清水エスパルス・西部洋平氏インタビュー(後編)
◆西部洋平・前編>>J1通算300試合以上の名GKがなぜ「広報」に?
J1リーグに300試合以上出場したベテランGKは、セカンドキャリアに「広報」という職種を選んだ。引退後の選手の多くがチームの「強化部門」などピッチに近い現場を選ぶのに対し、彼は「事業部門」という異色のポジションから第二のスタートを切った。
24年間ずっとプロサッカー選手として生きてきた西部洋平が42歳から飛び込んだ未知なる世界。彼は今、どんな感情を抱きながら「広報」という仕事に向き合っているのだろうか。
元選手だからこそ感じることができる、やりがいと苦労──。それらを日々感じながら、将来の目標についても語ってくれた。
|
|
※ ※ ※ ※ ※
── 引退後は当初、古巣の清水エスパルスからGKコーチのオファーがあったとのことですが、なぜその流れから広報という職種に就くことになったのでしょうか。
「最初はスカウトとしてエスパルスに戻る予定でした。ですけど、そのタイミングでクラブ内の人事異動があって、チーム広報の人手が足りなくなったんです。
そこでクラブから『スカウトか、広報か、どちらがやりたい?』と話をされた時、僕は『会社にとってプラスになるほうでいいです』って答えたんですよ。結局、そのタイミングでエスパルスがより求めていたのは後者だったので、広報になることを決めました」
── 元選手が広報になるのは、なかなかのレアケースでは?
|
|
「いや、エスパルスは僕で3人連続なんです。高木純平(2001年〜2010年、2013年〜2015年に在籍したMF)と三浦雄也(2013年〜2014年に在籍したGK)が僕の前にやっていました。
だけど、たしかに珍しいと思います。やっぱり引退した選手は現場をやりたいという人が多いですからね。コーチだったり、スカウトだったり、強化サイドがメインで、事業サイドに入る人は圧倒的に少ないと思います」
── そもそも広報という仕事に対して、どういうイメージを持っていましたか。
「入る前までは、クラブや選手の魅力を発信していく仕事なんだなと、なんとなくイメージしていました。ただ、僕もやるとは言ったものの、まったくわからない状態で飛び込んだので、今は苦労の連続です。本当にいろんな仕事があって、自分が想像していた10倍ぐらい大変です(笑)。こんなことも広報の仕事なんだって思うこともたくさんありますよ」
【SNSの知識を必死に食らいついて覚えた】
── たとえば、どういったものがありますか。
|
|
「それこそ請求書を作ったりとか、ふだんの取材のセッティングとか。知っている人からすれば当たり前のことなんでしょうけど、何も知らない僕にとっては驚きでした。
あと、いきなり正担当を任されてしまったんですよ。正担当の意味すらわかってなかったんですが、要は常にチームに帯同して、最終的なところは上司の次に決定する立場になったわけです。
まったくわからない状態で入ったので、アウェーの遠征にもすべて帯同するとは思っていませんでした。ましてや動画を撮るとも思ってなかったですし、?なんてこれまで一切、触ったことがありませんでしたからね(笑)」
── 現役の時はSNSなど、やられてなかったのですか。
「インスタをたまに更新するくらいでした。なので、SNSなんてまったくついていけなかったんですが、前任の三浦に1カ月ぐらいで叩き込んでもらいました。今はポストすることもありますし、YouTube用の動画も撮ることもあります。編集をやることもありますね。
それまでは本当にアナログな人間だったので、とにかく覚えることが多くて、今でも必死で食らいついている状態です。でも、やったことがないことだからこそ新鮮だし、刺激的で、楽しみながらやらせてもらっています」
── 取材の窓口として、メディア関係者からの電話対応であったり、メールのやりとりをすることも数多くありますよね。
「そこも大変でした。特にメールはまだ慣れない部分がありますね。ビジネスマナーと言ったら大げさかもしれないですけど、そういう知識もまったくなくて。だから、ひとつ返信するのに、最初の頃は何十分もかかりましたね。
この言葉遣いでいいのかなとか、これで伝わるかなとか。少しずつ形にはなってきたと思うんですけど、失礼なメールを送ってしまっていることもあるんじゃないかと。もっと勉強しないといけないですね」
【静岡のサッカーを盛り上げたい】
── 気疲れすることもありますか?
「そうですね。でも、気疲れで言ったらやっぱり選手とのやり取りで、一番それを感じます。『元選手だからコミュニケーションも取りやすいでしょ?』ってよく言われるんですけど、たしかにそれは僕の特権である一方で、逆に選手の気持ちがわかるからこそ、つらい部分もあります。
『俺だったら、このタイミングで取材を受けるのはきついよな』と思うような時でも、やってもらわないといけない時もあります。最初は周りのイメージどおりに簡単にできると思っていたんですけど、いざシーズンが始まると、選手の顔つきも雰囲気も変わってきて、そんなに簡単じゃないっていうことに気づきました。
今は選手の醸す空気をしっかりと感じ取ったうえで、選手ファーストでお願いするようにしています」
── 選手ファーストである一方で、広報側である程度、コントロールしなければいけない部分もあるわけですよね。
「昔と違って、今はSNSを活用して、チームのよさを伝えることがすごく求められています。どうしても選手に協力してもらう機会が増えてくるわけですけど、やっぱり、きつい時はきついじゃないですか。だから僕は、誠心誠意、選手たちに向き合っていますし、しっかりとお願いすれば、彼らも理解してくれます。みんな根がいい選手ばかりですから」
── やりがいと苦労を感じながら、広報としての日々を過ごすなかで、今後の方向性というものは見えてきたのでしょうか。
「もちろん、今は広報をやっている以上、この仕事を極めなければいけないと思っています。やりがいも感じていますし、リスペクトを持って働いています。選手のサポートをしたいという想いも、この仕事を通して実現できています。
ただ一方で、広報としてピッチレベルに立つ機会が多くあるなかで、選手の近くにいると、やっぱりいろいろと言いたくなるんですよね。あの選手、もうちょっとこうしたら絶対によくなるのにな、とか。
そういう感覚が常にありますし、現役時代にも若い選手に言ってあげることで響かせられたなと思うこともありました。そういう部分で言ったら、広報を極めたあとには、エスパルスで強化の仕事にまわりたいという想いも生まれています。いつになるのかはわかりませんが、そこが新たな目標ですね」
── 広報として今後、やってみたいことはありますか。
「静岡のサッカーを盛り上げたい、という想いはありますね。かつては『サッカー王国』と言われていましたけど、今は少し低迷しています。サッカー離れもあるかもしれません。だから、子どもたちがエスパルスに憧れをもってもらえるような活動をしていきたいです。
スクールだったり、選手と触れ合ってもらう機会を作ることもそう。広報の活動を通して、エスパルスの価値を高められたらいいなと思います。それがひいては、静岡サッカーの再興につながればいいですね」
<了>
【profile】
西部洋平(にしべ・ようへい)
1980年12月1日生まれ、兵庫県神戸市出身。1999年に帝京第三高校から浦和レッズに入団。2006年から清水エスパルスでプレーし、その後は湘南ベルマーレや川崎フロンターレに在籍し、2022年にカターレ富山で現役を引退。24年間のプロキャリアに終止符を打ち、2024年より清水の広報スタッフとしてクラブに復帰する。2007年にはアジアカップの予備登録メンバーに選ばれ、J1リーグ通算313試合出場の実績を残す。ポジション=GK。身長187cm。