ニッチだが奥深い「映像伝送」の歴史 コンピュータ・グラフィックスからIP伝送まで

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2024年06月27日 11:21  ITmedia NEWS

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 本連載の前回では、プロフェッショナル向けの映像信号の変遷をまとめた。今回はコンピュータ画像の伝送(録画)とIP伝送についてまとめてみる。


【画像を見る】ニッチだが奥深い「映像伝送の歴史」を見ていこう


 インターネットが一般的ではなかった時代だと、CG映像はコンピュータディスプレイ上に存在しても利用価値があまりなく、ビデオ信号化することで初めてテレビや映画で利用できた。


 これには2つの方法があった。1つは、コンピュータディスプレイ用の信号を横取りする形でビデオ信号に変換する方法、もう1つは映像信号入出力I/Oボードを経由して、コンピュータディスプレイとは別系統で映像信号のやりとりする方法だ。後者はのちに、ノンリニア編集システムとして広く普及することになる。


 コンピュータディスプレイへの伝送方法として長く使われたのが、VGAだ。解像度が640×480なので、アナログビデオとの親和性は良かったが、アナログRGB出力の60Pである。一方アナログビデオは640×480のコンポジット60iなので、ボックス型のスキャンレートコンバーターが必要であった。


 基本的にこうしたスキャンコンバーターは、コンピュータ画面をブラウン管テレビモニターに投影するためのものであり、これをVTRに録画して利用するのはかなり困難であった。そもそも当時のPCとは、VGAサイズであってもフル画面かつリアルタイムで映像を再生する事ができない。従って、PC側で1枚の静止画を読み出してはVTRで5秒ほど録画するということを繰り返したのち、録画した5秒から1フレームずつ編集でつないでいくという、気の遠くなる作業が必要であった。


 ただ、こうした変なことが得意なコンピュータが「Amiga」であった。解像度をQVGAぐらいに落としてメモリへため込み、キーボードにアサインしてポン出しする「Elan Performer」というソフトウェアがあり、これと安価なスキャンコンバーターを組み合わせることでコマ編集することなく動画の状態で書き出せた。出力できるのは数秒だが、1コマずつ録画するよりは全然早い。1990年代初頭「ウゴウゴルーガ」などテレビで一斉を風靡したローファイなCGは、ほとんどがこうしたスキャンコンバーターによる出力で録画されている。


 実はこの時代、コンピュータとビデオの間では大きなハードルがある。前回ご紹介した通り、90年代にはすでにテレビ映像はデジタル化の時代を迎えており、フルデジタルの編集室が主力であった。ところがCGの世界は、ディスプレイへの伝送がまだアナログだったため、映像出力もアナログが主力であった。映像業界にとっては、コンピュータはアナログ映像機器だったわけである。


 コンピュータ内でも、動画ファイルフォーマットとしてQuickTimeが登場したのは91年だったが、とても放送に耐えられるような画質ではなかったことから、CGは静止画の連番ファイルで出力・管理されるのが普通だった。


 レンダリングが完了した1コマずつの出力を、RC-232Cで制御可能な外部のレコーダーにコマ撮りしていくことで動画にしてゆく。当時、メモリベースのデジタルレコーダーは数千万円であったが、デジタルディスクレコーダーのAbekas「A-62」はメモリレコーダーよりもはるかに廉価で、人気となった。


●ノンリニアシステムとCG出力


 ノンリニア編集システムの第1世代は、89年に発売されたAvidの「Avid/1」である。当時のMacintosh IIの筐体に専用I/Oボードを入れて映像の入出力を可能にしたシステムだ。90年ごろには日本にも導入されたが、アナログのI/Oしかなく、テレビ放送としては画質に課題があった。よってオンラインでは使われず、もっぱら仮編集を行うオフライン編集に使われた。


 むしろノンリニアビデオ編集を語る上では、95年に登場したIEEE 1394の存在が大きい。この規格はFireWire、i.LINK、DV端子という形で広く普及した。コンピュータ側にIEEE 1394インタフェースカードを挿し、簡単なコントロールソフトウェアがあれば、コンシューマー用デジタルビデオカメラ(DVカメラ)から完全フルデジタルでキャプチャーと書き込みができた。さらにコンピュータ側からタイムコードを指定して、テープ走行もコントロールできた。


 当時の放送用編集システムは、映像・音声系の結線と、編集機からテープデッキを操作するコントロール系の結線は、完全に別系統になっていた。それがコンシューマーでは、ケーブル1本で映像・音声・コントロール系が伝送できていたわけである。当時この点においては、プロ用のシステムを超えていた。


 これをきっかけにコンピュータ業界から映像業界に転身したのが、当時のカノープスである。もともとはPC向けグラフィックスカードで知られていたが、IEEE 1394のDV編集システムを次々とリリース、これがGrassValleyに買収され、EDIUSやデジタルレコーダー製品などにつながっていった。


 デジタルレコーダーについては、別の流れがある。安価なCGの書き出しにはスキャンレートコンバーターが有効であったが、93年にカナダのDPS(Digital Prosessing Systems)社がAMIGA向けにPersonal Animation Recorder(PAR)を開発したことは大きかった。


 これは独自I/O基盤にHDDを直結し、そこにCGの連番ファイルを登録すると、内部で4:2:2のD1フォーマットへ変換され、ボード背面の端子からリアルタイムで動画再生が可能であった。出力はアナログコンポジット、S-VHS、アナログコンポーネントに対応したことから、ベータカムと組み合わせて長尺のCGでもビデオ書き出しが可能になった。


 CG書き出しという点では、ハイエンドでは数千万円かけて30秒程度の記録しかできないメモリレコーダーがある一方で、業務レベルでは数十万円で1時間以上D1記録できる「PAR」があるという状態となった。


 ただ不幸なことに94年にはAMIGAが倒産してしまい、AMIGAを中心としたCGの世界も徐々に終息へ向かっていった。放送の歴史から見れば、有名なNewTekの「Video Toaster」よりも、DPSの「PAR」のほうがインパクトが大きい。


 コンピュータとビデオ映像の関係は、映像の受け渡しがテープであった時代と、ファイル転送で済むようになった時代とで全く考え方が変わる。テープからの取り込みや書き出しは非常に高コストなので、放送局とその周辺現場ではあまり成長しなかった。00年になるとデジタルハイビジョンが登場し、ハードルが上がった事で、しばらくはコンピュータで映像を扱うことが難しくなった。


 やがてコンピュータの性能がデジタルハイビジョンに追い付く頃には、テープ記録ではなくデジタルメディアやネットワーク伝送の時代になっていた。


●HD時代の幕開けとIP伝送


 00年代初頭のデジタル放送開始とHD(デジタルハイビジョン)時代の幕開けは、ソニーのデジタルベータカム一択となった。伝送方式もHD-SDIに一本化されており、4Kの登場まではほぼこれだけだった。


 一方で記録メディアのほうは、03年頃から脱テープの動きが加速する。ソニーはSD解像度ながらも独自ディスクに記録する「XDCAM」を立ち上げ、05年には「XDCAM HD」としてハイビジョン対応した。04年にはパナソニックがメモリ記録型の「P2」を立ち上げた。


 放送のデジタル化により、番組送出は徐々にVTRからビデオサーバへシフトしていくわけだが、そうなると放送局への納品や素材持ち込みはテープだけではなく、デジタルメディアやファイル転送によるデータ納品も可能になっていった。とはいえそれらは記録メディアの話であり映像伝送ではないので、また別の機会に譲ることとする。


 13年に東京オリンピックの開催が決定し、4K放送実現へ向けて多くの機材やシステムの開発が活発になっていった。4KのSDI伝送はすでに前稿で述べたところだが、これまでは放送で注目されてこなかったIP伝送が一躍注目を集めるようになった。


 それというのも、4Kの伝送では3G-SDIケーブルが4本必要になることから、結線が煩雑になるばかりか、ケーブル重量も4倍になる。そうなると4K中継車の重量が重すぎて山越えができないという、バカバカしくも深刻な問題があきらかになったからだ。


 一方IP伝送であれば、1本で済む。IP伝送は通信業界を中心に「SMPTE 2022」として国際標準規格化されてきており、14年には「2022-5」及び「2022-6」としてベースバンド(非圧縮)伝送が規定されたことで、放送業界で一気に注目を集めた。


 IPに商機ありとして、15年あたりから多くのメーカーが殺到した。同年には12G-SDIも実用化されたが、まだ国際標準規格ではなかったため、対応機材が少なかった。


●NMI、NDI、SRT……IP規格乱立と収束


 15年当時、イーサケーブルによる伝送は10Gbpsが主流であった。だが4K映像は12Gbpsである。圧縮しなければ流せない。ベースバンド規格なのに圧縮が必要という矛盾を抱えることとなった。隙があれば競争が生まれる。


 スイッチャーや伝送系の老舗GlassValleyは2022-5/6をプッシュする一方、ソニーは独自規格として「ネットワーク・メディア・インタフェース」(NMI)を立ち上げ、カナダEvertzは「ASPEN」を立ち上げた。NewtTekはTriCasterの中核技術である「ネットワークデバイスインタフェース」(NDI)のライセンスを無償化するなどして、対抗した。14年にカナダのHaivisionが開発した「SRT」(Secure Reliable Transport)は出遅れて、17年にオープンソース化された。


 規格が乱立すれば、各社それぞれがアライアンスを組み、機器メーカーの囲い込みが起こるわけだが、15年12月に発足したAlliance for IP Media Solutions(AIMS)により、方式の共存が計られることとなった。創設メンバーのGlassValleyや日本法人の幹事会社であるパナソニックは、IP製品は全方式に対応するという方向性を打ち出した。


 ただこの時点でのIP伝送は、SDIの代用品としての考え方、すなわち非圧縮シングルストリーム、1方向で利用するという方向性と、通信としては当たり前の圧縮マルチストリーム、双方向伝送で利用する方向性と2つに別れていた。昨今ようやく伝送速度が40Gや100Gなどゆとりができたことで、非圧縮でもマルチストリームや双方向のシステムが考えられるようになった。


 ただし近年のテレビ局では、12G-SDIによるシステム更新を行ったところも多い。なぜならば、映像技術者は1対1で接続するSDIでの運用に慣れており、どこにどんな信号が流れているのか分からないIP伝送ではトラブルシューティングが難しいと考えたからである。


 次の更新こそIPで、という放送局も多いが、キー局の報道システムは局内結線でシステムを組むのではなく、大半の機能をクラウド上で運用するという方法に切り替わっている。つまり物理結線がどんどん減って、映像が直接クラウドへいく方向性にある。これはコロナ禍によるリモート運用対応という一面も大きかった。


 ただクラウド上でもIP伝送を行うことは変わらず、やはり多くの伝送規格が混在したままになっている。コンバーターなども全てソフトウェア実装なので、コスト面ではそれほど負担にはならないが、フォーマット変換を多く挟むことで遅延が積み重なっていく。


 アナログから連綿と続く、「リアルタイムが当然の世界」であった放送は、IP伝送やクラウド化で合理化を図るが、一方で遅延調整という負担を背負うことになった。


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