日立製作所のATMとPOS事業が、インドで無双している。
その中心にあるのが、同社が2014年に買収したインドの決済サービス大手・プリズムペイメントサービス(現、日立ペイメントサービス)だ。同社は銀行ATMの運用・保守サービスの提供や、自社ブランドATMの運用を通じ、市場シェアを拡大している。
管理する銀行ATMは6万6000台以上に上り、市場トップシェア(約28%)を誇る。自社ブランドATMも1万台以上を管理し、市場シェアの約29%を占めトップ2の座についている。
インドの金融サービス市場を席巻しているのは、ATM事業にとどまらない。2019年にはインド最大の国営商業銀行である、インドステイト銀行(SBI)と合弁会社を設立し、POS事業も推進。運用するPOS端末は200万台超で、市場トップシェア(約25%)を獲得している。
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日立ペイメントサービスが、インドの決済市場において現金とキャッシュレスの両面で不可欠な存在になっていることが分かる。なぜ、ここまで大きな存在感を示せるようになったのか。そこにはインド特有の決済市場と同社のDXの取り組みがあった。
●ATMの設置合戦 大都市と郊外で180度変わる「インドの決済事情」
Hitachi Payment Services Pvt.Ltd.(日立ペイメントサービス)エグゼクティブバイスプレジデントの松本直彦氏は、インドの決済事業についてこう話す。
「都心部、中でも大都市部ではデジタル決済が急拡大しており、都市部のチャイスタンドではミルクティー1杯(約20円)をクレジットカードで支払う光景も見られます。一方、人口の約9割を占める郊外や農村地域ではまだまだ現金決済が主流です」
主要機関や企業が集まる大都市部でのデジタル決済比率は70%と高い数字を記録しているが、それ以外のエリアでは現金決済が依然主流だ。都市部での現金決済比率は60%だが、郊外と農村地域に至っては80%以上と増加する。
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郊外や農村地でのATM需要が高いのは言わずもがなだが、大都市部でも現金決済が30%とまだまだ一般的であるため、無視できない。
日立ペイメントサービス(当時は前身のプリズムペイメントサービス)がATM事業で頭角を現すようになったのは、2008年にさかのぼる。当時、銀行は行員の勘と経験に頼ってATMの設置場所を選定し、運用保守業務の一部をベンダーにアウトソースする形で展開していた。利用頻度の高いATMは採算が取れるが、固定費ばかりがかさむATMも存在していたという。
そこで同社が銀行に提案したのが、フルアウトソーシングによる成果報酬型のATM運用サービスだ。
資産保有からATMの設置場所の選定まで担い、ATM取引数に応じた従量課金モデルで固定費を削減、銀行とのウィンウィンな関係を構築した。強みであるデータ活用によって採算性の高い設置場所を選定できるという提案が、銀行には響いた。
「その結果、さまざまな銀行からの受託につながりました。現金入出金量といった各行のATMデータが集まったことで、利用頻度の高いエリアや現金切れが起きやすい場所などが分かってきたのです。そうすると、今度は銀行に『この場所のATMは実はあまり儲(もう)からないので廃止して、こっちにATMを増やしませんか?』といったコンサルティングにもつながっていきました」(松本氏)
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この動きはユーザーにとってもメリットになる。利便性が高い場所に、現金切れを起こさないATMが設置されていることで利用率が向上する。銀行もビジネスの商機を取りこぼさずに済む。現在、日立ペイメントサービスが運用・保守を担う銀行ATMはインドの業界平均よりも33.2%高い利用率を実現しているという。
さらに、複数銀行の横断的な分析データは、自社ブランドATMの設置場所にも生かせる。人の往来が多く利用率が高いエリアに設置するのはもちろんだが、銀行が設置していないが現金需要が大きい郊外や農村地にも手を広げたのだ。これまで銀行のATMや支店がなく、金融サービスを利用するのが難しかった郊外在住者が、現金の入出金や振り込み、口座情報の確認などを容易にできるようになった。
より郊外在住者が簡単に金融サービスにアクセスできるよう、日立ペイメントサービスは2024年1月に金融サービス仲介事業「日立マネースポット・プラス」を立ち上げた。小売店を銀行サービスのタッチポイントとすることで、距離などの問題からATMにアクセスできない人々への利用を促していく。
●遅咲きだったPOS事業 トップシェアまでの道
冒頭に記したように、日立ペイメントサービスはPOS事業にも強みを持つ。運用するPOS台数は200万台超で、市場の4分の1を占める。
今でこそ市場をけん引する存在となったが、POS事業に乗り出した2010年から約9年ほどはデジタル決済市場の追い風があったにもかかわらず、飛躍的な成長を遂げることは難しかったという。松本氏は「インドでのデジタル決済の普及率が上がっていくのに比べて、当社のビジネスが急角度で伸びたわけではなかった」と、当時を振り返る。
「われわれのPOS決済事業を強化していくために、インドのパートナーと組んで加盟店開拓から一緒に進めていく必要性を感じました。そうしないと、デジタル決済市場の成長角度に足並みをそろえていくのは難しいだろうと」
そこで日立ペイメントサービスは2019年1月、インド最大の国営商業銀行であるインドステイト銀行(SBI)と合弁会社「SBIペイメントサービス」を設立。
SBIペイメントサービスが加盟店開拓を担い、日立ペイメントサービスはテクノロジーの側面から加盟店のデジタル化を支援し、業務効率化を実現することで加盟店増につなげるというのが事業戦略の大きな柱だった。
しかし同様の戦略を考えているのは、他社も同じだった。デジタル決済が急速に進む中で、加盟店向けのプラットフォーム競争が激化。加盟店の事業のデジタル化を推し進めようと奮闘していたが、なかなか思うように成果に結び付かない状況に陥った。
「加盟店からすると、部分部分でデジタル化されても大変なだけ。当時、チーム内で『アフターデジタル』という本を擦り切れるほど読み、よくよく考えまして、『加盟店が求めていることは何なのか』という視点が欠けていたことに気付きました」(松本氏)
デジタル化ばかりに目が向いてしまい、手段と目的がすり替わってしまっていたのだ。結果、システムのサイロ化やデータ分析の形骸化などが起こり、顧客の潜在的なニーズが置き去りにされていた。
そこで日立ペイメントサービスが生み出したのが、加盟店の店舗運営で必要になるサービスをリアル(現金)、デジタル問わず支援していくというソリューションだ。
「ATM事業でやったように『当社に全部任せてくれませんか?』と提案しました。特定のプロセスだけをデジタル化しても意味がなく、店舗運営における販売企画〜顧客管理で必要なサービスをワンストップで提供することで店舗運営の支援につながると思いました」(松本氏)
提案を踏まえて、加盟店業務プロセスの全体像を見てみると、課題が見えてきた。レジの現金管理だ。在庫管理や発注・仕入れ、決済や顧客管理などはデジタルに置き換えられたが、現金残高をリアルタイムで把握できていない点が課題として浮かび上がった。
現金残高が把握できないと釣り銭切れが発生し、買い物客にお釣りを渡せない事態も起こる。さらに、現金を含む店舗売り上げの実態をタイムリーに把握できないため、銀行から与信を受けることも難しくなるという。
「この課題を解決して加盟店を支援しなければ、ただの中途半端なデジタルソリューションベンダーになってしまう。それでは全然意味がない、と気付きました。現在、1万7500の加盟店に、定期的に現金の回収に行ったり、現金が不足しないように届けたりというサービスを展開しています」(松本氏)
「デジタル化は手段で、必要なのは加盟店のニーズを実現すること」という一番重要なポイントに立ち返り、デジタルに固執せずに、加盟店や買い物客特有の現金需要を汲んだ対応をすることで、独自のDXの確立にこぎつけた。
●POS事業の「次のDX」 強みのデータ分析を生かす
そして、すでに次のDXの実現にも着手している。カードやQRコード決済で記録が残るPOSデータと現金決済データの両方のデータを分析・活用し、加盟店が新たな金融サービスを受けられるような仕組みの整備を進めているのだ。
「小売店のデータ分析と言えば、POSデータが中心です。しかし、インドはいまだに現金での決済が約7割を占めています。POSデータだけでは正しい売り上げ状況や顧客動向を把握できません。POSと現金のデータが両方あって初めて分析として意味があるものになると思います」(松本氏)
SBIが所有しているPOS経由のデータと、日立キャッシュマネジメント(日立ペイメントサービス100%子会社)が展開する現金輸送サービスで収集したデータをSBIペイメントサービス内で統合することで、他行には掴めない現金の流れも把握できる状態を作り上げている。
POSと現金の流れを把握することで、加盟店のビジネスが成長しているかどうかも分かる。事業が好調に推移しているという情報を銀行に提供できれば、与信が増えて店舗拡大や設備投資のための借り入れなども可能になるかもしれない。
「この循環を作っていくことが、われわれが次に完成させようとしているDXであり、データの利活用です」(松本氏)
●インドで学んだ「DXの本質」
ここまで紹介したように、インドの決済市場において日立ペイメントサービスがなくてはならない存在に成長していることが分かるだろう。
しかし、その道のりは決して平たんではなく、DXの落とし穴の中でもがくことも少なくなかった。松本氏はこれまでの軌跡を振り返り、DXの落とし穴として、(1)手段の目的化、(2)アナログ vs デジタル、(3)売り切り型ビジネスの呪縛の3つを挙げた。
「手段が目的化し、AIやデータの利活用やソリューションありきの話になっていました。さらに『アナログか、デジタルか』という思考にとらわれることで視野狭窄に陥ってしまい、新しい価値が見えなくなりました。短期的な目先の利益に走るようになってしまうことも挙げられます。デジタルのプロダクトソリューションで今年度の売り上げがいくら上がったのか、全体売り上げの何パーセントがデジタルだったのかなど、経営視点では正しいのかもしれないですが、その観点に意識が向けば向くほど顧客のニーズからどんどん乖離(かいり)して……という悪循環になる。これが、DXの落とし穴だったのではないかと思います」(松本氏)
落とし穴にハマりながらも、目指すべき方向性を見極め、インドのパートナーや加盟店と関係を作り上げてきた。インドでの決済事業の取り組みを通じて、松本氏はDXの本質を「顧客志向、ロングターム志向で顧客のビジネスに貢献し、ユニークな価値の追求を通じて長期的な互恵関係を実現すること」と話す。
「インドでのビジネスの根底には、手段を問わずに顧客の事業成長に貢献する、その中でウィンウィンの関係を築いていくというマインドセットがあるように思います。だからこそ、部分最適ではなく、『われわれに全部任せてみませんか?』と、顧客の事業の全体最適を考えた提案スタイルになる。その点が非常に顧客志向です。もう一つは、自社のユニークな価値を徹底的に磨き、その価値を顧客のビジネスのどの部分で生かせるか、そしてそこを起点にどうビジネス全体を変えていくか、そういう視点を持って推進していると実感させられました」
「そして、ここで挙げた2つの観点を踏まえて、彼らはロングターム志向でビジネスを捉えています。共にウィンウィンの関係を長期的に続けていく、そのためには顧客のビジネスのオペレーション部分に何らかの形で関わる必要があります。ユニークな強みを持って顧客のビジネスを良い方向に一緒に変えていく、それがインドでのビジネスの本質であり、DX実現の重要な視点なのではないかなと感じています」(松本氏)
(熊谷紗希)
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