【競泳】大橋悠依が次世代に伝えたいこと「自分の限界を決めないで」“嫌い”な400mで五輪金

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2024年10月19日 05:31  日刊スポーツ

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引退会見であいさつする大橋(撮影・小沢裕)

競泳女子で21年東京五輪200メートル、400メートル個人メドレー2冠の大橋悠依(イトマン東進)が、現役生活を「大満足」とかみしめた。


29歳の誕生日を迎えた18日、都内のホテルで引退会見。恩師で東洋大監督の平井伯昌氏(61)、練習仲間の入江陵介さん(34)にねぎらわれた。


日本女子で初めて夏季五輪1大会2冠の経験を生かし、今月からイトマンスイミングスクール特別コーチに就任。25年春からは大学院でスポーツ栄養学を学ぶ予定で、水泳の裾野拡大や後進の育成に寄与する。


   ◇   ◇   ◇  


こみ上げる感情を封じるように、大橋は笑顔を絶やさなかった。約21年の競技生活を振り返って言った。


「本当に充実していて大満足の水泳人生でした。最後は晴れやかな気持ちで引退を迎えることができ、すごく誇りに思っています」


引退の決断は昨秋だった。今夏のパリ五輪を見据えた鍛錬期を前に「『冬を越えるのは、あと1回』と思わないと心が持ちそうにない」と覚悟した。日本女子で初となった夏季五輪1大会での複数金メダル。偉業を達成した東京大会の翌22年、感情を見失った。練習を切り上げ、周囲の声を遮って更衣室へ進んだこともあった。有観客開催で家族も駆けつけたパリ五輪は200メートル準決勝敗退。苦しんだ道のりも財産になった。


「3年間で金メダルに対しての思いが少し変わりました。(東京五輪は)勇気を出してレースをすることができた。そういう経験が、この3年間の糧でした」


周囲は未知の力を引き出してくれた。400メートルは「元々すごく嫌い」と苦笑いする種目。大学入学後も故障や重度の貧血に悩まされ「泳がないつもりだった」と回想した。それでも16年リオデジャネイロ五輪選考会を兼ねた日本選手権で3位。プールサイドで手を振る平井氏を目にし「私に4個メをやらせる作戦だったのか」と覚悟した。次世代へと伝えたい思いがある。


「人と出会う中で力を引き出してもらって、努力の仕方を覚えた。自分の限界を決めないでほしいです」


経験に大学院での学びも加える。「自分にできること、自分にしかできないことも見つける。挑戦を続けていきたい」。人生の第2章が始まった。【松本航】


◆大橋悠依(おおはし・ゆい)1995年(平7)10月18日、滋賀・彦根市生まれ。草津東高−東洋大−イトマン東進。得意は個人メドレー。世界選手権は17年に200メートル銀、19年に400メートル銅。21年東京五輪は個人メドレー2冠。24年パリ五輪200メートルは準決勝敗退。200メートル(2分7秒91=17年世界選手権)、400メートル(4分30秒82=18年日本選手権)の日本記録保持者。174センチ、55キロ。


◆大橋の東京五輪 エースとして臨み、日本勢最初の決勝となった400メートルで金メダル。4分32秒08で頂点に立ち「自分を信じて泳いだ」と涙。3日後の200メートルも2分8秒52で制し「最後は体が止まっていたが、何とか」。5日連続のレースで地力を見せつけた。

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