労働者のスタンダードは「元気でバリバリ働ける人」……本当にそれでいいの?

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2024年10月01日 06:11  ITmedia ビジネスオンライン

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 今から16年後の2040年、私たちが暮らす日本社会はどのようになっているでしょうか。


【画像】本当は働きたいのに働けていない「働き手候補者」、もっと働きたい「不満足労働者」がいる


・介護職員などが不足し「週4日必要なデイサービスがスタッフ不足で3日しか受けられない」状況が標準になる。


・小売店は人手不足で「無人化」を余儀なくされる。


・運搬・輸送などのドライバー不足で「4人必要な仕事に3人しかいない」状況になる。


・建設現場は人手不足で、道路のメンテナンスや災害時の復旧に手が回らず「必要なインフラが使えないまま」になる。


・医師・看護師・薬剤師などの保健医療専門職が不足し「病気になっても診察を受けられない」「救急車を呼んでも受け入れる病院がない」事態になる。


 ――これらの未来予測を行ったのはリクルートワークス研究所。日本社会が今後直面する社会問題にリアリティを持ってもらいたいと「生活を維持するために必要な労働力を供給できない状態」である「労働供給制約」を算出したところ、上記のような未来が見えてきました(リクルートワークス研究所「未来予測2040」)。


 報告書が公表されたのは2023年4月です。かなり衝撃的な内容でしたから、大手メディアはこぞって取り上げ「受け入れる病院がないって、コロナ禍の悪夢再来?」「ドライバー不足は深刻だなぁ」「っていうか、道路使えないってどうよ?」とそれはもう大騒ぎでした。


 ところが今はどうでしょう。ニュースになった日には大騒ぎしたのに、何事もなかったかのように社会は「人手不足」のまま動き続けている。むろん、対策を練って人手不足を最小限にした企業もあります。しかし、いまだに「人手不足」という4文字が連日新聞やSNSに踊っています。


●「元気でバリバリ働ける人」中心の企業たち……本当にそれでいいの?


 そもそも今の日本社会の慢性的な人手不足の原因が、超高齢社会と少子化による生産年齢人口の減少にある以上、“全員野球”で乗り越えるしかありません。それなのに、早期退職や希望退職と銘打って、まるで「在庫一掃セール」のように経験豊かなシニア人材を排除する企業が後を絶ちません。働く女性は増え続けているのに「意思決定のポジション」に就く女性は一向に増えず、男性との賃金格差も解消されず、外国人の働き手の待遇もなかなか良くなりません。


 働く人の半数以上が50歳を超え、この12年間で60歳以上の従業員は2倍に増え、特に65歳以上は3.2倍と爆増したのに(厚生労働省、令和3年「高年齢者雇用状況等報告」)、企業が求める働き手のスタンダードは「元気でバリバリ働ける人」のまま動き続けている。こんな状況で人手不足が解消されるわけないのです。


●深刻な人手不足、しかし隠れ「働き手候補者」「不満足労働者」がいる


 9月6日に厚生労働省が公表した「労働経済白書」(令和6年版 労働経済の分析)も、テーマは「人手不足」でした。


 高度成長期末期の1970年代前半以降繰り返された人手不足と、2010年以降の人手不足の背景などをさまざまな側面から分析。過去の人手不足が「短期かつ流動的」だったのに対し、2010年代以降続いている人手不足は「長期かつ粘着的」としました。


 内容はこれまで民間企業や研究期間が実施した調査結果に追従するものがほとんどですが、興味深い結果もありましたので、その一部を紹介します。


・「宿泊・飲食サービス」で顕著だが、産業や職業に関係なく相当に広い範囲で人手不足が生じている。


・中小企業の人手不足感がより強い傾向にある。


・「就業希望はあるが求職していない無業者」は約460万人、理由は「病気・けが・高齢のため」が多く、女性は「出産・育児・介護・看護のため」が多い。


・正規・非正規雇用で労働時間を増やしたい者が約300万人、追加就業希望者(現在就いている仕事を続けながら、 他の仕事もしたいと思っている人)が約500万人。一方、労働時間を減らしたい者は約750万人。


 さて、いかがでしょうか。


 これだけ「人手不足だ!」と騒ぎまくっているのに、「働きたい意欲」がありながら「ちょっと無理」という隠れた“働き手候補者”が460万人、「もっともっと働きたい」という“不満足労働者”が800万人というパラドクスが生じています。


 2040年、労働者は1100万人余り不足するとされていますから(参考:冒頭のリクルートワークス研究所の報告書)、隠れた“働き手候補者”と、“不満足労働者”が働ける環境を整えれば、人手不足解消の糸口になるはずです。それは同時に、私自身繰り返し訴えてきたシニア、女性、外国人も含めた“全員野球社会”への道です。


 人手不足問題では「生産性を向上させるしかない!」という言語明瞭意味不明な言説が飛びかいますが、全てのメンバーに能力発揮の機会があり、すべてのメンバーが生き生きと働ける職場を作れば、自ずと生産性は向上します。


●期待がかかる「ワークシックバランス」の実現


 そこでまずは「ワークシックバランス」の実現です。ワークシックバランスとは、病を抱えながら働く人が、周囲の理解を促しながら仕事と病との調和をとり、病があっても自分らしい働き方を選択できることを目指す考え方です。


 ワークシックバランスが徹底されれば、“働き手候補者”が労働市場に参入できます。人知れず病と闘いながら働いている人の潜在能力を引き出すことも可能です。


 実際、2022年時点で働く人全体の40.6%が病気やけがで通院しています。2001年の28.2%から12.4ポイントも増加しました(厚労省調べ)。


 一方、何らかの疾患を抱えながら働いていることを、会社(所属長・上司)に相談や報告「できない」あるいは「していない」人は、正社員でも4人に1人(25.3%)もいます。非正規雇用の場合、派遣社員では半数近い46.2%、パート・アルバイトは38.1%、契約社員は31.5%と、正社員を大幅に上回ります。


 歳を重ねれば細胞は老いるし、体のありとあらゆる機能は衰えます。なのに「病と共に働く」のが難しい現実がある。突然病気を告知され、これまでの通りの生活は送れない状況になった時に誰にも相談できず、1人で悩むしかない社会は、シンプルにおかしいと思います。


 そもそも70歳まで働くのが当たり前になり「75歳まで働けそう!」と思える人は確実に増えているのですから、どんな雇用形態であろうとも、どんな立場や年齢であろうとも、「実は私……」と弱音をはける空気をつくる。それこそが、心理的安全性(psychological safety)のある組織です。


 心理的安全性=意見を言う職場と思い込んでいる人がいますが、psychological safetyとは「自分のマイナスになるかもしれないことでも言える雰囲気が、チーム内にある状態」を示す言葉です。Psychological safetyを、Trust(信頼) やMindfulness(マインドフルネス)と混同する人もいますが、Trustは他者への感情であり、Mindfulnessは自己の感情であるのに対し、Psychological safetyはあくまでも「場=チームや職場」に抱く感情です。


 「実は私、がんになってしまって。治療しなければならない」「実は私、目に見えない難病なので、急に体調が悪くなってしまうことがある」などと言い合える職場を、知恵を絞って実現すれば相当な人手不足は解消されるはずです。


●ケア労働を評価すべき、その理由


 そして、ケア労働を評価する社会の実現も欠かせません。ケア労働とは、育児や介護をはじめ、家族が生活を営むために必要な家事を担う重要な労働です。給与をもらい働く市場労働とともに、生きていくためには必要不可欠なものです。


 女性をはじめとした、出産・育児・介護・看護のために“働き手候補者”にならざるを得ない人たちを労働市場に呼び寄せるには、ケア労働を市場労働と同等評価し、男性の育児・家事時間を増やすしかない。


 日本同様「性役割」が根深いドイツでは、労働時間を徹底的に管理することで「男性も仕事ばかりしないで、さっさと家に帰って家事育児をしなさい!」という社会をつくってきました。


 「1日10時間以上働くこと」は原則禁止し、抜き打ちの監査が入るほど厳重に徹底され、残業超過が発覚した場合には、雇用者(もしくは管理職)に最高1万5000ユーロ(約180万円)の過料もしくは1年以下の懲役という罰則が課せられました。有給休暇も年間で最低24日間と定め、100%近い消化率。さらに、残業した分は「労働時間口座」に貯蓄し、後日休暇などで相殺し、自分の時間に転換することもできます。


 こうして市場労働の時間を制限する一方で、2017年にドイツ政府は「ケア共同モデル」の方針を発表。従来の専業主婦モデルから脱し、男女双方がケアを共同で担う新しい家族像を提唱しました。


 日本は「バリバリ元気な男性の働き方」がスタンダードのまま、女性を労働市場に参入させてきました。しかし、時代は変わり、共働き夫婦がスタンダードです。ならば、男性が家事育児をすることも当たり前にする必要がある。


 そのためには政府や企業が、市場労働だけじゃなくケア労働を評価するしかないのです。


 人が持つ「仕事」「家庭」「健康」の3つの幸せのボールを、どれも落とすことなくジャグリングのように回し続けられる働き方、働かせ方が今こそ求められています。それを実現してこそ、全てのメンバーが生き生きと働ける職場といえるでしょう。


●河合薫氏のプロフィール:


 東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。


 研究テーマは「人の働き方は環境がつくる」。フィールドワークとして600人超のビジネスマンをインタビュー。著書に『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアシリーズ)など。近著は『残念な職場 53の研究が明かすヤバい真実』(PHP新書)、『面倒くさい女たち』(中公新書ラクレ)、『他人の足を引っぱる男たち』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)『THE HOPE 50歳はどこへ消えた? 半径3メートルの幸福論』(プレジデント社)、『40歳で何者にもなれなかったぼくらはどう生きるか - 中年以降のキャリア論 -』(ワニブックスPLUS新書)がある。


2024年1月11日、新刊『働かないニッポン』発売。



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