【平成の名力士列伝:若の里】気力は最後まで衰えず−−体力の限り土俵を務め続けた生粋の「お相撲さん」

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2024年09月21日 07:30  webスポルティーバ

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平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、39歳まで真っ向勝負を貫いた若の里を紹介する

連載・平成の名力士列伝12:若の里

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【真っ向勝負を再決意したファンからのひと言】

 中学卒業間際の15歳で青森県から上京して角界入りした若の里は、"たたき上げ"力士として23年半もの長きにわたり土俵を務めた。常に真っ向勝負の相撲ぶりや気品溢れる佇まい、土俵態度は、いかにも「お相撲さん」らしいお相撲さんだった。

 出身地の青森県弘前市にある実家は、"土俵の鬼"と言われた横綱・初代若乃花の生家とわずか200メートルほどの距離で、入門時の師匠である鳴戸親方(元横綱・隆の里)は、その弟子にあたる。四股名の「若の里」は若乃花と隆の里という青森が生んだふたりの横綱に由来するが、それだけ期待は大きかった。

 入門から5年半の平成9(1997)年11月場所、関取に昇進すると10勝5敗で新十両優勝。十両はわずか3場所で通過し、新入幕の平成10(1998)年5月場所は、2ケタ勝ち星をマークして敢闘賞を受賞した。さらに入幕4場所目の同年11月場所は、横綱・3代目若乃花を破って初金星を獲得するなど、破竹の勢いだったが、その2日後に右足首を骨折。この場所と翌場所を休場した。

 完治を待たずに稽古を再開したことから、反対の左足に負担がかかってしまい、稽古中に左ヒザの前十字靭帯を断裂。まともに相撲が取れる状態ではなかったが、十両転落を回避するため、痛み止めを打ちながら強行出場を果たし続けた。

 当然、本来の力強い相撲には程遠く、前頭2枚目で迎えた平成11(1999)年7月場所は初日から6連敗。10日目の相撲で左ヒザをさらに悪化させると、翌日の土佐ノ海戦では、立ち合い変化を試みるもあっけなく相手についてこられ、押し出された。無様な相撲に師匠からは、雷を落とされた。気分転換にとその日の夜は近所の寿司屋に出向くと、同じカウンターで寿司を食べていた初老の男性がこちらに近寄ってきた。

「私は、あなたの大ファンなんです。立ち合いは常に真っ向勝負で、変化しないところが大好きなんです」

 そう告げると、席に戻っていった。おそらく男性はこの日の若の里の相撲は、見ていなかったに違いない。当の本人はなおさら変化したことを恥じた。同時に「もう二度と立ち合い変化はしない」と強く心に誓い、この日から正々堂々の立ち合いを引退する日まで貫くことになる。

【39歳の引退まで気力は衰えず】

 左ヒザの状態は相変わらずで、2場所後にさらに悪化させたことで手術に踏みきった。3場所連続休場で十両への陥落を余儀なくされたが、再入幕の平成12(2000)年9月場所で11勝をマークし、敢闘賞を受賞するとこの場所から3場所連続三賞受賞で新小結、新関脇と番付を駆け上がっていく。

 平成14(2002)年1月場所で小結に返り咲くと平成17(2005)年1月場所まで史上1位となる19場所連続で三役に在位。それだけ高いレベルで実力が安定していた証左でもあったが、この間に関脇で2場所連続2ケタ勝ち星を2回マークし、大関取りにリーチを懸けたが、いずれも及ばなかった。

 両肩まわりはポパイのように筋肉が盛り上がった固太りの体格で、左四つに組み止めると右上手を強烈に引きつけたパワー全開の攻めが持ち味で、対白鵬戦は初顔から6連勝。その後は11連敗したが、のちの大横綱の前に当初は大きな壁として立ちはだかっていた。

 力士生活晩年は度重なるケガに悩まされ、体にメスを入れること9回。ボロボロの体でも土俵に上がり続けたのは「子どものころから力士になりたくて、好きでこの世界に入ったので、いつまでも力士でいたい」という熱い思いがあったからだ。

三役の座を明け渡して以降は平幕上位の地位を長くキープしていたが、それも徐々に難しくなっていく。平成23(2011)年11月場所前に師匠が急死したことで「引退して部屋を継承すべき」と周囲から声が上がったが、悩みに悩んだ末、どうしても首を縦に振ることはできなかった。

 それでも気持ちが萎えかけたことが一度だけあった。平成25(2013)年11月場所は幕内から陥落したが、休場によるものではない十両落ちは、長い相撲人生でこの時が初めてだった。三役を長く務めた自分のような力士は、十両で相撲を取るべきではないのではないか。葛藤していると元力士の知人に「十両に落ちても相撲を続けてほしい」と懇願された。この世界に入ったのならば、誰しもが「関取になって化粧まわしを締めて土俵入りがしたい」と憧れるものだが、大半は夢を果たせずに角界を去っていく。

「十両に落ちたら相撲を取らないなんて、夢が叶わなかった人たちに失礼なんじゃないかと。入門した時の気持ちを思い出して、十両に落ちても堂々と取るべきじゃないのか」

 十両でもやがて番付は徐々にじり貧となり、平成27(2015)年7月場所は十両11枚目で4勝11敗と大きく負け越し、幕下への陥落が確実になり39歳で引退を決意。体力の限界を感じて土俵を去ったが、気力は最後まで衰えることはなかった。

【Profile】若の里忍(わかのさと・しのぶ)/昭和51(1976)年7月10日生まれ、青森県弘前市出身/本名:古川忍/しこ名履歴:古川→若の里/所属:鳴門部屋→田子ノ浦部屋/初土俵:平成4(1992)年3月場所/引退場所:平成27 (2015)年9月場所/最高位:関脇

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