初めての刺青は「中学時代」。離婚3回、4児のシングルマザーがたどり着いた“幸せ”の境地

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2024年06月28日 09:21  日刊SPA!

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背中には、椿、毒蜘蛛などと並び「幼児の骸骨」の刺青が
 平坦な人生はない。どんな人も「人生山あり谷あり」に違いないが、その起伏の程度に差はあろう。
 刺青愛好家として活動する麗菜さん(41歳)ほど波乱に満ちた人生も珍しい。全身に彫られた、龍、朱雀、椿、毒蜘蛛、銭がま(蛙)、桜――そして、幼児の骸骨。その意味するところは、幼くして鬼籍に入った第一子だ。

 亡き第一子を背中に刻み、“4児のシングルマザー”として活動する麗菜さんの半生に迫った。

◆裕福だけど「この家を出たいな」と感じていた

 麗菜さんの故郷は軽井沢町(長野県)にある。「中学校にはほとんど行かず、塗装屋で働いていました」と話す彼女だが、実家はかなりの敷地面積を有する豪邸だ。

「裕福な暮らしだったと思いますよ。祖父母の家で暮らしていましたが、家族で会話するのにも内線を使うくらい広い家でした。補助なし自転車の練習は、自宅の廊下が長いのでそこでやっていました。住み込みのお手伝いさんもいて学校の送り迎えをお願いしていたし、お金があるかないかで言えば、あったでしょうね」

 金銭的に恵まれていた幼少期について話すとき、麗菜さんはなんだか浮かない。こんな思いがあるからだ。

「確かに家庭は裕福でしたが、親子の心の交流みたいなものは記憶する限りありませんでした。ぎゅっと抱きしめてもらったこともないし、『あなたが大切』と伝えられたこともないです。子どもにとって本当に必要だったのは、そういうことだと思うのですが。だから私は、小学生くらいのときにはもう、『この家を出たいな』と感じていました」

◆初めて刺青を彫ったのは「中学時代」

 小学校の途中から神戸市に移住し、前述の通り中学校はほぼ登校せずに働いた。刺青を初めて彫ったのも、この頃だという。

「彫れる年齢ではないので、自分で針と墨を使って、いわゆる“イタズラ彫り”をしました。もともと父の背中に昇り龍が彫られていて、絵画をみるときのように『かっこいいな』と感じたんです。いまだにそうですが、親に対する感情は複雑で言葉にしにくいんですよね。人としては好きな部類ではありません(笑)。でも、放置されて育ったから今の私があるんだろうな、とは思います」

 いわゆるお嬢様に違いないはずの麗菜さんは、その“放置”によって独自の人生を歩んだ。たとえば仕事と結婚という軸だけを抽出しても、紆余曲折に富む。

「中学生のときに年齢を誤魔化して塗装屋で働いて、卒業と同時に仕事で貯めたお金で一人暮らしを始めました。その後、偽ブランド品の売買や覚醒剤の使用などで少年鑑別所や少年院に入ったのが18歳のときです。出院後に、最初の旦那と結婚しました」

◆最初の旦那が逮捕されたのち、悲劇が…

 初めての結婚相手は、水商売をしていたお店の店長。だがこの結婚は必ずしも幸せなものではなかった。

「出産後、彼とは一度も一緒に住んでいません。もともと女遊びが激しい人だったうえに、だんだん働かなくなってしまって。それだけでなく、お店のお金を盗って逃げたり、深夜に路面店のガラスを割って侵入して窃盗をするなどして、捕まってしまったんです。そのことよりも遥かにショックだったのは、やはり第一子の死ですね。インフルエンザと肺炎によって、亡くなってしまったんです。1歳3ヶ月と10日の命でした」

 失意のなかでも働かなくてはいけない。水商売の常連客のなかに、心惹かれる男性がいた。

「前の旦那と違って、とてもよく働く男性でした。真面目な人で、浮気の心配もありません。交際したのち、結婚することにしました」

◆2回目と3回目の結婚は、それぞれ…

 だが落とし穴が待ち構えていた。

「よく言えば実直な人でしたから、常軌を逸した束縛で息苦しい日々が続きました。たとえば男友達などへの嫉妬は当たり前で、洋服屋さんで男性店員が話しかけてきただけで怒り狂う、男性店員のレジには並んではいけない、などのルールが細かく決められていました。浮気はない代わりにモラハラやDVが激しく、離婚の話し合いの大詰めで首を締められて救急車を呼び、警察沙汰になりました」

 2人目の夫との間には2子を設けたものの、麗菜さんは子どもたちを連れて友人のもとへ身を隠した。

「1年弱でその友人と結婚することになりましたが、浮気と覚醒剤などが原因で婚姻生活は7年間で破綻しました。そこで生まれてきたのが末っ子です」

 くっついては離れて、戸籍の出入りが忙しい。しかも必ず男性に裏切られて婚姻生活に終止符を打つ。それなのに、麗菜さんの語り口には絶望感や厭世的なにおいが漂わない。

「よほど意図的に害悪を及ぼす相手ではない限り、なるべくフラットに付き合おうと思って接しています。どんな相手でも、出会えたのは縁だと思うので、大切にするためにはどうしたらいいかなと考えるようにしています。そして、辛かった過去の経験も、貴重な体験をさせてもらったと思うようにしています。物事を深く考えすぎないで、むしろ少しくらい感度を下げて、その分『幸せだな』と思える範囲を広げていく。そうすれば、人生における大抵のことはしんどくないと思います」

◆“兄”と慕う男性が打ち明けた過去

 その心がけはたとえばこんな場面で支えになる。

「男性関係において私が裏切られた話が多いように感じたかもしれませんが、それを強調したいわけではありません。重要なのは、ありがたいことにその度に誰かに助けてもらっているからこそ立ち直れている点です。たとえば最後の離婚騒動のとき、神戸市に戻りたいと思ったとき、いろいろなことを融通してくれたのは私が“兄”と慕う男性です。

 彼は昔、大きな暴力団組織に所属していたことがあります。それを打ち明けられても、私は別にこれまでと何も変わることなく接していたんです。人によっては拒絶したり、あるいは逆に権威を傘に着ようとすることもあるらしいのですが、素性がわかったからと言って、これまでの関係性が変わると思えなかったんですよね」

 人に対して偏見を持たず、そのままを受け入れられることこそ、麗菜さんの人付き合いにおける強味といっていい。だからこそ、こんな縁もできる。

「刺青愛好家たちで定期的に集まるイベントなどの運営も、近頃はやらせてもらっています。刺青を彫っている人はもちろん、身体に何も彫っていないけれど写真を撮るのが好きという人も参加したりしていて、意外とオープンな会合です。そこで他愛もない会話をして交流して、人と人が繋がり会えるのも、良い縁だなと思います」

◆見た目で損をしているからこそ、真摯に気配りをする必要がある

 身体に墨を纏うことについて、麗菜さんはこんなふうに考えている。

「一般の人からみたら異形ですよね、マイナスのイメージがあるのは当然だと思います。刺青にネガティブな感情を持たれるのも、理解しています。だからこそ、私は『やっぱり刺青なんて彫っている人間は……』と言われないように、普通の人以上に丁寧に人間関係を築いていきたいなと考えています。見た目で損をしているからこそ、理解されないと拗ねるのではなく、真摯に気配りをする必要があるのではないでしょうか」

 実の親からは愛情を与えられず、自らの心血を注いだ第一子には先立たれる。男性からの真の愛はとうとう得られなかった。

 それでも麗菜さんは今、「幸せです」とはっきり答える。その言葉に嘘はないだろう。なぜなら、麗菜さんは渇望したがゆえに、本物の愛情が何かを知っているからだ。子どもたちへの眼差し、ままならない日常を生きる同志たちへの思い――はては少し知り合っただけの人々に対しても「ご縁だから」と真心を持って向き合う。

 刺青を愛好する人たちが一同に会した写真がある。何も知らなければ思わず表情がこわばる代物だ。だが麗菜さんの話を聞いたあとでは、誠意に呼応して助け合って生きていく人々の姿にも見えて、少し微笑ましい。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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