立花もも新刊レビュー 探偵小説の注目作からDI犬の物語まで……今読むべき4選

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2024年10月05日 08:00  リアルサウンド

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前川ほまれ『臨床のスピカ』(U-NEXT)

 発売されたばかりの新刊小説の中から、ライターの立花ももがおすすめの作品を紹介する本企画。数多く出版されている新刊の中から厳選し、今読むべき注目作品を紹介します。(編集部)


桜庭一樹 『名探偵の有害性』(東京創元社)

  警察も手を焼く事件を華麗に解決してくれて、警察ではないから逮捕を結論とせず、ときに犯人にすら寄り添ってくれる名探偵が「有害」だなんていったい誰が思うだろう?


  本作の語り手・鴨宮夕暮は、かつて名探偵・五狐焚風(ごこたい かぜ)の助手だった。「推理の風が吹いたぁ!」が決めゼリフの風が、四天王の一人として一世を風靡した平成の時代のことである。だが20年前、ある事件を境に二人は袂をわかち、今の鴨宮は両親から継いだ純喫茶を13歳下の夫と営んでいる。ところがその店に、やはり疾風のごとく突然、風が現れた。直後に人気Youtuberが「名探偵の有害性を告発する」と風を糾弾する動画を投稿したことで、鴨宮は常連客と不倫中の夫には何も告げず、風とともに過去をふりかえる旅に出るのだが……。


  大学生だった二人がどんなふうに出会い、どんなふうに難事件を解決させていくコンビに至ったのか。事件の起きた場所や被害者を訪れながら回顧していくのだけれど、経験したはずのことなのに、二人とも、当時の鴨宮が書いた小説をたよりにしか詳細を思い出せない。でも、ふと思い出す大事な記憶は、小説には決して書かれていない、というのがリアルだなあと思った。有名になればなるほど虚像がかたちづくられていくなかで、何の資格ももたない名探偵が犯人を暴き出す、その過程にも結論にも落ち度がなかったはずがない、と読みながら読者も気づかされる。


  でも、落ち度があったからといって、すべてが否定されていいものなのだろうか? そういう時代だったのだ、と自分たちの特権性や無自覚に誰かを踏みにじってきた行為を正当化するのではなく、真摯に過去と向き合いながら、己をとりもどしていく二人の姿は、時代の変化についていけないと一度でも感じたことのある人にもきっと響くだろう。



吉田篤弘 『十字路の探偵』(春陽堂書店)

  こちらも名探偵の物語。名探偵の背負う業の一つに「息をしているだけで事件に出会ってしまう」というものがある。事故としてごまかされていようと、何ならまだ発生していない事件であろうと、不審な香りをかぎとり推理によって真相を暴き出してしまう。黒い外套と灰白色の眼帯がトレードマークの除夜一郎も、その一人。そして、探偵としてしか生きられない自分の性質に倦んでもいた。そんなとき、言われるのだ。「あなたが本当に優れた探偵であるなら、誰かが命を落とす前に事件の謎を解くべきではないですか?」「大事なのは人の命であって、優れた推理ではないもの」と。


  かくして除夜は、誰かが命を落とす前にその事件の謎を解く、事件を起こさせない探偵となることを決める。そんな折、不思議な古本を手に入れたのをきっかけに、何者かに追われるミサキという女性に出会う。そして大家の厚意から、除夜と同じ下宿で暮らし始めたことで、彼女は探偵の助手という役割を担っていくのである。


  各エピソードの冒頭には、言葉の定義と連想が綴られる。たとえば〈ふたつの道が「直角」もしくは「ほぼ直角」に交わるところを「十字路」と云い、北から吹き募る風を、これすべて「北風」と云う〉という具合に。何の話だろう?と最初は首傾げそうになるけれど、連想の積み重ねで見えるもの、そして一つひとつの事件をつなげる細い糸が見えたときに、構成の妙に唸らされる。


  やがて除夜とミサキは、大家である時計屋の娘が二年前に命を落としたある事件の謎にたどりつく。人ひとりにできることなど、それが名探偵であっても限られているなかで、絶望せずに希望の光を見出し続けられるのか。見出すためにはきっと、自分ではない誰かの存在が必要で、だからこそ除夜は人の交差する十字路に立ち続けるのではないのかな、などと思うのであった。



古矢永塔子『夜しか泳げなかった』(幻冬舎)

  中高生に絶大な人気を誇るZ世代のカリスマで覆面作家のルリツグミ。小説投稿サイトから発掘されたデビュー作『君と、青宙遊泳』は余命いくばくもない女子高生と主人公のかけがえのない日々を描いた青春小説で、いわゆるブルーライト文芸と呼ばれるたぐいのもの。素直に感動する、あるいはくだらないと唾棄する、読んだ人の反応はそれぞれだけど、高校教師・卯之原朔也だけは違った。これは僕の物語だ、誰の目にも触れさせるつもりのなかった僕だけの物語だと衝撃とともに憤慨する。


  物語の内容は、卯之原が高校時代に出会った高校の同級生、日邑千陽と過ごした夏と、あまりに酷似していた。試行錯誤した末に、卯之原は、作者であるルリツグミ――現役高校生の妻鳥透羽(とうわ)と接触することに成功する。妻鳥が、卯之原が勤務する高校に転入してきたのだ。


  日邑との死に別れは、小説で書かれているような美しい物語ではなかった。日邑の事情になんてかまっていられないくらい、当時の卯之原も追い詰められていて、いっぱい傷つけられたし、傷つけた。その、自分たちだけの記憶を、クソみたいな現実を、お涙頂戴の感動ストーリーに改変するなんて、日邑自身がいちばん憎んでいたことではないのかと卯之原は思う。なぜ日邑は、妻鳥にそんな物語を書かせようと思ったのか。過去と現在だけでなく、作中作と交錯させながら「何が起きたか」に本作は迫っていく。


  その過程が、あまりにひりひりとした感情に溢れていて、そしてつい「物語」で現実をごまかそうとしてしまう読者である私たちの弱さも突き付けてくるようで、何度か読み進めるのを躊躇した。でも、たとえ嘘やごまかしが織り交ぜられていたとしても、過度に美しくコーティングされていたとしても、人の心の本質は、必ず物語や記憶の奥底に潜んでいる。最後に卯之原がたどりついた日邑の想いに触れてぜひ、彼らの「本当」に触れてほしい。



前川ほまれ『臨床のスピカ』(U-NEXT)

 病院職員の一人として患者をケアするDI犬。DIとは〈Dog Intervention〉の略で、直訳すると〈犬の介入〉である。スピカという白い大型のDI犬を中心に、動物介在療法と呼ばれる医療行為をテーマに描かれていく本作を読んで思い出したのは、イギリスに住むおばが、やはり大型の飼い犬を連れて小児病棟を訪ねていたときのことだ。ナラ、と呼ばれたその犬は子どもたちに大人気で、病状によっては長期入院している子どもたちが、ぱっと顔を輝かせて、心の底から楽しむ姿を見て、心が打たれたものだった。この触れ合いでしか得ることのできない何かがあるのだと思わずにはいられなかった。


  第一話では、やはり小児がんを発症し長期入院する少女が登場する。視点人物は父親で、白衣より清潔といわれても犬とたわむれるなんて衛生的に問題はないのか、などと案じる場面を通じて、スピカとは、DI犬とはどういう存在なのかが描かれていく。退院したら思いきり遊ばせる、そのためにも今は治療を最優先したいと考える父親の気持ちはもっともだけど、ハンドラー(スピカの責任者)である凪川遥の〈小児の『遊び』は、発達に関係する大切な活動です。入院したからと言って、成長が止まることはありませんので〉という言葉が響く。退院後の生活に目を向けることも大事だけれど、入院中の今この瞬間も、同じように大切な日々なのだと。それを支えるためにも、スピカはいるのだと。


  スピカが支える患者は、子どもに限らない。強迫性障害の少女や産後うつの女性など、さまざまな苦しみを抱えながら、どうにか明日をめざそうとする患者たちが描かれる。DI犬だけでなく、個別の病症に対する理解が自然と深まっていくのは、現役看護師である著者ならではの描写だろう。凪川もふくめて、痛みを知らずに「今、ここ」に立っている人間など一人もいない。


  入院するほどでなくとも、絶望に押しつぶされそうになっている人は、たくさんいる。そんななか、誰の言葉が届かなくても、ただ命のかたまりである動物とのふれあいが救ってくれるものはきっと、あるだろう。読みながら、スピカのもたらす光に、読み手である私たちの心もほのかに照らされる。と同時に、DI犬の導入がもっともっと推進されればいいのになあ、と切に願う。



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