「主権国家としての体をなしていない」半年間“隠された”米兵による少女暴行事件 なぜ沖縄県には知らされなかったのか【報道特集】

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2024年09月28日 06:30  TBS NEWS DIG

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またしても起きたアメリカ兵による少女への暴行事件。沖縄県警は外務省などには事件を通報していましたが、地元の沖縄県には知らせていませんでした。金平茂紀キャスターの取材です。

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「静かな沖縄を返して」1995年の少女暴行事件

「私たちに、静かな沖縄を返してください」

1995年、沖縄県在住の小学生が、米軍基地所属の海兵隊員ら3人に乱暴される事件が起きた。沖縄県警は米兵3人の逮捕状を取り、米軍に身柄の引き渡しを求めたが、アメリカ側は日米地位協定を盾に引き渡しを拒否。県民の怒りは頂点に達し、県民総決起大会には8万5000人が参加した。

金平茂紀キャスター
「私は当時、この事件に特に力を入れて取材しました。他の新聞社やテレビ局もこの問題にまだ関心を払い続けていた、そんな時代でした。

あれから29年経ちました。当時の熱気を思い出させるようなものは、今何も残っていません。またアメリカ兵による、沖縄県民に対する性暴力事件が頻発している。当時と一番違うのは、それが『隠されている』ということです」

29年前と今、一体何がこのような違いを生んでしまったのか。沖縄に住む人以外には、関係のないことなのか。

また起きた少女性的暴行事件 怒りは米軍と日本政府に

沖縄の怒りは今、米軍と同時に、とりわけ日本政府に向けられている。

2023年のクリスマスイブの午後4時過ぎ。嘉手納基地所属の空軍兵、ブレノン・ワシントン被告(25)が、県内の公園から16歳未満の少女を車で自宅に連れ去り、性的暴行を加えたとされる事件。

被害を受けた少女の家族が警察に通報したのは、その日の夜だった。

しかし、沖縄県警は身柄拘束を請求せず、米兵から任意で事情を聴き、2か月半後に書類送検。その後、那覇地検が不同意性交などの罪で起訴した。

事件が明らかになったのは、発生から半年も経った頃。地元テレビのニュースで報じられたことがきっかけだった。

元琉球朝日放送デスク 金城正洋 氏
「知事がうちのニュースを見て、驚いていると。それで県庁自体が騒いで県警に話したりとか、いろいろ大騒ぎになるわけです」

半年もの間、沖縄県警から県に対して一切の情報提供はなく、県と県民だけが知らされていなかった。

金平キャスター
「初公判で被告は起訴事実を認めるものとみられていますが、スピード結審となって、次回は判決が行われるのではないかということです。問題の根っこは全く解決されていません」

このレポートの後、金平キャスターは法廷に入り愕然とした。いかに現実を捉えていない甘い認識だったか、その後、思い知らされるされることになった。

被告は、糊のきいた白いYシャツ、黒いズボン姿で、靴はピカピカに磨かれていた。

「Not Guilty(無実)」

初公判で、ワシントン被告は堂々と無罪を主張したのだ。

ブレノン・ワシントン被告
「私は無罪です。誘拐もしていなければ、性交などもしていません」

被告の弁護人も、「被告は18歳と認識し女性と自宅に行き、同意のもとで性的行為を行った」と主張した。

“異様な空気” 衝立の中から子どもの声 7時間半にも及ぶ尋問

今回の事件で、性被害を受けた少女への精神的負担は、はかり知ることができない。

第2回公判。被害者の少女が証人として出廷し、法廷内で直接証言をするという、きわめて異例の展開となった。

法廷は異様な空気に包まれていた。法廷の中央には大きな衝立が設けられ、被告席と傍聴人席からは見えないようになっていた。衝立の中から声が聞こえてきた。子どもの声だった。

被害者の少女(証人)
「犯人は日本語で『何歳ですか』と聞いてきました。年齢は(16歳未満)です。英語でも(16歳未満)と答えました。わかるように右手と左手で、ジェスチャーでも答えました」

被告は、自分は19歳で軍の特別捜査官だと紹介し、銃を持っている写真を見せた後、「寒いから車で話さないか」と持ちかけてきたという。

被害者の少女
「私は『はい』と答えました」

検察
「実際に車に乗ったのはどうしてですか」

被害者の少女
「逆らうのが怖かったからです。車の中で『自分の家を見に行かないか』と聞かれました」

被告の家に着くと…

被害者の少女
「今逃げても、逃げられないと思いました。私はリビングのソファーに座り、犯人は右隣に座ってきました。30cmもない距離でした」

ソファーの上で無理やり性的な行為が始まり、少女は懸命に拒否したという。

被害者の少女
「少し顔をのけぞるようにしました。日本語で『やめて』と言いました。英語でも『ストップ』と言いました」

少女はこの事件のあと、夜眠れなくなり睡眠薬を服用していると話した。自分の感情がコントロールできず、自傷行為にも及んだという。

検察
「犯人に対してはどんな思いがありますか」

被害者の少女
「自分が犯した罪の重大さをわかって欲しい」    

少女への尋問は、7時間半にも及んだ。

金平キャスター
「ここでレポートするのもおぞましいほどの過酷な暴行が執拗に行われたということを、時間をかけて証言していました」

政府は“再発防止をお願い” 強く主張できない背景に日米地位協定

沖縄でこうした事件が表沙汰になる度に、政府はいつも再発防止を徹底するよう、米軍に「お願い」を繰り返す。

政府が米軍に強く主張できない背景には、日米地位協定があることは明らかだ。

米兵らの公務中の犯罪は、裁判権がアメリカ側にあり、公務外でも日本側が起訴するまでは被疑者の身柄を日本に引き渡さない権利をもつ。日本の警察はアメリカ側の「好意的配慮」がなければ、取り調べることもできない。

1995年の事件以降、米軍絡みの重要事件については日米両政府の間で情報を共有するシステムが確立され、沖縄県にも連絡がいくはずだった。

関係者によると、今回、沖縄県警は外務省などに連絡。在沖縄米軍は米軍総司令部に報告をした。しかし、肝心の沖縄県には届いていなかった。

当時の外務省報道官の記者会見は、用意された書面を読みあげるものだった。

小林麻紀 外務報道官(当時)
「被害者のプライバシーに関わる事案については、慎重な対応が求められていると考えている。常に関係各所へ、もれなく通報が必要だとは考えていない」

この間、日米間そして沖縄県では重要な政治日程が続いた。玉城デニー知事に話を聞きたいと思った。もどかしい思いがどこかにあったからだ。

――玉城知事、すごく優しくなられたのではないですか。沖縄県警が今回取った態度は、県知事に対する裏切りじゃないですか。

玉城デニー 沖縄県知事
「それで県民の安全が守れると思っているんですかと、私は(県警)本部長に問いかけました。それは我々が再発を防止する責任がある、皆さんは犯罪を防止する責任がある。同じ責任を全うしないと、県民は安全安心に生活できないと、警察なんか役に立たないというようなことも、合わせて言わせていただきました」

「一番要の時期に放置された」少女のケア 県警の責任指摘

被害に遭ったこの少女は誰がきちんと手当てをしているのだろうか。話を聞きたい人がいた。

琉球大学の上間陽子教授。虐待や複雑な家庭環境などで、困難を抱える「特定妊婦」を支援している。性暴力を受けた女性の声を数多く聞いてきた。

今回、沖縄県警が事件発生後すぐに県に連絡しなかった責任の重さを指摘した。

琉球大学教授 上間陽子 氏
「性暴力の場合、初期対応が本当に大事。治療が長くかかるものなので、最初にこの事件が起きてしまったときにどうやって聞き取るかということや、あるいはこの子を守るのは家族がやっぱりたくさん努力して、第一線になるのはそこなんですね。

なので、家族ごと包括的に支えないといけない。本当に一番要になる時期に放置されたということが、どれだけ長く続く問題になるのかということを政府も考えない、県警も考えない」

沖縄県民は米兵の「獲物なんじゃないか」 コザで育った女性

上間さんは日常的に米兵が町に繰り出す沖縄のコザで育ち、子どもの頃から抱えてきたある不安を話した。

上間氏
「獲物なんだなっていうのは思ってたんです、ずっと。私に当たるんじゃないか、獲物にされるのが私なんじゃないかって、次は私の娘なんじゃないかって当然思ってます。だから怖いんですよね。ずっと続いていくんだという無力感があります」

無罪を主張しているアメリカ空軍兵の被告。第3回公判の被告人質問で、少女の証言をことごとく否定した。

ワシントン被告
「彼女は18歳と答えました。彼女を信用しました。疑う必要はありませんでした。自分の年齢は24歳と伝えました」

性的暴行に対し、「やめて」「ストップ」と抵抗したという証言については…

ワシントン被告
「ノー、彼女はむしろ積極的でした。彼女は作り話をする」

傍聴していた市民は…

傍聴者
「自分のやったことの罪の意識がこれっぽっちも感じられなくて。この子の発言も聞いてるはずなのに、この子の痛みも悲しみも、何にも伝わってないんだなって」

沖縄の作家が思うこと「同じことがまた起こってしまっている」

苦悩する沖縄を、小説や直接行動で表現し続けてきた人物がいる。沖縄県の作家、目取真俊さん。1997年、沖縄戦の記憶を背負って生きる人たちを描いた「水滴」で芥川賞を受賞した。

ーー事件を最初に知ったときに、何を考えましたか

芥川賞作家 目取真俊さん
「すぐに95年の事件を思い出す。それを意識してたから、意図的に16歳未満という表現にしたんじゃないかと思ったんです。だから、同じことがまた起こってしまっている」

――沖縄県警は、なぜ沖縄県庁に通報しなかったと思いますか

目取真さん
「沖縄県民に知られたらまた騒ぎになるとか、辺野古の新基地問題に影響を及ぼすとか。子どもを守ろうというより、もう全て政治的な配慮ですよね。誰かを守ろうじゃなくて、自分たちの責任を放棄してるわけです。

主権国家としての体をなしていない。属国、対米隷従という言葉は昔からありますが、それがここまで極まったということだと思います。日本の大人たちは恥じないといけないですよ、こんな国にしたことを。

沖縄は結局、植民地が形を変えただけの姿がずっと続いてるということだと思います。沖縄戦、戦後の米軍統治を見ても、沖縄は結局いざとなれば切り捨てられるトカゲのしっぽみたいなもの」

目取真さんは小説を書く一方、名護市辺野古の米軍基地建設反対を、現場で非暴力の形で戦ってきた人でもある。警備にあたっていた機動隊員から「土人」と言われたことも。

機動隊
「どこつかんどんじゃぼけ、土人が」

1995年に起きた少女暴行事件のあと、発表された短編小説「希望」は、物語の主人公が米兵の幼児の首を絞めて殺害するというショッキングな内容が描かれていた。

『必要なのは、数千人のデモでもなければ、数万人の集会でもなく、一人のアメリカ人の幼児の死なのだ。八万余の人が集まりながら何一つできなかった茶番が遠い昔のことに思える。自分の行為はこの島にとって自然であり、必然なのだ』――短編小説「希望」より

目取真さん
「最悪の場合はこんなことだって起こりうるよってことです。そうしないために私達はどうしなければいけないかということなわけです」

ーーおそらく今読まれるべき作品だと思います

目取真さん
「ある意味で、日本人というのは甘いんですよ。アメリカ兵からすれば、日本で何しても沖縄で何しても、俺たちは後ろから刺されることもなければ、銃を突きつけられることもない。基本的に舐め切っているわけです」

ーー(1995年は)あっという間に8万5000人の抗議集会に。あの時と比べて何が違っているんですか

目取真さん
「やっぱり怒りじゃないですかね。本当に事件に対する怒りが、やっぱり今とは違うと思いますよ。行動に現れることを見ても、どっかで骨抜きにされたんだと思います。沖縄の中の無力感かもしれない。絶望感といいますか」

沖縄を「見て見ぬふり」の日本 米兵事件なんて知らない?

金平キャスターは長年、沖縄を取材し続けてきた。

一つのきっかけは、今から57年前に作られた沖縄の宮良芳さんという女性が、東京・渋谷で沖縄についてインタビューをしている番組をみたことだった。

宮良さん
「私、沖縄から来ましたが、沖縄に米基地があることをどうお考えですか」

街の人
「やっぱり、なんていうか、おかしいと思います」
「ただおかしいというよりか、それに対する日本の態度がおかしいですよね。アメリカの(基地)があるということではなくて日本の態度。両方の国の態度がおかしい」
「私はあるべきじゃないと思っているから」
(※1967年10月放送 TBSドキュメンタリー番組「マスコミQ」)

それから31年後の1998年。金平キャスターは「沖縄の基地なんか知らない」という特集を制作した。宮良さんと一緒だった。少女に対する事件があり、関心も高まっていると思い込んでいた。

宮良さん「私は沖縄から来たんですが、沖縄のこと知っていますか?」
街の人「沖縄、海が、サンゴ礁がある」

宮良さん「基地が置かれているというのはなんでか、法律のことわかる?」
街の人「…」

宮良さん「あなたにとって沖縄はどういうところ?」
街の人「別に」

金平キャスター「沖縄にその基地がある理由は何だと思いますか?」
街の人「南にあるし、他の国々に近いじゃないですか。何となく日本と離れているじゃないすか」
(※1998年3月放送 「筑紫哲也NEWS23」)

1998年3月放送の 「筑紫哲也NEWS23」。筑紫哲也キャスターの名物コーナー多事争論で筑紫さんは、本土の国民の沖縄への「無知」「無関心」「無感動」という3つの「無」が沖縄の変わらない状況をもたらしていると怒りをあらわに語っていた。

筑紫哲也さん
「沖縄の問題が沖縄だけの問題だけではなくて、私たちの国、社会、私たちみんなの生き方、あり方を問うてるという点であります、誰かを踏みつけにして自分たちの都合のために、それを見て見ぬふりをしている国がろくな国になるはずがない」

宮良さんは3年前に100歳で天寿を全うした。もう二度と、一緒に渋谷で街の人々にインタビューをすることもできなくなった。

金平キャスター
「僕も年を取ったんですけど、宮良さんの思いをなんとか引き継いで伝えていきたいと思います」

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