アンドレス・イニエスタが、とうとうスパイクを脱いだ。
バルセロナの選手として、ラ・リーガ優勝8回、スペイン国王杯優勝6回、チャンピオンズリーグ優勝4回、クラブワールドカップ優勝3回。スペイン代表選手としても、ユーロ優勝2回、ワールドカップも優勝を経験した。眩しいばかりのタイトルである。あまつさえ、5年間プレーしたヴィッセル神戸にもクラブ史上初となるタイトル、天皇杯をもたらしている。
しかしながら、イニエスタはタイトルや数字で語るべき選手ではない。
最高のサッカー選手の定義はいろいろあるだろう。リオネル・メッシは人知を超えた技量を持っていたし、クリスティアーノ・ロナウドはゴールに向けて巨大な野心を燃やした。過去30年、世界最高の選手の称号は、おそらくこのふたりのいずれかになる。
ただ、フットボールに"宇宙"を感じさせたのは、イニエスタだ。
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彼は特別に速くも、強くも、大きくもない。実際、間近で見ると、とても小さく細身である。足など杖のようだった。
にもかかわらず、ピッチに立つと誰も近づけない。強く当たりにいけば、さらりとかわされる。そこで動きを見極めようと距離を取ったら、自由にパスが出る。
「相手が群がるのを恐れない。その時、味方は必ずフリーになるから」
イニエスタはその矜持でプレーしていた。
ユーロ2012のイタリア戦で撮られた1枚の写真は、語り草である。5人ものイタリアの選手に、イニエスタがひとり囲まれているのだ。
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逆説すれば、たとえ5人に襲いかかられたとしても、ボールを奪われない神業的技術があったということだろう。ボールの置きどころ、動かすアングル、体の使い方、あるいは視線、それらがすべて絶妙で、相手の逆を取ることができる。相手の軸足のほうにボールを動かし、追ってくれば、さらに逆を取る。
「魔法」
そう呼ばれる次元のテクニックだったわけだ。
イニエスタとは、何者だったのか?
12歳でバルサの下部組織ラ・マシアに入寮したイニエスタは、家族が恋しく、泣いてばかりいたという。
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「ラ・マシアに入団した時は、人生最悪の日だった。それまでずっと、両親がそばにいてくれたのに離れてしまって。将来のためって、来るのを決めたのは自分自身だったんだけどね」
【17歳のイニエスタは語った】
それは運命だったのだろう。15歳の時点で、そのプレーセンスは傑出していた。
「俺はおまえに引退させられる。しかし、おまえはアンドレスにいつか引導を渡される。アンドレスは王になる選手だ」
ジョゼップ・グアルディオラ(現マンチェスター・シティ監督)が、同じポジションで台頭しつつあったシャビ・エルナンデスに対し、そう言ってイニエスタの才能を称賛したのは有名な逸話である。
実は筆者も、イニエスタが17歳だった当時のプレーに、雷に打たれたような衝撃を受けたことを覚えている。
バルサBでプレーしていたイニエスタは、一つひとつのプレーがゴールにつながっていた。いや、一挙手一投足がゴールへ向かって行なわれているようだった。それはフットボールという宇宙と曼荼羅(まんだら)のようにつながったような錯覚を受け、「彼こそフットボールそのもの」と感動した。そして浮かれたようにロッカールームまで行って、「話を聞かせてくれ」と懇願していた。
今のセキュリティだったら、大問題になっているだろう。当時のイニエスタは、シャワーを浴びる選手もいる横で「そんな風に思ってくれたのなら......」と、話をしてくれた。それも彼の人間性だったか。
その後の彼は、どこか神の域に入ったプレーを見せた。同じようなことを感じたのが、バルサ時代の盟友であるFWサミュエル・エトーだ。
「伝説となっているチェルシーとの(2008−09シーズン)チャンピオンズリーグ準決勝だった。終了間際、アンドレスは華麗に決勝ゴールを決めている。あのとき、俺はボールの声を聞いたんだ。アンドレスが蹴ったボールが喜びを上げていたのさ」
エトーはゴールを確信し、ボールがネットに入るのも見ずに祝福に走ったという。
「アンドレスと一緒にプレーすることで、誰もがサッカーがうまくなる」
それはひとつの真理である。だからこそ、彼が所属するチームはタイトルの栄光にも浴した。
たとえば神戸で、最もイニエスタの影響を受けたのは、2018年から3シーズン半をともに過ごしたFW古橋亨梧(セルティック)だろう。
古橋はもともとスプリント力が際立っていたが、高いレベルでプレーする経験が乏しく、荒削りだった。それがイニエスタからパスを受け取ることで、最上のタイミングを体に染み込ませた。エトー、ダビド・ビジャ、フェルナンド・トーレスといった名だたるストライカーから「最高のパサー」と言われたイニエスタからのレッスンは極上だった。
「日常で煩わしいことがあっても、ピッチに出てみんなとボールを蹴っていれば、段々と自分がリセットされていくんだ」
かつてイニエスタは、そう語っていた。本当に、彼はサッカーの神の化身だったのかもしれない。
「サッカーはすばらしいギフトだよ。贈り物に対しては、何かを返さなければならない。その使命感はあるけど、緊張はしないよ。なぜなら、多くの試合を積み重ねてきて、自分がわくわくしていなければいいプレーはできないと確信しているから。僕はピッチで自分を解き放つだけ。自分はどこまで行っても自分でしかないから」
その彼がスパイクを脱ぐ。ひとつの時代の終焉である。しかし、彼が遺したものは何らかの形で受け継がれるだろう。
「ドン」
イニエスタに与えられた敬称である。