「覚醒剤で6回服役」の反社会的勢力の元幹部にも寄り添う 北新地放火殺人事件遺族・伸子さん

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2024年06月23日 11:10  web女性自身

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【前編】子宮・卵巣を全摘出、脳に腫瘍…大病の末に北新地放火殺人事件で兄を亡くした伸子さんから続く



「あなたも、しんどいことがあったら連絡してくださいね」



穏やかな口ぶりで、本誌記者に語りかける伸子さん。放火事件で兄を亡くした過去を持つ。「なぜこんな目に」。自らを襲った不条理に苦しんだ。



そんな彼女は、1年前から僧侶となるための修行を始めた。自らもやり場のない悩みや怒りを抱えたからこそ、人々の心に寄り添える。



晴れやかな表情を浮かべるようになるまでの道のりとは──。



翌’22年2月、クリニックと提携し患者に仕事を紹介していた業者が中心となって、オンラインサロンがスタートした。クリニックの元患者たちがオンラインで集う場だ。少しでも元患者たちの力になりたくて、伸子さんも参加した。



でも、ただただ、患者さんの話を聞くことしかできなくて。私がいるということで皆さん、気を使ってくださっていることもわかりました」



患者のなかには、自分も事件に巻き込まれていたかもしれないと不安にさいなまれる人や、事件に遭わず無事だったことに負い目を感じてしまう人もいた。



さまざまな声を聞くうちに、伸子さんは、何を言っていいのかわからなくなった。言いたいことが浮かんでも、言っていいことなのかもわからない。



もともと伸子さんは歯科医師。心療内科の知識もなく、カウンセリングの技術もない。そこで、かつて兄がカウンセリングの指導を受けていた公認心理師の土田くみ先生にカウンセリングの基礎を学ぶことになった。



「基礎講座では、“傾聴する”ということを教わりました。それは“人の心に寄り添うこと”でもある、と。私がしたかったのは、これだという感触があったんです」



3年連続で大病をして、命の期限を意識してから、伸子さんは少しずつ変わり始めていた。



明日死んでも後悔しないように、今、やりたいことをやろう。言いたいことを言おう。明日は、何が起こるか誰にもわからない。



その思いは、兄の事件でさらに強くなっていた。



「何か話したいことがあったら来て。話、聞かせてほしい」



基礎講座を終え、そう友人たちに声をかけると、思っていた以上に相談したいという人は多かった。悩みの大小はあっても、誰もがなにがしかの悩みを抱えて生きていた。



「言いたいことを話し終えると、皆さん、それまで張り詰めていたものがスーッと抜けて、凝り固まっていた心がほどけていくような感じを受けたんです。“心に寄り添うこと”の大切さを実体験として感じることができました」



悩みのある人が、お茶を飲みながら気軽に話し、相談できる場所を作ろうと、土田先生と一緒に始めたのが「ナチュラルカフェ」だ。





■事件から2年半。僧侶を目指した修行を開始



同じころ、伸子さんは仏教を学びたいと思うようになっていた。



「心に寄り添うって仏教と一緒だなぁと思ったんです。私は神道の勉強もしていたのですが、仏教的な考え方からもアプローチできれば、より相手に寄り添うこともできる。そんな引き出しを増やしたかったんです。それに、得度したという肩書があれば、皆さんもっと安心して話してくれるんじゃないかと思って」



昨年6月、伸子さんは奈良県の生蓮寺で修行を始めた。月1回、寺へ行き、住職からお経の唱え方や仏前での作法などを教わった。



同年12月4日に得度式。これで正式に仏門に入ったということになる。



得度式では法衣を着て、住職からは「奏蓮」という法名を授けられた。



「身の引き締まる思いでした」



兄の命日でもある12月17日には、事件現場に出向いた。



「それまでクリニックがあった場所には、行くことができませんでした。まして命日でもある事件の日に足を運ぶなんてとてもできなかったのですが、得度したことが力になって、現場でお経を上げることができました。兄にも得度したよと報告しました」



警察やマスコミに囲まれ、落ち着かなかった葬儀から2年。兄の冥福を心から祈る伸子さんの読経が、師走の空に響き渡った。



「昨年末、妻の得度のニュースが流れたとき、『奥さん、大丈夫なん?』と、連絡をくれる友達が大勢いたんです」



と、冗談めかして話すのは、伸子さんのご主人だ。



「つらい事件だったので、妻はそれを苦にして、家庭も仕事も何もかも捨ててお坊さんになるのでは? と、皆、心配になったみたいで。そんなことは全然ないんですけどね」



ご主人と伸子さんは大学の同級生で歯科医。夫婦で歯科医院を始め、2人の男の子に恵まれた。



「事件後、妻はいろいろ思ってもみなかったことを始めていますね。



でも、反対はしません。昔から、自分がやると言ったらやる人です。そもそも妻は、もともと困っている人をほっとけない、人に寄り添ってあげたい性格でしたから」



ただ、事件前後で伸子さんが大きく変わった部分もあるという。



「以前の妻は心配性で、万が一を思って悪いほうに考えるたちでした。病気のときも、いろいろ調べては最悪の場合を想定して落ち込んでいた。



ところが、事件が起きてからの妻は驚くほどポジティブ。本来楽天家だと思っていた私のほうが事件を引きずっていて、ときどき気持ちが沈んでしまうこともあるんです」



それが一般的な被害者遺族の心境というものだろう。



「でも、家族のなかで彼女だけが“被害者遺族”ではなく、前向きにどんどん前に進んでいく。そんなふうに見えています」



ご主人の言葉を伸子さんに伝えると、苦笑しながらこう言った。



「たしかにかつての私は不安性で、息子の受験に執着したり、友人とのささいな行き違いにイライラしたりとストレスをためがちでした。



病気をしたとき、そういう私の不安や怒りが体に出たんだと、すごく感じたんですね。



やっぱり執着したらダメなんです。執着を外して『もういいわ』『なるようにしかならんわ』って思えたとき、すべてが好転していった。そういう実感があるんです」





■覚醒剤で6回服役した反社会的勢力の元幹部も



被害者遺族という執着を捨てると気持ちが軽くなった。心が自由になり、考え方がシンプルになった。そこから加害者支援の方向にも目が向いていったようだ。



「兄の事件の加害者が、再犯だったことを知って、加害者の話も聞いてみたいと思ったのが最初です」



ワンネスで最初に話を聞いたのは、覚醒剤で6回服役した反社会的勢力の元幹部だった。



「その方の生い立ちを聞いてみると、むちゃくちゃなことをずっとやってきて、家族には迷惑をかけっぱなし。薬物で体を壊して、いつまで生きられるかわからない。でも最後は少しでも社会に貢献して死にたい、まっとうに生きたいっておっしゃって」



子ども食堂をやりたい、農業もしたい、“グリ下(グリコ下)”に集まる少年少女に声をかける活動をしたいと、元幹部は夢を語った。



「私、感動して泣いてしまったんです。人はこんなにも変われるんだと思ったら、涙が止まらなくて」



更生といっても、もちろん一筋縄ではいかない。それでもその彼とともに前を向いて歩んでいきたいと、伸子さんは考えている。



「人って、つらいときでも希望がないと生きにくいと思うんです。ですから『更生プログラムを一からやり直して、また自由に外出できるようになったら、青少年への声がけ、私も一緒にさせてもらいますよ』と、伝えてきました」



今年3月、伸子さんは気軽に立ち寄れるサロン「よすがのところ」を新たに開設した。



「『よすが』とは、心のよりどころという意味。モノリナを聴いてもらって、お話を聞かせていただいて、心の整理をしてもらおうと思って始めました」



モノリナとは音響療法などに使われるドイツの楽器で、雅楽器にも似た低く響く不思議な音がする。



悩みを抱えた人たちが伸子さんとの対話を求めてやってくる。



取材にきた新聞やテレビ局の記者たちが、最後に自分の悩みを相談していくことも多いそうだ。



本誌記者も、気がつけば「仕事が立て込むと、視野が狭くなってしまう」と、愚痴をこぼしていた。



「余裕がなくなるとダメですよね。一日のうち5分でも、たとえばお風呂で湯船につかっている間だけでも何も考えない。無になるっていう時間を作るといいですよ」



なるほど。聞いてもらっただけでも、心が軽くなるから不思議だ。



相談で多いのが、やはり人間関係。職場や周りに嫌な人がいるという問題はどこにでもある。



伸子さんの答えはこうだ。



「あなたの人生の主人公は、あなた自身。嫌な人は、ただの脇役にすぎません。あなた自身の物語でも、何もないと面白くないから、脇役さんが出てきて、刺激を与えてくれているんです。『わざわざ嫌われ役をやってくれてありがとう』くらいに思ってみてください。感謝することが大事です」



感謝して、面白がる。それこそが楽に、前向きに生きる極意だそうだ。



「感謝って、忙しかったらできません。心にゆとりがないと、感謝どころじゃないでしょう。目の前のことばかり見て、自分をまったく見ていない人が多いんですね。周りばかり見ているから、何かあったときには全部周りのせいにしてしまう。



でもそれって実は、ふだんの自分の行動や言葉が映し出されているんです。自分が自分の人生を創っていく。そのことを覚えておいていただけたらと思います」



70歳、80歳になっても、困り事がある人が気軽に立ち寄れる居場所を作りたい。



それが伸子さんの夢だ。



「昔のお寺のようなイメージですね。よぼよぼの私が座っていて、その前に話をしに来た人たちが列を作って待っている。話をした後は、みんなが笑顔になって帰っていく。そんなことを、いつか奏蓮の名前でやれたら面白いなって思っています」

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