IT訴訟解説:開発遅延を責められたベンダー社員が体調不良になった事件

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2024年06月27日 07:21  @IT

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 契約したシステム開発がうまくいかないとき、発注者であるユーザー企業も受注者であるITベンダーも苦しいのは同じなのかもしれない。しかし、どちらの立場が優位かといえば、それはお金を払う身であるユーザー企業であり、ベンダーはユーザー企業に謝罪と申し開きを繰り返しながら長時間の作業を強いられるというのが一般によく見られる姿であろう。


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 ユーザー企業の方もいつまでたっても出来上がらない不具合だらけのシステムに安穏としていられるわけはなく、いら立ちの矛先はベンダーの中心メンバーに向けられる。ユーザー企業の担当者がベンダーのプロジェクトマネジャーを激しく叱責(しっせき)し、時には罵倒する姿を、私も長いシステム開発経験の中で何度も見てきた。


 さらには、それが原因でベンダーのメンバーが体調を崩してプロジェクトを離脱することもあるし、悪くするとより深刻な疾病を患ったり、退職にまで追い込まれたりすることもある。


 今回は、この問題の参考になる判決を紹介する。あらかじめ申し上げておくと、紹介する事件において、ユーザー企業担当者の叱責とベンダーメンバーの体調不良の因果関係は証明されていない。ただ、判決において裁判官は「仮に」という形で因果関係がある場合も含めて問題を汎化(はんか)して判断しているため、参考になるかと思う。


●開発遅延を責められたベンダー担当者


 事件の概要から見ていこう。


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東京地方裁判所 平成19年12月4日判決より


ある経営コンサルタント企業(ユーザー企業)がITベンダーに対して税理士事務所向けソフトウェアの機能改善などを依頼した。システムは税理士事務所がクライアント企業の財務諸表などを基に財務分析および財務体質を評価し、企業の格付けやアドバイス機能を有するものだった。


しかし開発は難航し、ユーザー企業の要望する機能が具備されていない箇所が多数あることに加え、スケジュールも半年以上遅延した。その上、開発を担当するベンダーの担当者Aは予定された会議を行わないことやユーザーからの問い合わせにも回答しないなどということがあった。


こうしたこともあり、ユーザー企業担当者はAをはじめとするベンダー担当者を厳しく叱責するようになり、会議では「コストを抑えようとしている、作業をやりたくないのだろう」「お前らはセンスを持ち合わせていないのか」と、Aらの能力を否定するような発言を繰り返し、またユーザー企業代表者からベンダー代表者に対しても「自分がこの部屋から出て行ったら終わりだぞ」と契約解除をほのめかして脅すような言動があった。


その後、ベンダー担当者Aは体調を崩してプロジェクトを離脱することとなり、代替のメンバーによってもプロジェクトは回復の見込みがないことから、ユーザー企業は契約を解除し、既払い金の返還など損害賠償を求めて訴訟を提起した。


これに対してベンダーは、反訴においてユーザー企業側の高圧的な態度を主張した。


出典:Westlaw Japan 文書番号2007WLJPCA12048005


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●メンバーのプロジェクト離脱はユーザー企業の責任か


 文中にある言葉は確かに非常に激しいものではあるし、通常の取引では、あまり聞ないものかもしれない。しかしシステム開発の現場ではこれと同じような厳しい叱責は珍しくない。読者の中にもこうした場面に遭遇した、実際に言われた、あるいはつい言ってしまったという方もいるかもしれない。


 無論、こうしたユーザー企業の姿勢は褒められたものではない。社会人としての最低限の礼儀に反するし、ベンダーのモチベーションを落とすばかりである。ベンダーにもっと頑張ってほしいと思う気持ちも分かるが、そんなときこそ冷静に淡々とクレームを付けるべきである。激しい言葉にベンダーの生産性を上げる効果はない。


 しかし、それはそれとして、こうした言葉を発してベンダーを追い込んだユーザー企業に損害賠償の責任はあるのだろうか。これらの言動がパワーハラスメントに当たるかどうかという問題は別にあるが、この言動がベンダーによるシステム未完成の原因として認められ、ベンダーには責任がないとされるかどうか、さまざまな意見のあるところかもしれない。


 ユーザー企業の担当者がベンダーの担当者を追い込み、プロジェクトを離脱させたためにシステムが未完成になったとなれば、やはりユーザー企業が一定の責任を負うべきとの考えもあろう。一方で、ユーザー企業にはそこまでの責任はないとする考えもあるかもしれない。


 判決はどうだったのだろうか。続きを見てみよう。


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東京地方裁判所 平成19年12月4日判決より(つづき)


(ユーザー企業担当者の言動は)度を超えたものとまではいえない。また、Aが病気により本件請負契約の業務から離脱したことについて、その原因は定かではないが、本件請負業務によるストレスが原因になっていたとしても、本件請負業務の作業負担の見通しなど、基本的にはベンダーにおける労務管理上の問題というべきであって、これを原告の責めに帰することもできない。


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 裁判所はユーザー企業に責任はないと判断した。ベンダーの担当者が苦しんでいるのなら、そしてそれが健康に影響を及ぼすほどであるのなら、メンバーの交代や体制の変更などを行うのはベンダーの労務管理上の責任だとの判断だ。


●ベンダー企業が肝に銘じるべき“不作為は罪”という言葉


 無論、だからといってユーザー企業がベンダーに何を言ってもいいということにはならない。度を過ぎた言動は社会通念上許されない場合もあるし、本件のような債権債務の問題とは別に、ハラスメントとして訴えられることもあり得る。


 そもそも、ベンダーを怒鳴ってもスケジュールの回復や不具合解消には直結しないし、下手をするとベンダーのモチベーションを下げてさらに悪い方向に向くかもしれない。ユーザー企業の皆さまには、この点を十分注意していただきたい。


 とはいえ判決が示すように、ベンダーの社員が仕事でつらい思いをしていないか、健康を損ねることはないかを監視し、適切に対処することは、ベンダーの労務管理の問題である。社員がそうした状態にありながら放置したり、そうしたことが起きていること自体を認識していなかったりしたのなら、それはベンダーが自社の社員を罵倒し、追い込んでいるのと同じということだ。


 もちろんベンダーの管理者にも経営者にも、そんなつもりはさらさらないだろう。しかし、たとえ悪意がなくても“不作為は罪”となる場合がある。


 特にシステム開発の世界では、管理職が部下に仕事の指示を与える場面よりも、労務責任を持たないプロジェクトマネジャーが作業指示を出したり、ユーザー企業が直接仕事を依頼したりすることが多い。労務責任を持つ管理職たちは部下の仕事ぶりを目の当たりにしていないため、本判決のような状況が起きていることに気付きにくいという側面もあろう。


 であればこそ、管理職は部下に必要以上に気を配り、頻繁に会話をするなどして仕事ぶりや心身の健康に気を配る必要がある。細かい作業が多く、根を詰める仕事であるシステム開発においては特に、そうした対応がベンダーに強く求められるように思う。


●細川義洋


ITプロセスコンサルタント。元・政府CIO補佐官、東京地方裁判所民事調停委員・IT専門委員、東京高等裁判所IT専門委員NECソフト(現NECソリューションイノベータ)にて金融機関の勘定系システム開発など多くのITプロジェクトに携わる。その後、日本アイ・ビー・エムにて、システム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーと発注者企業に対するプロセス改善とプロジェクトマネジメントのコンサルティング業務を担当。独立後は、プロセス改善やIT紛争の防止に向けたコンサルティングを行う一方、ITトラブルが法的紛争となった事件の和解調停や裁判の補助を担当する。これまでかかわったプロジェクトは70以上。調停委員時代、トラブルを裁判に発展させず解決に導いた確率は9割を超える。システム開発に潜む地雷を知り尽くした「トラブル解決請負人」。2016年より政府CIO補佐官に抜てきされ、政府系機関システムのアドバイザー業務に携わった


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