バフェティンビ・ゴミスが育ったフランスと日本サッカーの違いとは? あの猛獣パフォーマンスの由来も語った

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2024年09月25日 10:10  webスポルティーバ

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Why JAPAN? 私が日本でプレーする理由

川崎フロンターレ バフェティンビ・ゴミス インタビュー 後編

川崎フロンターレからの退団を発表したFWバフェティンビ・ゴミスをインタビュー。全3回の最後となる後編は、彼が5月に決めたハットトリックとあの有名な猛獣パフォーマンスの由来について。そして日本とフランスのサッカーの違いについて語ってもらった。(※取材は8月末に行ないました)

前編「ゴミスが語る日本の印象『どこに行っても驚くほどに美しい』」>>
中編「ゴミスが『日本のフットボールの未来は明るい』と確信する理由」>>

【5月に決めたハットトリックについて】

「あれは最高の瞬間だった。日本で最初の得点を記録したあと、さらに2点を決めてハットトリックを達成できた。率直に言って、日本では自分が思い描いていたようなプレーができていなかったが、ようやく川崎(フロンターレ)のファンに喜んでもらえて、ものすごく嬉しかったよ。彼らは困難なシーズンを送っていた私を、ずっと励ましてくれていたから」

 バフェティンビ・ゴミスがそんな風に振り返るのは、5月11日にホームで迎えた北海道コンサドーレ札幌戦だ。前半30分に相手ボックス内でDFを背負いながらボールを受けると、瞬時にターンして右足を振り、鋭いシュートをファーサイドに収めて先制。43分には再びエリア内でDFにマークされながら、味方とのワンツーから押し込んで加点し、さらにその5分後の前半アディショナルタイムには、PKを"パネンカ"(ゴールの中央にチップキック)で決めてハットトリックを成し遂げた。

 それはゴミスがここまでJリーグでネットを揺らした唯一の試合となっているが、内容は圧巻だった。特に3点目は、頻繁に見られるものではない。

「パネンカを蹴ろうと思ったのは、フィーリングによるものだ」とゴミスは続ける。「PKはGKと1対1の勝負だから、落ち着いた気持ちで蹴らないと失敗してしまう。あの時は、久しぶりに2点を決めて気分がよかったから、自信を持ってゴールの中央に浮き球をネットに収めることができた」

【私の成功はよい指導者に鍛えられたことが大きい】

 得点した彼の周りにはたくさんのチームメイトが集まって祝福した。ゴミスは川崎の仲間たちへの感謝を口にする。

「川崎のロッカールームには本物の団結があるんだ。誰もが近しい存在で、すばらしいチームスピリットを感じるよ。だからこのチームは特別だし、ひとつの家族のように結束している」

――特に親しくしている選手はいるのかな?

「みんなと仲がいいと思うけど、年齢の近いアキ(家長昭博)にはいろいろと世話になっている。タツキ(瀬古樹。8月にストーク・シティへ移籍)にも、(日本への)適応の手助けをしてもらったよ。ダイヤ(遠野大弥)、マル(丸山祐市)、ヤス(脇坂泰斗)......挙げていったらキリがないくらい、全員と親しくしているよ」

 このインタビューには、彼の母国語のフランス語ではなく、英語で応じてもらったが、チームメイトとは普段、どのようにコミュニケーションを取っているのだろうか。

「基本的には英語だけど、自分も日本語には興味があるので、学ぶようにしているし、わからない言葉を教えてもらったりしている。でも積極的に英語で話しかけてくれるチームメイトがいるので、うれしいね。自分ももっと仲間のことを知りたいから。

 そういえば、先日の練習でシン(山田新)からひとつ、大事な言葉を教えてもらったよ。シンがアイスティーを渡してくれて、一緒に『乾杯』をしたんだ」

 物事に真剣に向き合いながら、ユーモアも忘れない。自分のことだけでなく、全体や未来にも気を配り、自分の経験を異国のチームメイトたちに惜しみなく伝えようとする。話を続けるうちに、ゴミスの豊かな人間性が伝わってきたが、彼はこの競技を始めた時からストライカーだ。それはエゴがなければ務まらないと言われるポジションだけれども。

「自分の全盛期はとにかくゴールにこだわっていたし、それがうまくいった」とゴミスは言う。

「年齢を重ねた今は別の役割があるし、現在のフットボールでは、ストライカーは得点だけに集中することはできない。最初のディフェンダーとしてプレスに走らなければいけないし、ゴールやアシスト以外のタスクをこなさなければならない。私がストライカーとして成功できたのは、若い頃からよい指導者に鍛えられたことが大きいと思う」

【日本とフランス。決定的な違いがひとつある】

 彼が生まれたフランスには、クレールフォンテーヌを筆頭に、世界的にも誉れ高い育成施設がいくつもある。実際、その国立養成所ができた1988年以降、フランスは本当の意味で強豪国の仲間入りを果たし、これまでに獲得した4つのメジャータイトル(W杯2回、EURO2回)のうち、3つを設立後に手にしている。

 日本にも、まさにクレールフォンテーヌをモデルとして作られたJFAアカデミーがある。こちらの開校は2006年。フランスはクレールフォンテーヌができた10年後の1998年に自国開催のW杯で初優勝しているが、日本は2016年、いや2024年になっても世界の16強の壁を越えられずにいる。

 むろん、単純に比較できるわけではない。フランスの国立養成所は基本的に無償だが、JFAアカデミーはそうではない。またフランスには、アフリカなどかつての植民地からも広く才能を発掘できる利点がある。とはいえ、日本が参考にできることもあるのではないか。

「決定的な違いがひとつある」とゴミスは真剣な眼差しで返答した。

「フランスでは、たとえ16歳や17歳の選手でも、指導者が能力を認めれば、勇気を持って試合に出す。一方、日本では10代の選手をトップリーグで見ることは稀だ。もちろん教育は大事だし、多くの日本人選手が大学に行く選択も理解できる。ただフランスやヨーロッパの国々では、ある若者にフットボールの特別な才能があるとわかれば、周囲の人が大いに成長を促す。まだ準備が完璧にできていないと思っても、試合に出して経験を積ませるんだ」

 饒舌なゴミスから興味深い話を聞いていると、あっという間に時がすぎ、気がついたら約束の時間が迫っていた。聞きたいことはまだいろいろとあったが、ひとつだけ、最後に彼のゴールパフォーマンスの由来を尋ねた。事前にリサーチしたところ、彼は8月生まれの獅子座なので、それかと思っていたが、本当のところは......。

「最初にプレーしたクラブ、サンテティエンヌのエンブレムがパンサー(黒豹)だったから、あのセレブレーションを始めたんだ。その後にプレーしたリヨンのロゴにはライオンが入っていて、ガラタサライのニックネームもライオンで、さらに自分のルーツのセネガル代表もライオンをモチーフにしている。だから、私はライオンなんだ」

 願わくば、あの猛獣パフォーマンスをまた日本で見られるとよかったのだが......。
(おわり)

バフェティンビ・ゴミス 
Bafetimbi Gomis/1985年8月6日生まれ。フランス南東部ラ・セーヌ=シュル=メール出身。国内の名門クラブ・サンテティエンヌのユースから2004年にトップチームデビュー。途中トロワへのローン期間を経ながらストライカーとして頭角を現わし、2009年にはリヨンに移籍して活躍。その後2014年スウォンジー、2016年マルセイユ、2017年からはガラタサライでプレー。2018年からはアル・ヒラルで3シーズン半、2022年から再びガラタサライでの1シーズンを経て、2023年の夏から川崎フロンターレでプレー。2024年9月、退団を発表した。フランス代表では12試合出場3得点。

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