中谷潤人は日本人王者が占めるバンタム級でも格が違う 強すぎる王者はマービン・ハグラーを彷彿とさせる

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2024年10月17日 17:10  webスポルティーバ

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【「ちょい打ち」からフィニッシュへ】

 第6ラウンド1分30秒、WBCバンタム級チャンピオン、中谷潤人が放った左ショートの打ち下ろしが、挑戦者、ペッチ・ソー・チットパッタナの顔面を捉える。次の刹那、中谷はグラついたタイ人チャレンジャーを仕留めにかかった。

 ワンツー、右ボディ、左フック、右ボディアッパー、左ショートストレート、右アッパー。すると、2011年のプロデビュー以来、一度もダウン経験のなかった世界ランキング1位はキャンバスに沈んだ。

 中谷は一瞬、「これで終ったか」と感じたが、チットパッタナは起き上がる。ファイト再開後、チャンピオンは、とにかく相手を削ることに集中した。

 試合終了からおよそ8時間後、中谷は同タイトル2度目の防衛戦を振り返った。

「アゴへのアッパーでチットパッタナの体が上向きになったところで、コーナーから『ワンツーを打て!』という声が聞こえました。それで、何度か繰り返しましたね」

 左ストレートで2度目のダウンを奪うと、レフェリーが両腕を交差し試合終了。76勝(53KO)1敗だった挑戦者は、キャリア2つ目の黒星を喫した。

「チットパッタナは、いい選手でした。パンチ力はそこまで感じませんでしたが、運動量も多く、表情が読みづらく、淡々とこなしているような印象でしたね」

 第6ラウンド2分59秒で会心の勝利を飾った中谷は、戦績を29戦全勝22KOとした。8月23日から9月24日までのLAキャンプで162ラウンド、帰国後は所属するM.Tジムで、さらに74ラウンドのスパーリングをこなしたが、テーマとしていたのがアゴへのアッパーと、本人が「ちょい打ち」と呼ぶ接近戦における左の打ち下ろしだ。両パンチが試合を決めた。

 WBCバンタム級王者は話す。

「試合開始直後は、なるべく相手のパンチが届かないところに頭を置くことを意識しました。(自分の)ジャブがキレていて、当てさせてくれたので距離のコントロールができましたね。初回は左ストレートより右ジャブがヒットしました。『このままなら、いずれストレートも当たるな』と。変化をつけるために、ジャブと同じモーチョンで右フックも打ちました」

 キャンプでは自分が前に出るラウンドと、相手に攻めさせる3分間を分け、4人のスパーリングパートナー全員の嫌がり方を観察した。

「僕は足を使うことが得意ですし、強みでもあります。が、相手に攻撃させることでバランスを崩させ、倒しにいくパターンもありますよね。そういうシチュエーションも想定しています」

 そう言って、試合に備えた。

【合計236ラウンドのスパーリングで徹底したサウスポー対策】

 サウスポーの中谷にとって、同じスタンスの相手と拳を交えるのは2019年6月1日以来のことだった。

「日本チャンピオン時代、急に対戦相手が変わってフィリピンの選手とやったんですよ。1ラウンドでKOしましたが、サウスポー対策はゼロでした。新人王トーナメントに出ていた頃は、サウスポーとの連戦がありましたね。当時はまだボクシングがよくわかっていなかったので、やりづらさを覚えました。でも、特に苦手意識は持っていません。僕の記憶だと、サウスポーとの対戦は4人目ですね」

 中谷は、チットパッタナ戦に向けた合計236ラウンドのスパーリングで、徹底的に左利きへの対策を練った。たとえば、右ジャブを多く打たれている時に右回りをすると、相手の左ストレートが届きやすくなってしまうため、左にも回ってみる。サウスポーを相手に接近戦を挑む折には、右フックが飛んでくるので絶対に左のガードを高くしておく。クロスレンジでパンチを出す際には、上体から相手に近づいてしまうところがあるので、ステップインを意識する。あるいは、オーソドックス(右構え)にスイッチして右ストレートを狙う......などの課題に取り組んだ。

 中谷のこなしたスパーリングの数もさることながら、トレーニング中、一瞬も切れない集中力がWBCバンタム級王者の強さを物語っていた。

 2024年10月14日、20時33分に有明アリーナに試合開始のゴングが鳴ると、中谷はまずディフェンシブに動いた。

「序盤は防御をメインとして、チットパッタナを"勉強"したんです。それで、当たるパンチが『まずはジャブだな』と。ファーストラウンドに左ストレートも一発いいのがヒットしたので、あとはタイミングを計りました。ただ距離をとっていると相手に休む時間を与えてしまうので、中にも入ったんです。そのほうがチットパッタナも手を出すので消耗しますから。クロスレンジでどのパンチが当たるかを試したら、右アッパーだとわかりました。

 相手がどういうタイミングで打つかを理解しないと、恐怖を感じますよね。でも、わかってしまえば懐に入れるじゃないですか。それで、チットパッタナのタイミングを学んだんです」

 挑戦者のボクシングを把握した中谷は、3ラウンドからアゴへの右アッパーを使用し始める。LAキャンプで、繰り返し体に染み込ませたものだ。

「近い距離で戦うには、とにかく相手を知らねばなりません。時間をかけて観察してから接近しました。また、カウンターのタイミングを計り、いつでも合わせられる状態を作りました。狙っていましたよ。

 前で相手を止めて距離を縮めようと、4ラウンドは前傾にしてチットパッタナの懐に入ろう、消耗させよう、しっかり削っていこうと考えました。5ラウンドはもっと近づきましたね。右だけじゃなく、左のアッパーもアゴに打ちました。ロープを背負って誘いもしました。来てくれたほうが、相手を崩せますから」

【常に「勉強する」ことで成長】

 そして、第6ラウンド1分30秒、左ショートの打ち下ろしが挑戦者を直撃する。このパンチは、昨年5月のWBOスーパーフライ級王座決定戦の最終ラウンドに、アンドリュー・モロニーを屠った一発と同じ種のものだ。芸術とも表現できるノックアウトシーンは、米『RING』誌が選ぶ2023年度「KO of The Year」に選ばれている。この「ちょい打ち」も、キャンプ中のスパーリングで反復していた。

「『出す』と決めて、体に覚えさせていました。倒せなかったですが、チットパッタナには効いていましたね」

 中谷は練習で積み重ねたパンチで試合を構成し、結果を出した。これまでに経験した世界タイトルマッチ8戦のうち、KO勝利は7度。また、3連続のノックアウトである。それでも中谷は、決して現状に満足せず、先を見据える。快勝しながらも反省点を口にした。

「今回、接近戦を挑んだ分、被弾する場面もありました。粗さが出たなと。ただ、中に入らなければ、倒せていなかったなとも感じます。接近戦でもパンチをもらわないことが、今後の課題ですね。やはり、練習以上のことは本番で出せません。同時に、努力は嘘をつかないこともあらためて学習しました」

 中谷は「勉強する」「学ぶ」という言葉を使う。リングは、生き方を見せる場所でもある。

「もっと多くの人に自分のボクシングを見せたい。僕の存在を知ってほしい。そのためにも、一試合でも多く、本場で戦いたいです。中1で世界チャンピオンになることを夢見たのですが、日本タイトルを獲って現実的になりました。その後、世界タイトルを3階級制覇しましたが、まだまだ飢えていますよ。

 世界チャンピオンって、よりみなさんの目に留まりますよね。だから目標にしていましたが、山登りなら5合目に届くかどうかでしょう。新しい目標も生まれてきます」

 パウンド・フォー・パウンドのKINGを目指すと公言する中谷だが、一方で、「一歩一歩、自分を築き上げる作業を楽しんでいる」とも話した。

【伝説の王者と共通する強さ】

 WBC指名挑戦者を下せば、次戦でWBA王者、井上拓真との統一戦が決まりつつあった。しかし、中谷vsチットパッタナ戦の前日に井上が敗れたことで、同プランは白紙となった。
 
 ご存知のように、現在53.52キログラムのバンタム級は、WBA新チャンピオンの堤聖也、IBFの西田凌佑、WBOの武居由樹と、主要4団体の王者すべてを日本人が占めている。だが、同じチャンピオンでありながら、まるで格が違う。中谷はほかの3名を凌駕している。現時点でバンタム級のベルトをすべて束ねて当然の実力者だ。

 統一戦を熱望する中谷だが、すんなりと決まるだろうか。事実、去年にはWBOスーパーフライ級1位として挑むはずだった当時の王者、井岡一翔に"避けられた"経緯がある。

 他団体のチャンピオンたちがハートを見せればいいが、強すぎるがゆえに、対戦相手やビッグマッチに恵まれない。そんな中谷の現状は、統一ミドル級タイトルを12度防衛した故"マーベラス"マービン・ハグラーを彷彿とさせる。

 なかなかチャンスを得られないハグラーを、かつてヘビー級王座に就き、モハメド・アリと3度の激闘を繰り広げたジョー・フレジャーはこんな言葉で慰めた。

「おまえには3つの難点がある。黒人であること、サウスポーであること、そして強すぎることだ」

 その後、ハグラーは険しい状況を乗り越え、自らの時代を築いた。

 2004年12月に筆者がインタビューした折、ハグラーは語った。

「人間には各々の生き方がある。『己が何者であるか』を把捉しなければいけない。そして、自分に適した道、夢、目標を達成するために何が必要なのかを解することが肝心だ。歩み方はそれぞれ異なるが、ゴールに向かって努力するという作業は同じじゃないかな。人は自らが望んだことに対して、決意を持たなきゃならない。それから、自分を犠牲にすることも大事だね。『自らを捧げる』行為が夢の実現に繋がるんだ。大抵の人は、この犠牲の意味がわからないけれど」

 中谷潤人は、自らをボクシングに捧げることのできる男だ。ハグラー並のアーティストとなる可能性を十分に秘めている。そして、メンタルの強さもハグラークラスだ。近々、飛躍となる大舞台が用意されることを切に願う。

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