔子さん(25)。彼女曰く「今、勉強や研究を頑張れるのは競輪のおかげ。人生において大切なことを教えてくれた競輪には感謝しかないです」と語る。まったく異なる分野で活動している今の生活にまで影響を及ぼした彼女の競輪人生とは?
 今回は前回に引き続き、薬学部で新たな目標に向かって走り続ける橋本さんのインタビュー後編をお届けする。

◆今でも心に響いている教官の言葉

 高校時代も勉強一筋、スポーツとは無縁の日々を送っていた橋本さん。競輪学校入学後、周りにいるスポーツ経験豊かな同期と一緒に訓練をしていくうちに、焦りを感じ始めていた。だが、そんな時に一人の教官から聞いた話が彼女の心を突き動かしたのだ。

「競輪学校時代にお世話になった教官の方で、自転車競技で日本代表になったことがある岡希美(おかのぞみ)さんという方がいました。ある時、競技時代にどんな思いで走っていたか、どんな練習、生活を送っていたかを聞く機会があったんです。『私の学生時代は自転車競技にすべてをかけた。蒔子もやるからには一番になる覚悟で取り組まないと』と。それまで、机の上での勉強しかしてこなかった私にとってはすごく刺激的な話でした。この人は頂点に立たないと見られない景色を見ている。私も競輪という世界でその景色を見てみたいと思ったんです」

 そして努力を重ね競輪学校を卒業した後、晴れて選手としてデビューしたものの、1年半で代謝制度の対象選手となり引退。だが、ひょんなきっかけで教官の言葉が蘇ることになる。

「引退してしばらく経ったある日、夢の中に教官が出てきたんです。そして『やるからには一番になりなさい』という言葉が蘇ってきまして。教官が見た景色を私も見たいと思っていた、あの時の自分はどこにいったんだろう……、それを叶えられずに私の競輪人生は終わったんだよなって考えたら凄く悔しくなって。それじゃあ、今後進んでいく分野で一番になり、競輪とは違う舞台の頂点に立ってその景色を見よう。そんな想いがあったので、毎日の勉強も続けられました」

◆引退後も続けている教官からの「訓示」

 活動する舞台が変わっても、競輪学校時代の言葉が蘇り、毎日の勉強も苦にならず続けられた。そんな多大なる影響を受けた教官だけに、引退した今でも定期的に会い、近況報告をしつつアドバイスをもらっているそうだ。

「教官とは今でも大学の試験に受かったり、進級が決まった時など、節目のタイミングで連絡をして会っています。それで、教官と会う時は必ず帰り際に『訓示』をお願いしているんですよ。これは競輪学校時代の慣例で、訓練の終わりに教官から話を聞くのですが、引退した今でも続けてもらっていて。先日も会ったのですが、その時は訓示として手紙を貰いました。その手紙には『視野を広く持って3年生を過ごしてみてはどうでしょう』というアドバイスが書いてあったんです」

 実は橋本さん、知り合いの大学院生からも同じような助言をもらっていたのだ。活動の場が変わっても的確なアドバイスをくれる教官。競輪学校時代、相当親身になって話を聞き、彼女のことを理解し尽くしている表れではないだろうか。

「半年に1回くらいしか会わないので近況も大して説明していないのに、ちょっと話しただけで私にとって的確なアドバイスをくれるんです。だから、本当に114期として入って良かったなと思っています。そうじゃなきゃ、岡先生には出会っていなかったですし、今の人生はなかったでしょうね」

◆努力の源は選手時代の師匠の生き様

 大学の試験に合格した時や進級が決まった時、必ず報告する人がもう一人いるという。それが選手時代の師匠、小坂敏之さんだ。厳しくも温かさのある師匠、その温かさを引退後に改めて感じたそうだ。

「師匠だった小坂さんには厳しく育てられましたが、私が選手として生き残っていくために厳しく言っている、ということがちゃんと伝わってくる人でした。そんな師匠の温かさを、引退後に改めて感じたのが大学一年生の夏。『人生の中で競輪とどう向き合っていくかを話す前に引退になったが、その機会を成績が落ち着いた段階で設けようと思っていた。今は、この後の人生をどう考えているんだ?』と、辞めた後でも私のことを心配してくれました。本当にこの人が師匠で良かったです」

◆共に走ったガールズ選手が今の原動力に

 そして、今の橋本さんに影響を及ぼしているもう一つの存在が一緒にレースを走ったガールズ選手たち。なかでも、苦楽を共にしてきた114期メンバーの影響は大きく、今の彼女のモチベーションの一因になっていたのだ。

「ガールズケイリンは7人いるからできるのであって、決して一人ではできません。選手時代の一走一走の積み重ねが今の自分を作っているので、一緒に走ってくださった選手の方々には本当に感謝しています。特に、同期の佐藤水菜選手が『世界のサトミナ』になって、本当に凄いなと思うし、心からおめでとうって言える半面、正直悔しい気持ちもあって……。私は競輪では大きな成績を残せなかったけど、これから競輪とは別の世界で彼女みたいにトップを取りたい、絶対に世の中に何かを残したい、というモチベーションに繋がっています」

◆元選手としての意識は決して忘れない

 引退した後でも、相談に乗りアドバイスをくれる教官や師匠、そして、新たな人生を歩んでいく中での原動力になっている同期たち。そんな素晴らしい人たちに囲まれている橋本さんには、日頃から意識していることがあった。

「選手としては短い期間でしたが、競輪の世界に入って関わったすべての人に対して、感謝の気持ちでいっぱいです。スポーツ未経験で、身体もヒョロヒョロのモヤシみたいな私を見捨てず、競技面だけでなく人間的にも大きくしてくれたわけですし。だから、私も元選手として競輪に泥を塗ってはいけない、一度背負った競輪という看板は下ろせないという意識があります。将来的には、今の分野で何か形に残せるものを作り出して、これまでお世話になった人たちに恩返ししたいと思っています」

◆舞台は変われど一流を目指す気持ちは変わらない

「たまたま私の周りには良い人がたくさんいて、本当に恵まれていました」と笑顔で語っていた橋本さん。だが、それは彼女が目標に向け必死に努力している姿、真摯な思いがしっかりと周りの人に伝わっているからこそ力を貸してくれるのであって、「たまたま良い人がいた」ではなく「必然的に良い人が集まってきた」のではないだろうか。

 周りの人たちからのアドバイスをしっかりと自分の中に取り込み、コツコツと努力を積み重ねる彼女だけに、今後研究していく分野で偉業を成し遂げトップを取るのは、遠い未来の話ではないかもしれない。

取材・文/サ行桜井

【サ行桜井】
パチンコ雑誌『パチンコ必勝ガイド』『パチンコオリジナル実戦術』の元編集者。四半世紀ほど勤めた会社を退社しフリーランスに。現在は主にパチンコや競輪の記事を執筆している。

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