ラクダをめぐる冒険〜リヤド(後編)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】

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2024年10月21日 07:10  週プレNEWS

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満月の夜のマスマク城。荘厳というか、独特のオーラがある

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第73話

このコラムの公開を準備していた2024年10月、パキスタンから初めてのMERS(中東呼吸器症候群)死亡例が報告された。その詳細はまだ明らかとなっていないが、大切なのは国際的な連携である。しかし、それは一筋縄ではいかない......。

* * *

【写真】ラクダのレバー

■パンデミックになる「前」のサイエンスの難しさ

「灼熱の国」と覚悟をしていたのだが、日中でもさほど気温は上がらない。むしろ朝夕は結構冷えて、かなり涼しかった。

夜の18時、そして朝5時に、バスの効いた重低音のお祈りの音楽とも呪文とも形容できない音が響き渡る。調べてみると、1日に5回ある、「アザーン」というお祈りの時間を知らせるためのものだった。正午になり、「アザーン」が聞こえ始めると、おもむろに絨毯(じゅうたん)を敷いて、靴を脱いでその上に座り、おそらくはメッカの方角を向いてお祈りする人たちの姿をちらほらと見かけた。

MERSについては、50話や中編でも紹介したが、MERSとは「中東呼吸器症候群(Middle East respiratory syndrome)」の略であり、MERSコロナウイルスの感染によって引き起こされる感染症である。MERSは、2012年に見つかった比較的新しいコロナウイルス感染症で、その名の通り、サウジアラビアなどの中東の国々で散発している。

ラクダが中間宿主、あるいは自然宿主と考えられていて、それが時折ヒトに「スピルオーバー(異種間伝播)」しては、散発的な流行を繰り返している。報告にもよるが、MERSの致死率は30%を超えるともいわれており、非常におそろしい感染症である。しかしその流行は、基本的に中東の国々にかぎられている。

――と、これが私の知りうる事前の知識だったのだが、今回の会議でいろいろなことを知ることができた。まず、MERSコロナウイルスは、ケニアなどの北東アフリカでも見つかっていて、これはアラビア半島で流行しているものとはどうも異なる系統のものらしいこと。また、新型コロナパンデミックの影響で、2021年から現在まで、MERSの流行状況がほとんど調べられていないこと。

そして、ほぼすべてのラクダが(すくなくともサウジアラビアでは)、MERSコロナウイルスに対する抗体を持っている、ということ。つまり、MERSコロナウイルスは、ラクダの集団の中では常態的に流行を繰り返している、ということになる。

そして今回、肌感覚で知ることができたのは、開発途上国での「サーベイランス(感染症の調査)」の難しさである。日本や欧米諸国であれば、新型コロナのときのように、システムさえ構築できれば詳細なサーベイランスが可能である。しかし開発途上国の場合、それを実現するための費用も、インフラもない。また、その大切さを理解している研究者や医療従事者もごく一部なので、必要な技術や知識の指導も困難である。

そのため、危ない病原体が出現したとしても、その流行状況や罹患率などを把握することができない。さらに、MERSコロナウイルスのように、ラクダのような家畜がサーベイランスの対象となる場合には、獣医師との連携も必要になる。

それでどういう状況になるかというと、どうしてもその研究に着手したい先進国の研究者が、研究費を獲得し、現地の研究者や医療従事者たちと交流を持ち、サーベイランスの体制を独自に整備していく、ということになる。

先進国と開発途上国がうまく連携・交流するのもまた一難である。この「交流」もなかなかセンシティブなところで、先進国が開発途上国から「必要な検体だけもらってあとはバイバイ」という関係性は、「アカデミア(研究業界)」ではご法度とされている。科学雑誌の中には、そのようにして入手した検体を使用した研究ではない、ということを明示するための署名を求めるところもあるくらいである。

国によっては、自国の生物資源を国外に出すハードルをめちゃくちゃ高く設定してるところもあったり、書類手続きに数年を要することもあったり、いわゆる「袖の下」が必要なこともあったりするという。とにかく、開発途上国からの検体の入手は、一筋縄ではいかないのである。

いずれにせよ、先進国の研究者たちは、そういう苦労や紆余曲折を経てはじめて、研究に必要な、貴重な検体の入手にこぎつけるわけである。しかし次に起きる問題は、このように苦労して手に入れた検体が、なかなか国際的な研究コミュニティで共有されない、という点にある。苦労した分だけ、「それを自分たちだけで独占したい!」という思惑が働くからだ。

そうなると、ある種の寡占状態ができてしまい、この連載コラムの66話で紹介したような、「研究シーン」の発展を妨げる一因になったりもする。開発途上国との動線を開拓し、苦労して検体を入手した人。その検体をもらって、最先端の研究を進めたい人。それぞれの言い分もわかるが、きれいごとだけでは片づかない、いろいろとなかなかにハードルが高い課題である。

そして実は、国際的な検体共有の大きな妨げになっているのが、「名古屋議定書」と呼ばれる国際条約なのだが、これについて述べると話がかなり長くなってしまうので、今回は割愛する(今回の会議でも、これについては侃侃諤諤[かんかんがくがく]の議論があった)。

新型コロナのように、パンデミックに「なった後」であれば、サーベイランス体制は世界的で整備される。そしてなにより「パンデミック」であるので、検体となるウイルスは、世界中どこにでもある状況になる。こういう状況であれば、寡占的な構図は生まれない。

問題はMERSのように、地域流行に限定される状態、あるいは、パンデミックに「なる前」の状況である。これが今回の会議の主たる議題のひとつでもあったのだが、それをどのようにして解決していくのか、その最適解を見つけることはなかなかに難しい。実際、このコラムの公開を準備していた2024年10月、地政学的には南アジアに位置するパキスタンから初めてのMERS死亡例が報告された(注1)。サウジアラビアからの帰国者らしいが、その詳細はまだ明らかとなっていない。

とにもかくにも大切なのは、国際的な連携、ネットワークである。このような、基礎研究者や医療従事者、獣医師などが協力して、「human-animal interface(MERSの例で言えば、ヒトとラクダの境界線)」にフォーカスする体制のことを「ワンヘルス(One Health)」と呼ぶが、とにかく一筋縄ではいかないジャンルである。

今回の会議では、私自身も独自のネットワーキングに尽力した。また、MERSについていろいろと体系的に学ぶことができたことももちろん収穫だった。フレッシュな気持ちで新しいことを学ぶ楽しさをひさしぶりに思い出した気がするし、とても新鮮で有意義な時間となった。

■ラクダをめぐる晩餐

さて、今回は朝昼夕と会議場から食事がサーブされる仕組みだったので、なかなか外に食事に出かけるチャンスがなかった。2日目の夜には食事の用意がなかったので、ナムと連れ立って食事に出かけることにした。「和食にするか? それとも韓国料理にするか?」とせがむナムを振り切って、私にはどうしてもトライしたい料理があった。それは「キャメルミート(ラクダの肉)」である。おいしそうな感じはしないが、ラクダの国に来た以上、それにトライしないわけにはいかない。

Google Mapsでめぼしい場所を調べ、ホテルからほど近いレストランにUberで向かう。到着した店は、客もいないさびれた感じのところだったが、ここまで来て引き下がるわけにはいかない。英語のわからない店員だったので、とりあえず席につき、身振り手振りで注文すると、出てきたのはこんな料理だった。

なんとこの店は、キャメルミートならぬ、キャメルレバー(ラクダのレバー)の専門店だったのである。最初は見た目に驚いたものの、食べてみるとなかなか悪くない。鶏の砂肝に近い食感で、牛のセンマイぽくもあり、ザクザクとした噛みごたえ。味も砂肝と牛豚のレバーの間のような感じで、レバニラ炒めのレバーのような風味もあるといえばある。残念ながらこの国ではお酒は飲めないが、ビールとめちゃくちゃ合いそうな料理だった。これがふたりで33リヤル(約1200円)と、なかなかお得な夕食となった。

■副鼻腔炎と共に去りぬ

気温の低さは想定外だったが、空気の悪さは想像通り、いや、それよりも悪いものだった。乾燥に加え、砂埃が舞っているからか、とにかく空気が悪い。キャメルレバーを食べた後にナムと街中をすこし散策したのだが、乾燥と空気の悪さで鼻の奥がずきずきと痛む。

寝るときにも、鼻が乾燥しないようにずぶ濡れにしてつけたマスクが、1時間もしないうちにカラカラになってしまう。気休めと思って持参した携帯加湿器がいい仕事をしてくれて、これがなかったらちょっとヤバかったかもしれない。会議中もとにかく、やはりバカのひとつ覚えのようにカモミールティーをがぶがぶと飲んでいた。

会議を終えて、帰路に着く。復路も往路と同様、ドーハで長時間の乗り継ぎ待ちの時間があった。やはりラウンジでハーブティーを飲んだり、のど飴をなめたりしながらコラムを書き、すこし仮眠をした。

そして目が覚めると、あれ......

......いつの間にか、鼻が治っている! どうやら、サウジの過酷な環境で鼻が悲鳴を上げていただけで、副鼻腔炎そのものはいつのまにか治っていたらしい。

最後の最後に、嬉しい誤算があった。それでもやはり、完治まではおよそ2週間を要したことになる。

ともあれ、ドーハから羽田に向かうカタール航空の機内では、無事に治ってくれたことを祝して、晴れて2週間ぶりのアルコール(シャンパン)をたしなみ、ゆっくりと眠りについたのであった。

文・写真/佐藤 佳

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