「帰ってこない寂しさ増す」=同僚2人と被災、長男亡くした父―27日で御嶽山噴火10年・長野

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2024年09月24日 07:31  時事通信社

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時事通信社

噴火前の2010年8月に御嶽山に登った際、頂上に立つ堀口英樹さん(中央、家族提供)(一部、画像処理してあります)
 死者58人、行方不明者5人を出した御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)噴火から27日で10年となる。噴火で長男を亡くした堀口純一さん(78)=岡山県赤磐市=は「この10年は心の余裕がなく、頭がいっぱいだった。今はやはり息子が帰ってこないことを実感し、寂しさが増す」とつらい心中を明かす。

 長男の英樹さん=当時(37)=は、勤務先の同僚2人と御嶽山の頂上である剣ケ峰で噴火に巻き込まれた。同僚に「紅葉のきれいな所へ連れて行ってほしい」と頼まれ、当初は苗場山(新潟、長野両県)への登山を計画したが、噴火警戒レベルや天候を考慮し、前日に目的地を変更していた。

 テレビで噴火のニュースを見たときは、まさか長男が巻き込まれたとは思っていなかった純一さん。噴火の翌朝に英樹さんの上司から安否を尋ねる電話があり、状況が一変した。携帯電話はつながらず、警察や周辺自治体に問い合わせても情報が得られなかったため、その日のうちに御嶽山の麓にある長野県木曽町へ向かった。

 翌日、同僚1人が遺体で発見されたが、英樹さんは見つからなかった。天候が悪化し、捜索隊の活動も中断。「生きていてくれ」との願いはかなわず、噴火から6日目に遺体で見つかった。寺の住職である純一さんは自ら葬儀を執り行ったが、気持ちがつらく、予定をこなすだけで精いっぱいだったという。

 英樹さんは4人きょうだい。いつも明るく周囲を和ませる人柄で、小さい頃から弟や妹の世話をしていた。年に3回ほど東京から実家に帰省した際は大好きなビールを飲み、一家でだんらんした。

 「ずっと息子のことを思っている。忘れようにも忘れられない」と語る純一さん。「日本は火山活動が活発だが、研究者や予算は少ない。火山災害が起こらないよう真剣に取り組んでほしい」と望んだ。 
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