【バスケ】復活目指すB3新潟鵜沢監督、4季ぶり復帰のPG五十嵐圭が対談「愛されるチームに」

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2024年07月03日 21:00  日刊スポーツ

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五十嵐(左)と鵜沢監督。元チームメートが監督、選手になってタッグを組む

プロバスケットボールBリーグ3部(B3)新潟は再生をかけて24−25年シーズンに臨む。軸になるのは、B1時代の新潟で3季プレーし、今季から指揮を執る鵜沢潤監督(42)と、B1群馬から4季ぶりに復帰したPG五十嵐圭(44)のOBコンビ。2人は三菱電機(現B1名古屋D)で6季、新潟で3季の計9季チームメートだった。18−19年シーズンには新潟のB1中地区優勝に貢献。当時の盛り上がりを復活させるべく、意気込みを語り合った。【取材、構成=斎藤慎一郎】


◇  ◇  ◇   


−監督、選手の関係でシーズンを迎える


五十嵐 9年間チームメートだったので、線引きはうまくできます。潤は男子の監督が初めて、僕はB3が初。よりコミュニケーションを密にしたいです。


鵜沢 監督として圭さんとまた一緒にバスケができるのは、モチベーションの1つ。存分に暴れてほしいですね。まだできるし、そうでなければならない。


−戦い方のイメージは


鵜沢 ベテランが多いので、基盤があれば応用してくれる。攻撃はピック・アンド・ロールと3点シュートでアドバンテージを作る。圭さんは外国籍選手の使い方がうまいので、そこも強み。B3はB1、B2の常識が通用しない面もあると思う。質を落とさず、アジャストしていかないと。


五十嵐 B3でもやることは一緒。バスケットや自分たちのプレーの質には自信があります。B1に引けをとらないことをやろうと思っています。


−今後の取り組みは


五十嵐 4季ぶりに新潟に戻ってきたけど、覚悟は前回(16年に三菱電機から移籍)来た時より強い。B3まで落ちたクラブを立て直す。選手という立場以上の覚悟を持たないと変えられない。


鵜沢 会社全体で同じ目標に向かっていくことが大切。ビジョンがあれば役割がわかってくる。これから僕が会社のスタッフと直に話す可能性もあります。今は編成に入って糸満(盛人)社長と話し合いながら進めています。


五十嵐 すべてを変えていく。スポンサーさんに僕自身が足を運ぶ機会が増えると思います。そういうことをまずやっていきたいです。もう1度信頼していただくために、きちんと気持ちをお伝えしたい。メディアにも取り上げてもらえるように、風通しのいい環境にしていかないと。


−どんなシーズンに


鵜沢 新潟の人たちに愛されるチームになるために勝つことが大切。離れていった人に戻ってきてもらい、さらに新たに応援してくださる方々が増えるような試合をして、結果を出したいです。


五十嵐 中地区優勝プレートは今、事務所にあるけど、長岡市役所に飾っていただこうと思っています。あの時の盛り上がりを復活させたいので応援をお願いいたします、と。B2昇格は目標だけど、目指すのはそこではない。元いた場所に戻る。中地区で優勝した時のようにトップレベルで戦う位置に戻る。そのためのスタートの年です。


◆鵜沢潤(うざわ・じゅん)1981年(昭56)10月28日生まれ、千葉県出身。市船橋高から日体大に進み、04年に三菱電機(現B1名古屋D)に入団。17−18年に当時B1の新潟に移籍し、18−19年の中地区優勝時は主将。20年7月に現役引退。同年、Wリーグのシャンソン化粧品のアシスタントコーチに就任。23年2月に監督に昇格し、プレーオフで4強。23−24年も2年連続4強に導いた。現役時代のポジションはPF。


◆五十嵐圭(いがらし・けい)1980年(昭55)5月7日生まれ、新潟県上越市出身。直江津東中から北陸高(福井)に進み、中大へ進学。卒業後は日立に入社。06年は日本代表として世界選手権に出場。09年にトヨタに移籍し、10年から三菱電機名古屋に所属。16年に新潟に移籍。18−19年はレギュラーシーズン59試合に出場し、中地区初優勝に貢献した。21−22年に群馬に移籍。23−24年は24試合出場。Bリーグ通算415試合出場、2982得点、3点シュート成功562回、アシスト1364回。ポジションはPG。180センチ、73キロ。背番号7。

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