北口榛花は高3で「世界一」へ飛躍 恩師、ライバルが見た衝撃の潜在能力

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2024年07月03日 17:40  webスポルティーバ

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 女子やり投で日本の投てき種目、フィールド種目で歴史的偉業を次々と成し遂げ続けている北口榛花(JAL)。昨年の世界陸上で初の金メダリスト、世界の強豪が集うダイヤモンドリーグの年間女王となり、記録面でもシーズン世界ランキング1位と文字どおり世界のトップスロワーに。そして迎えるパリ五輪では自他ともに大きな期待がかかる。5回に渡り、その北口の成長を直近で見てきた人たちの証言をもとに、これまでの歩みを振り返っていく。

 第2回は、北口がその才能を一気に開花し始めた高校2・3年時の様子を、恩師、同学年のライバルの視点から振り返る。

「北口榛花」目撃者たちの証言 第2回

【"クロスステップだけの投てき"で全国制覇】

 やり投にシフトしてひと冬を越えた北口は、高校2年時(2014年)の4月に53m08と自身初の50m台をマークした。自己記録をいきなり4m近く更新したのだ。そして7月末のインターハイは52m16で優勝し、松橋昌巳氏(旭川東高校時代の恩師)の予想どおり、高校日本一の座に就いた。

 インターハイではふたつの点で北口らしさが表われていた。ひとつは助走技術が未熟ながら、自身の状態をしっかり判断できたこと、もうひとつは6回の試技の終盤で力を発揮したことだ。

 松橋氏が「インターハイも前半の試技は、通常の助走をしていたのですが」と当時を述懐する。

「全国大会なのにクロス(※)だけで投げていたら、初心者みたいでちょっと格好悪いんですよ。しかしその日は、クロスだけのほうが飛びそうな投げ方でした」

※助走の最後の局面。身体を投てき方向に対して半身の態勢で、右投げなら右脚が身体の前面で左脚の前を交差させるように進行方向にステップして投げの態勢に入る。

 1回目の試技の50m45で北口がリードしていたが、試技順が先の1学年先輩選手に5回目で、52m10を投げられて逆転された。

「そしたら北口が『先生、クロスだけで投げていいですか』と聞いてきたんです。私が『クロスでいこう』と背中を押したら、5回目に52m16で6cm逆転しました」

 松橋氏はやり投の国体入賞選手を育てたこともあったが、やり投の助走技術は跳躍の要素が大きい、という持論だった。

「助走して最後は思いきりブロックする(止まって投げの局面に移る)のがやり投の基本です。ブロックは跳躍種目の踏切に当たる局面です。(前日本記録保持者の)海老原有希さんは走幅跳で5m60以上跳んでいましたが、北口は4m50いけばよいほうでした。いろんなメニューをやりましたが、跳躍的な感覚の助走はできなかった。(北口が幼少期から高校1年まで取り組んでいた)競泳競技は陸上競技ほど脚への負荷が伴わないこともあり、北口の脚は(体全体のバランスから見て)著しく細いんです。もう少し走れたり、跳べたりしたら助走も自然にスピードが出て、投げが変わってきたかもしれない」

 いずれにせよ、そんな助走でも高校日本一になった。

【同学年のライバルが見た北口】

 優勝した北口と同学年で4位に入った山下実花子(当時京都・共栄学園高2年)にとって、最初の対決となったインターハイで受けた衝撃は大きかった。

「デカい子だな、というのが第一印象でした。表彰式で同学年と知って、"来年もこの子と戦うのか、大変な年に生まれたな"と認識し始めたことを覚えています」

 しかし、そのインターハイが山下自身にとっても成長する契機となった。コーチから北口と同じやりを投げるようにアドバイスされ、硬度の高いやりを投げてみたところ自己新記録を更新することができた。

 硬いやりを使いこなすには、ヒジや肩にかかる負荷に耐えるだけの筋力や、正確な動きが求められる。北口の出現で山下も、ワンランク上のレベルにステップアップするきっかけをつかんだ。

「高2の冬には『高校記録を投げる』とコーチに言い始めました。練習もレベルアップしたし、いろいろな指導者の方にアドバイスをもらいにいくようになりました」(山下)

 高校2年時以降の北口が、高校生の大会でも緊張感を持って試合ができたのは、山下の存在による部分が大きかった。

 高校3年時のふたりは7月に異なる場所で快挙を成し遂げた。まずは7月11日に山下は、京都府選手権で58m59の大アーチを放った。それまでの高校記録(57m31)を1m以上更新した。

 その5日後には北口が南米コロンビア・カリで行なわれていた世界ユース選手権(現U18世界選手権)で、ユース規格(重さ500グラム。通常は600グラム)のやりではあるが、60m35で金メダルを獲得した。名前に"花"が付くふたりの活躍に、女子やり投界が沸き返った1週間となった。

 ふたりは8月2日のインターハイで直接対決。北口が2連覇を果たしたが、北口の56m63に対し、山下も55m40と僅差の好勝負を展開した。

 高校3年シーズンは10月6日の国体、同18日の日本ジュニア(現U20日本選手権)も北口が勝ち、全国大会3冠を達成。北口は国体で57m02と高校歴代3位に進出すると、日本ジュニアでは58m90と山下の持っていた高校記録を31cm更新した。国体は5投目、日本ジュニアは6投目にその試合の最高記録を出し、前年のインターハイも5投目、世界ユースも5投目と、6回の試技の終盤に記録を伸ばしていた。

 山下は高校時代、直接対決では北口に一度も勝つことができなかった。「北口さんはどんな調子でも6本のなかで必ず1本(良い記録を)投げてきます。自分になかった強さでした」と、現在の山下は冷静に振り返ることができる。

「今から考えれば高3シーズンは、自分にとってのベストパフォーマンスは出せていたと思います。58m台は1試合だけで、あとは55m台が多かった。そこが、自分が出せる実力だったと思います」

 だが当時は「悔しくて、悔しくて『なんで勝てへんのや』と落ち込んだり、悩んだりしていた」と言う。「インターハイでは『おめでとう』と言いましたが、日本ジュニアでは何も言えなかった気がします」

 ウォーミングアップ場や招集場所で北口が近くにいても、山下は目を合わせようとしなかった。ライバル心を前面に出すことで、当時の山下は自身を奮い立たせていた。

 しかし高3のシーズン終盤になると、ふたりは打ち解けて話をする関係になった。冬期に日本陸連派遣でやり投強豪国のフィンランドでトレーニングを行なったり、国内でもナショナルトレーニングセンターでともに合宿を重ねたからだ。

「これから一緒にやっていく仲間、として認識し始めました。翌年のリオ五輪や5年後の東京五輪に一緒に出たい、やっていきたいと。自分はコミュニケーションが得意ではありませんでしたが、合宿で一緒に生活し、練習中にいろいろ教えてもらっているうちに、そういう気持ちが芽生えてきました。

 大きな声で笑うし、甘い物が大好きだし、"普通の人やな"と思えました」

 練習では、走るメニューと跳躍系のメニューは山下、投げのメニューでは北口が強かったという。

「肩の可動域が違うと思いました。私は野球出身で、パワーはありましたが野球の投げ方のクセがあった。それに対して北口さんは水泳やバドミントンの体の使い方なのか、体を大きく使います。見ていてすごくダイナミックでした」(山下)

【北口との巡り合わせは「宝くじの億円単位当選」】

 北口の競技力は、普通の高校生で済まされないレベルに達していた。松橋氏は高校時代の北口を「特に試合では、あり得ないようなことを平然とやってしまう」と感じていた。

「本当にモノが違う。ここでこうしたい、こういう記録を狙いたい、ということを彼女は100%やっていました。高校2年の4月に53mをいきなり投げましたが、53mは日本選手権の参加標準記録でした。私はまったく考えていませんでしたが、北口は日本選手権に出ようと狙っていたんです。高校記録を出した日本ジュニアも、高校最後の試合になるかもしれなかった。その最終投てきで高校記録を狙って投げています。

 どうして、それができるのか。はっきり言ってわかりません。そこまでやってしまう人間を近くで見たことはありませんでしたから。そんな選手と出会えたのは、巡り合わせとしか言いようがない。宝くじで何億円当たるのと同じような確率だと思います」

 北口自身も高校時代のパフォーマンスを、完全に予測できていたわけではないだろう。北口の身体能力、家庭環境、旭川東高の環境、ライバルの存在。いくつもの条件が揃って高校女子やり投選手最高の実績を残すことができた。

 そのプロセスを踏んでいる間に、北口のなかには上を目指す強い意思が生じ始めていた。

 松橋氏は「(高3年時の)世界ユースに勝った頃から世界を視野に入れ始めていたのでは」と感じている。

「今の北口の姿も、高校卒業の頃には、私はイメージできていました」

 松橋氏は大学入学以降も北口が、世界に向けて成長し続けることを信じて疑わなかった。

つづく(第3回は7月10日配信予定)

【Profile】北口榛花(きたぐち・はるか)/1998年3月6日生まれ、北海道出身。旭川東高校→日本大学→日本航空。小中学時代はバドミントンと競泳に打ち込み、高校入学後にやり投を始めると、競技歴3カ月でインターハイに出場。その後、成長を続け、翌2014年にインターハイ優勝、2015年には世界ユース選手権で日本女子の投擲種目で初の金メダルを獲得した。2019年には初めて日本記録を更新し、東京五輪では6位入賞。2022年オレゴン世界陸上選手権では3位となり、女子のフィールド種目では五輪・世界陸上史上初のメダリストに。そして翌23年ブダペスト世界陸上では最終6投目で逆転優勝を決め、同史上初の金メダリストになった。

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