「AKIRA」新装版はどう変化した?ーーコミック版との比較で改めて気づく、大友克洋の“凄み”

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2024年10月12日 08:00  リアルサウンド

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大友克洋『AKIRA』(講談社)左は全集版・右はKCデラックス版

◼️『AKIRA』のすごさが伝わりきっていないのは「スゴすぎるから」


 漫画家/イラストレーターである大友克洋。その画業を振り返る全集『OTOMO THE COMPLETE WORKS』の配本が第2期に入り、いよいよ大作『AKIRA』の刊行が始まった。



【写真】「大友克洋全集 AKIRAセル画展」


 大友克洋については、SNSで「最近の高校生は水木しげるは知っていても、大友克洋は知らない」というエピソードがバズっていたのも記憶に新しい。その原因は、「大友克洋の作品は、セックス・ピストルズや『スター・ウォーズ』のようなものだから」なのではないだろうか。


 ピストルズも『スター・ウォーズ』も、登場した当初は強烈な衝撃を周囲に与えた。が、衝撃が大きすぎて周囲の風景を一変させてしまったため、のちに生まれた世代にとっては変更後の風景が標準になってしまい、最初の衝撃がうまく理解できない存在だ。パンクやダイクストラ・フレックスがどれだけ衝撃的だったかを語っても、現代の高校生にとってはもはや歴史の授業と同じ感慨しか与えられないだろう。同じように、1970年代半ばから1990年代にかけて世界のコミック/イラストレーションに凄まじい衝撃を与えた大友克洋の作品とその影響は、いまや「鉄砲伝来」や「相対性理論の発見」に並ぶ歴史的な出来事なのである。


◼️大友克洋作品の多くは、これまで新刊で読むことができなかった


 大友克洋の仕事がそういった歴史的な距離感になっている現代だからこそ、全集の刊行は意義のある事業となっている。なんせ大友克洋の作品の多くは、現在新刊で読むことができない状態になっているのだ。「書店に新刊が並んでいない」「電子化もされていない」という状態では、高校生が知らないのも無理はないだろう。おまけに、大友作品には、そもそも雑誌掲載されただけで、単行本に収録されていないものが大量に存在する。


 1984年刊行の単行本『ショート・ピース』には、「大友克洋作品リスト」として、1973年から1983年までの掲載作品が年表形式で列挙されている。大友作品にドハマりした中学生のころ、この年表を見ては「デビュー作の『銃声』って、一体どんなマンガなんだ……?」「『大友克洋の栄養満点』って何……?」と想像を膨らまし、同時にそれらが収録された単行本が存在していないことを「なんでだよ〜」と恨んでいた。これら幻の初期作品が、全集刊行によって初めてまともに読めるようになったのである。


特に、昨年7月に発売された全集1巻で『銃声』を初めて読んだ時は、あまりに救いのないストーリーと、全然絵柄が違うのにどこか後年の大友作品にも通じる絵の雰囲気に驚かされた。中学以来の疑問が、20年以上経過してようやく氷解したのである。これは「原則として発表当時のまま、全作品を発表順に掲載する」というこの全集の考古学的アプローチがあればこそだろう。


◼️「全集版」と「KCデラックス版」を比較


 そんな考古学的アプローチによってまとめられた全集12巻『AKIRA 1』は、驚かされる点の多い一冊だった。まず、巻頭に収録されているカラーページから、単行本であるKCデラックス版とは全く内容が違う! アキラの発生させた黒球がなんかモヤモヤしてる! 「旧市街へ行くぞ!」「おおっ!」のページも構成が全然違うし、大戦後の関東周辺の図もドットが粗い!! 手直しされた単行本版しか知らない世代からすると、「ヤンマガ掲載時はこうだったのか……」という驚きがあった。「アキラの冒頭」のイメージが覆される内容である。


 本編を読み進めても、発見は多い。特にグッとくるのは、ヤンマガ掲載時の扉ページがそのまま掲載されているので、連載時にはどこでストーリーが途切れたのかがわかる点である。また、KCデラックス版と見比べることで、単行本にする際に話数と話数が途切れる部分に関しては新規描き下ろしのコマを挿入したりセリフを調整したりと、相当手直しを入れていたことがわかる。


 1995年に刊行された『AKIRA CLUB』では「雑誌掲載時の絵や構成は、単行本にする時に一度白紙にします」「20ページで1話分という大きな制約があるわけでして、描きたかった絵をはずして帳尻を合わせたりしているんです」という記述があった。それが具体的にどのような作業を指していたのか、全集版が刊行されることで初めてトータルで把握できるようになったのである。また、第11回のラストでは金田が下水道でフライングプラットフォームと戦いながら「気分はもう絶体絶命 以下次号だぜ!」と言っていたりと、連載時ならではの遊びが見られるのも楽しい。


◼️「全集版」はKCデラックス版を何度も読んでいる人こそより楽しめる


 各回の扉ページが大きく見られるのも嬉しいポイントである。扉ページ自体は、タイトルの有無も含めて前述の『AKIRA CLUB』に全話分が掲載されているが、「アキラ」「AKIRA」のタイトル入りで漫画のページの中に大きく入っていると、また見え方が異なる。そのほかにも2色カラーだったページがそのまま掲載されていたり、鉄雄がクラウンのメンバーの頭を割る強烈なシーンのカラーページが連載時同様の仕様で読めたりと、KCデラックス版を食い入るように眺めた人ほど楽しめる部分が、数多く散りばめられている。


 繰り返しになるが、KCデラックス版を散々読んだ立場でも全集版『AKIRA』を楽しめるのは、この全集が大友克洋という漫画家に対して考古学的なアプローチで編集されているからだ。そもそも単行本に収録されていない作品や、単行本収録時にさほど手が入っていない作品と比較すると、単行本作成時に激しく修正されている『AKIRA』は「できる限り初掲載時の情報を取りこぼさないよう編集する」という方針がわかりやすい作品だと思う。「何度も読んだマンガだし、今更読んで面白いのか……」と思っていたが、何度も読んだ作品だからこそ楽しめるのが今回の全集版『AKIRA』だと言えるだろう。


 一冊一冊がそこそこ値段の張る本であるという事情もあり、この全集を購入するのは大友ファンが中心となることは想像がつく。しかしむしろ、大友克洋という漫画家についてよく知らない人にとっても、この全集は価値あるものなのではないだろうか。漫画史に一時代を築いた大作家の画業が、全集刊行を通じて改めて振り返られる。その意義は、決して小さくないはずだ。



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